第7話 家庭ゴミドラゴン、駐車場を埋める
——コンビニの中じゃなくて、外側が地獄になる日がある。
レジ前でも、イートインでもない。ゴミ箱と駐車場だ。
「直人、朝イチで駐車場見た?」
早朝シフトの日。夜勤からの引き継ぎ前に品出しをしていると、レイ店長がちょっと暗い声で聞いてきた。
「まだですけど……なんかあったんです?」
「“家庭ゴミドラゴン”が、夜のうちにひと暴れしてってな」
「名前が物騒なんですよ毎回」
「現場の心の健康のためだって言ってんだろ」
苦笑しながら、俺は自動ドアを出て駐車場に出た。
——うわ。
店の外側に並んだゴミ箱。その横に、大きな黒い袋が三つ、ドン、と積まれていた。
燃えるゴミ、不燃ゴミ、ペットボトル。
中身は明らかに“家庭で出た量”だ。
「これ、全部……」
「夜勤が気づいたときにはもう置かれてたらしい。回収車が来る前に、一回状況だけ押さえとかんと」
後ろからレイさんが出てきて、肩をすくめる。
「ゴミ箱のフタ開けてまで入れずに、“横に山積み”はまだマシなほうだぞ。ひどいと、カラスパーティー開催されるからな」
「想像したくない……」
「で、今日は“家庭ゴミドラゴン”対策をする」
また一匹、新しいモンスターの名前が増えた。
◇
朝の通勤ラッシュが落ち着いたころ。コーヒーマシンの補充も終わって、店内がひと息ついたタイミングで、俺たちはバックヤードに集まった。
ホワイトボードには、太い字でこう書かれている。
——家庭ゴミドラゴン
・特徴:家庭ゴミを店のゴミ箱に大量投入/駐車場に置き逃げ
・被害:処理コスト増/臭い・カラス・近隣クレーム
「コンビニで家庭ゴミ捨てる人、やっぱ多いんですか?」
「“多い”というより、“定期的に同じやつがやってくる”って感じですね〜」
美希が、ノートPCを開きながら言う。
「ゴミ袋のメーカーとか、入ってるチラシとか、“あ、またこの人だ”って分かること多いですし」
「そんな愛着湧く認知の仕方やめてください」
ひよりが、腕を組んで口を開いた。
「法律的には、“家庭ゴミ”を店のゴミ箱に捨てるのは、不法投棄に近い扱いになります」
「“近い”ってことは、即アウトじゃないんです?」
「量や悪質性にもよります。ただ、“店の業務に明らかに支障が出ている”レベルなら、警察や市の担当に相談する余地はありますね」
「いきなり警察は、ちょっと怖いっすね……」
「だから、その前に“線引きと可視化”をやりましょう、という話です」
レイさんが、ラミネートされたPOPを取り出した。
——『当店のゴミ箱は、店内でお買い上げいただいた商品のゴミ専用です。家庭ゴミ・大量のゴミのお持ち込みはご遠慮ください。※継続的な大量投棄については、警察・行政へ相談いたします。』
「今日から、これを外のゴミ箱の上と、駐車場の柱に貼る」
「“警察・行政へ相談”って、書いて大丈夫なんですか?」
「“本当に相談するつもりがあるなら”大丈夫です」
ひよりが、さらっと言った。
「脅し文句として書くならアウトですが、“実際に相談窓口がある”ので事実です」
「こわ……頼もし……」
◇
その日の夕方。
俺がレジで会計していると、駐車場のほうでゴミ箱のフタが「バコン」と大きな音を立てた。
(来たな)
さりげなくレジから視線を向けると、作業服姿の男が、車のトランクから大きな黒い袋を一つ持ち上げていた。
口はガムテープでぐるぐる巻き。あきらかに“家庭で出た”量だ。
男は、外のゴミ箱のフタを開けて——
中を確認し、諦めたのか、その横にドンと袋を置いた。
その瞬間、入口横の自動ドアが開いた。
「すみませーん」
美希の声だ。
「そちらのゴミ袋、どちらでお出しになったものかお伺いしてもよろしいですか〜?」
男がビクッと振り向く。
