第4話 1-4:瘴気の森と輝く瞳

わたくしは、無言で床に膝をついたまま、思考を巡らせていた。

「不快」という名の罪。

そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、怒りを通り越して、一種の冷静さがわたくしの心を支配していた。

わたくしが知らないところで、レティシア様は、ずっとわたくしに嫉妬していたのだろう。

そして、それ以上に、恐れていたのだ。

わたくしには、聖女様のような「結界」を張る力はない。

ただ、植物の声を聴き、その力を最大限に引き出す園芸のスキルがあるだけだ。

だが、聖女レティシア様は、その逆。

王都全体を魔物の侵入から守るという、派手で目に見える「結界」の力には優れている。しかし、聖女の本質とされる、大地そのものを癒し、瘴気を鎮める「浄化」の力を持たない、不完全な聖女だった。

その事実は、王家の上層部と、彼女の側近のみが知る秘密。

そして彼女は、自らの聖女としての威光を保つため、ある時から、わたくしが管理する清浄な花壇に目をつけていた。

わたくしが「植物の声を聴く力」で育てた、清浄なマナに満ちたハーブや花々。

彼女はそれを儀式に使うことで、あたかも自分が「浄化」の力を持っているかのように装い、その力を密かに搾取し続けていたのだ。

(そうだったのね……)

わたくしは、すべてを察した。

なぜ彼女が、わたくしが管理するハーブを、あんなにも頻繁に欲しがったのか。

なぜ、わたくしが献上するたびに、彼女の「浄化の儀式」が成功したと、大々的に触れ回られたのか。

すべては、わたくしの力、わたくしが育てた植物の力を、彼女が盗んでいたからだ。

わたくしがこのまま王宮にいれば、いつかその秘密が発覚するかもしれない。

わたくしという「本物」の力の供給源が側にいればいるほど、彼女の「偽物」の力は、いつか必ず綻びを見せる。

その恐怖と、わたくしの持つ、彼女にはない才能への焦りと嫉妬が、彼女をこの愚かな芝居に走らせた。

(わたくしさえ追放すれば、あの花壇は自分のものになる。そうすれば、これからも力を搾取し続けられる)

きっと、彼女はそんな浅はかな計算違いをしているのだろう。

彼女は、あの花壇が清浄なマナを生み出すのは、花壇そのものが特別だからだと思い込んでいる。

違う。

あの花壇が特別だったのは、わたくしが、毎日毎日、植物たちの声を聞き、土に触れ、わたくし自身の力で、土地そのものを浄化し続けてきたからだ。

わたくしという「園芸師」を失った花壇が、どれほど早くその力を失い、ただの土くれに戻り、枯れ果てていくか。

その簡単な理屈にさえ、あの聖女様は気づいていない。

なんと、愚かなことか。

わたくしが、そんなレティシアの浅慮に呆れていると、王太子殿下が、ついに最終的な判決を、芝居がかった動作で下した。

「エリアーナ!」

彼は、わたくしの名を、まるで汚物でも呼ぶかのように吐き捨てた。

「貴様のその汚れた手で、聖女様のための清らかなハーブではなく、お似合いの毒草でも育てているがいい!」

彼は、自分がどれほど気の利いた判決を下すのかと、心底酔いしれているようだった。

レティシア様が、わたくしの作業着を「不快」だと言った。

わたくしが、彼女に「毒」を盛ったとされている。

ならば、と。

「よって、貴様を『毒草師』として王宮より追放し、かの『瘴気(しょうき)の森』への流刑に処す!」

「毒草師」。

そして、「瘴気の森」。

その二つの言葉が響いた瞬間、「白亜の間」の空気が、それまでとは比べ物にならないほど、凍りついた。

わたくしの両脇を固めていた衛兵たちが、息を飲む音が聞こえる。

彼らの鋼鉄の甲冑に覆われた腕が、わたくしを掴んだまま、恐怖でわずかに震えた。

側仕えに至っては、さっと顔色を失い、まるで死人を見るような目でわたくしを見ている。

瘴気の森。

それは、この国において、死刑宣告よりも重い刑罰だ。

ギロチンで首を落とされる方が、よほど慈悲深い。

なぜなら、あの森は、生きたまま地獄の苦しみを味わう場所だからだ。

大地は瘴気に汚染され、作物は育たず、水さえも毒に変わる。

そして何より、森に住まうのは、瘴気に当てられて理性を失った、凶悪な「魔獣」たち。

一度足を踏み入れれば、二度と生きては戻れないと誰もが知っている、絶望の地。

それが、この国の共通認識だった。

王太子殿下は、わたくしが絶望に泣き崩れる姿を期待しているのだろう。

レティシア様は、わたくしが恐怖に命乞いをすると確信しているのだろう。

彼らは、わたくしに、惨めな敗北者の姿を求めている。

衛兵たちが、わたくしの腕を再び掴み、床から乱暴に引きずり起こす。

重い足取りで、わたくしは退室を促される。

王太子とレティシア様は、ついに厄介払いができたと、心底安堵した、満足げな表情でわたくしを見下ろしている。

わたくしは、最後に一度だけ、彼らに向かって顔を上げた。

わたくしの目には、彼らが期待した絶望も、恐怖も、怒りもなかった。

それどころか、わたくしの心は、今、別の感情で満たされていた。

(瘴気の森……!)

その言葉の響きが、わたくしの心臓を、恐怖とはまったく別の理由で高鳴らせていた。

そこは、王国のいかなる書物にも記されていない、禁断の場所。

王宮の図書館の、鍵がかかった書庫の奥に眠る、古い文献でしか読んだことのない、未知の植物が群生する場所。

(凶悪な魔獣が跋扈する……だが、同時に、瘴気の中で独自に進化した、貴重な薬草や毒草の宝庫でもあるはずだ……!)

わたくしは、園芸師だ。植物の専門家だ。

わたくしの知識と探求心は、常に未知なるものへと向かっていた。

王宮の、管理され尽くした庭園では、もはや学ぶことは少ない。

(わたくしの、この「植物の力を引き出す」園芸スキルが、あの極限の地、瘴気の森で、どこまで通用するのかしら)

理不尽な宮廷で、偽りの聖女のために力を搾取され、土で汚れた手足を「不快」だと侮辱され続ける日々。

それよりも、

未知の植物を相手に、自らの知識とスキルだけを頼りに生き抜く、過酷だが充実した日々。

どちらが、わたくしにとって「幸福」か?

答えは、火を見るより明らかだった。

これは、流刑ではない。

これは、解放だ。

わたくしの瞳が、燃え盛るような探求心と、抑えきれない好奇心によって、自分でも気づかぬうちに爛々と輝きを放っていることなど、あの愚かな二人には知る由もなかった。

「……!」

わたくしのその表情を見た王太子とレティシアが、一瞬、息を飲んだのを、わたくしは見逃さなかった。

彼らは、理解できなかったのだろう。

なぜ、死刑宣告を受けた罪人が、これほどまでに喜びに満ちた、輝く目をしているのか。

その理解不能な反応が、彼らの完璧な勝利に、小さな、しかし確実な棘を残したことだろう。

わたくしは、もはや彼らに一瞥(いちべつ)もくれることなく、胸を張って「白亜の間」を後にした。

目指すは、新天地。希望の地。

わたくしだけの研究室、「瘴気の森」だ。

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