第6話(2)
次にアレクサンドラは、オルロフの邸宅に赴き、父伯爵にその案を提示した。
目的は、案を実行に移す前に国王陛下の承認を要するが、そのための手順について教えを請うのと、大枠の段階で陛下にご報告していいのか、それとも詳細まで決めてからにすべきかの助言を得ることであった。
差し向かいになった父伯爵は、娘の、取り澄まして揺るぎそうもない瞳に、困惑を顔中に広げた。
父伯爵は「そうだね、何から言おうか」としばらく迷った後に口を開いた。
「まず、承認を頂戴するのにこれと決まった手順は存在しないな。内容によってどうするかが変わるというか、変えるべきというか」
「そうでございますか。では、今回はどのようにすればよろしいでしょうか」
アレクサンドラが促すと、父伯爵は今度は腕組みをして言い淀んだが、やがて意を決したように「今すぐに陛下にご報告することは難しいね」と娘に告げた。
「それは、内容に欠陥があるからでございますか」
「そうではないのだよ。そうではないというより、何というか、その手前の問題というべきだろうか」
「その手前と仰いますと」
顧問としての意見をもらえるならば喜ばしいと思ったが、父の躊躇は別な点にあるようだった。
歯切れが悪いと不服を蓄えながら待っていると、父伯爵は
「まずだね、公証の仕組みについて大きな変更をするのであれば、その、先に元老院の中で承認をもらう必要があるね。正式な議決か、口頭承認かはともかく」
と返答した。
アレクサンドラは、突如耳に飛び込んだ"元老院"という名称に狼狽えた。
元老院はソルトモーレ帝国の執政に関する、国王の諮問機関でありつつ、国政の実務上は最高の意思決定組織であるが、その名が出て来ることに嫌な予感を覚えた。
「元老院?何故でございますか」
「承認が、かい?それは公証の仕組みは実務的な話だ、いきなり陛下にご判断を仰ぐわけにはいかないよ」
「しかし、公証の権能は陛下から与えられたものでございましょう、オルロフに自由委任されているものなのでは」
「確かに具体的な、細かいところは自由だよ。しかし、今回のサーシャの案を実行すると、手続の流れが大きく変わるだろう?変わるというより、手続ができる場所が増えると言うべきかな。それによって人の流れ、移動や居住も変わって来るだろう。
それにメルジューンはQ公爵の所領だ。元老院に一旦案を出してからでなければ、Q公爵にはとても交渉できないよ。申請書の体裁を変えるのとは訳が違うのだから」
「ですが……では、公証長の継承の際はどうなさったのですか」
「公証は元々、権能がオルロフに授けられていたから、結果的に何も変更はなかっただろう。もしあの時、陛下が権能を剥奪するご意思を示されれば、一応、元老院に諮問しての承認が行われただろうね」
アレクサンドラは突然立ちはだかった大きな壁に唇を噛んだ。
だとしても引いてはならないと、気を奮い立たせて食い下がる。
「では、元老院の承認を頂戴するためになすべきことをご教示下さいませ」
しかし、父伯爵はそれもまだ時期尚早で、その前に「政治活動」が必要だと言った。
具体的には、元老院の正式な議事の場に案を出す前に、元老院の構成員である5人に、個別に働きかけて理解を得る。
働きかける方法はもちろん決まった方法がなく、また全員に対して運動するか、一部への根回しで足りるのかも内容次第である。
構成員は全員男性で公爵・侯爵位を有しており、面会するのは容易ではないし、親族以外の女性が対面して談判するなどということは例がない。
女性が運動するならば、構成員である貴族の夫人や令嬢経由でというのが通常で、かつ唯一の手法であったが、非常に迂遠である上に、その夫人達が構成員に要望を伝えてくれるかが不確実で、しかも時期が相手任せとなる。
そして、そもそもその夫人達と親しくする、あるいは伝手を得るために、貴族の女性は日頃からサロンや私的な夜会に出席して、人脈を作っているものだ、ということだった。
「サロンはそうだね、お母様に相談した方がいい。当然私よりもずっと詳しいし、力になってくれるだろう」
娘がそのような交友をしていないのを当然知っている父伯爵は、思案しながらそう提案し、さらに言いにくそうに「それに、内容の方なのだがね」と付け加えた。
「費用的な点を考えると、恐らくこのままでは門前払いになってしまうだろう」
「……人件費でございますか」
「そうだね。事件の賠償で大きな穴が開いているのに、支出を増やすのは難しいと言われてしまうだろう。それに、新しい窓口を設置するための建物や設備を整えるのや、それを周知するためにも費用がかかる。窓口の数が増えたことによりそれが賄えるか、と言われると……どうだろうね」
公証は、陛下から授与された権能だという性質上、認証などで徴収している手数料収入のうち一定割合を国庫に納入している。
詐欺被害者への賠償はオルトフの財産を充て、公証からの持ち出しは発生させなかったものの、公証の信用とともに利用率も下がり、収入自体が減少しているではないか、そういう指摘をされるというのが父伯爵の考えであった。
元老院では、実際に財政面を理由に跳ね付けることも多いのだろう、政策的判断は期待できないようだ、とアレクサンドラは「ご助言ありがとうございます」と言い置いて席を立った。
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