「は? いや、ゴミ箱に入らなかったからさ」
「はい、“家庭ゴミドラゴン”来ました〜」
俺が小声で呟くと、レイさんとひよりがバックヤードからそっと出てきた。
◇
美希は、あくまでも笑顔だ。
「こちら、店内でお買い上げいただいた商品のゴミでしょうか?」
「ゴミはゴミだろ」
男が、やや不機嫌そうに言う。
「仕事帰りにまとめて捨てられるから、コンビニ便利でいいんだよ。今までの店も何も言わなかったし」
「今までの店」の呪い、出た。
「当店では、こちらに記載の通り——」
美希が、ゴミ箱の上のPOPを指さす。
——『当店のゴミ箱は、店内でお買い上げいただいた商品のゴミ専用です。』
「家庭ゴミや大量のゴミのお持ち込みは、ご遠慮いただいております」
「いやいや、“家庭ゴミ”って言われても、仕事場で出たゴミなんだけど?」
男が、言葉を変えてきた。
「“家庭ゴミじゃない”からセーフ理論」だ。
ひよりが、そこで一歩前に出た。
「職場で出たゴミでも、事業ゴミにあたる可能性があります」
静かな声。
「事業ゴミは、市の回収や契約業者さんに出していただく必要があります。コンビニのゴミ箱は、その処理の契約の対象外です」
「……細けぇなぁ」
「ゴミ処理の契約単位の話なので、少し細かくてすみません」
ひよりは、それでも淡々としている。
「こちらの袋、中身の分別シールや住所のシール、そのままになってますよね」
袋の横に貼られた、市指定のシール。よく見ると、近所のアパート名が書かれている。
(ガチ家庭ゴミじゃねーか……)
「“今までの店”では大丈夫だったのかもしれません。ただ、当店ではお断りさせていただいています」
「なんでそんなケチくせぇこと言うかなぁ……」
男は、ぼりぼりと頭をかいた。
「こっちは客だぞ? ここでジュースとか買ってるし」
レジ前に戻ってきた俺のほうを見る。
「なあ兄ちゃん、いつも来てやってんだし、これくらい黙って見逃してくれよ」
“見逃してくれよ”って言葉、なんでこんなにコンビニと相性悪いんだろう。
◇
レイさんが、そこで口を開いた。
「いつもご利用いただいてるのは、本当にありがたいです」
まず感謝から入る。
「ただ、“それとこれとは別”という話でして」
「別ねぇ……」
「ゴミ一袋で済んでるうちは、“まあ仕方ないか”で流していた時期も、店としては正直ありました」
レイさんは、ゴミ箱の横の黒い袋を指さした。
「でも、“毎週のように”“増え続ける”と、ゴミの処理代や回収回数が、店の負担として積み上がっていきます」
「それが店のコストだろ?」
「そうですね。ただ、そのコストは“普通に買い物しているお客様”の売上から出ています」
一拍置いて、続ける。
「“ちゃんと自分の家の集積所に出している人たち”の支払った代金で、“ここにだけ家庭ゴミ持ってくる人の処理代”を出す、という構図です」
男の表情が、わずかに曇る。
「それを、“公平”とは言いにくいんですよね」
美希が、横からそっと補足した。
「普通のお客様の“普通の利用”を守るために“特定の人の大量投棄”はお断りするってイメージです」
「……」
男は、しばらく黙っていたが——
やがて、少し視線をそらしながら言った。
「じゃあ、レジで“ゴミ袋代”払えばいいの?」
それはそれで、発想としては真っ当だ。ひよりが、静かに首を横に振る。
「有料で“なんでもゴミ預かりサービス”をやるコンビニさんもありますが、当店は、そういうサービスをやっていません」
「やったらいいじゃん。稼げるかもしれないじゃん」
「その場合、“家庭ゴミ預かり所”としての責任が発生します。虫や臭いの管理、回収業者との契約変更、近隣住民への説明……」
「……めんどくさそうだな」
「はい。とても」
ひよりは、そこで少しだけ表情をゆるめた。
「なので、“うちではやらない”と決めました。その代わり——」
ひよりは、ゴミ箱の上のPOPを指で示す。
「“ここで出たゴミは、ここで引き取ります”。それ以上のものは、それぞれのルールに従って出していただきたい、という方針です」
◇
「……で?」
男が、黒い袋を見下ろす。
「このゴミ袋、どうすりゃいいの」
「お住まいの集積所か、指定の回収方法でお願いしたいです」
レイさんが、はっきり言った。
「もし、“どう捨てればいいか分からない”なら、市の窓口やホームページに、“ゴミの出し方相談”があります」
美希が、すかさずタブレットを取り出して見せる。
「ここに、“家庭ゴミを事業所や店舗に持ち込まないでください”って書いてあります」
「……マジで書いてんな」
「マジです」
男は、ため息をひとつついた。
「分かったよ。じゃあ、今日は持って帰るわ」
そう言って、黒い袋を持ち上げる。
「たださ。“今までやってたのが、ある日急にNGになる”の、やっぱムカつくんだよ」
その言葉に、俺はちょっとドキッとした。
——たしかに、それはそうだ。
レイさんが、ほんの少しだけ視線を落とす。
「それは、正直、すみません」
「……え?」
「“今まで見て見ぬフリをしてきた店側”にも、責任はありますから」
レイさんは、男の目を見て言った。
「急にNGになったように感じさせてしまったのは、“線を引くのを先延ばしにしてきた”うちの落ち度でもある」
しばらくの沈黙。
「……まあ」
男は、少しだけ表情を緩めた。
「そこまで言うなら、“今まで黙って見逃してくれてたぶん”はチャラにしとくわ」
「ありがとうございます」
ひよりが、深く頭を下げた。
「その代わり、今後ははっきりお断りします」
「だろうな」
男は、苦笑いしながら車に袋を積み込んだ。
「じゃ、コーヒーだけ買ってくわ」
その一言で、駐車場の空気がふっと軽くなる。
◇
レジで会計をしながら、男はぼそっと言った。
「ここ、前よりPOP増えたよな」
「そうですね〜、“客の数だけPOPが増える店”なんで」
美希が、いつもの調子で返す。
「じゃ、次来たとき、“ゴミ箱預かりサービス”始まってたら笑うわ」
「それは絶対やらないので、安心して来てください」
レイさんがきっぱりと言って、男もつられて笑った。
チャイムが鳴る。
カラン、コロン。
◇
客足が途切れたタイミングで、バックヤード。
ノートPCの画面には、新しいカルテが開かれていた。
——【クソ客カルテ No.007】
種別:家庭ゴミドラゴン(初期型)
特徴:家庭/事業ゴミをゴミ箱横に大量放置/「今までの店はOK」主張
対応:ゴミ箱利用ルールPOP掲示/本人への直接説明/市のルール提示
「“初期型”ってことは、まだ救いがあるパターンですか?」
「そうだな」
レイさんが、備考欄を指さす。
——備考:説明後、持ち帰り&購入あり/暴言なし/改善余地大
「“話が通じるけど、線を知らなかっただけ”って人は、“普通の客側”に戻ってくることが多い」
ひよりが、カルテの端に小さく書き足す。
——メモ:今後も同一車両での大量投棄が続く場合、市・警察に相談
「“相談する用のログ”も、ちゃんと残しておきましょう」
「ログで殴る前の、ログで守る、ですね〜」
美希が、うんうん頷く。
「そうそう」
レイさんが笑った。
「クソ客バスターズは、“クソ客”だけ見ていると胃がやられる。“普通の客”と“戻ってきた客”もちゃんと見て、バランス取れ」
「戻ってきた客……」
俺は、さっきコーヒーを買って行った男の背中を思い出した。
あの黒い袋が、次はちゃんと「集積場」に並んでいることを願うしかない。
◇
その日の深夜。
夜勤に引き継ぐ前の外回り点検で、もう一度駐車場を見に行った。
外のゴミ箱のまわりは、朝とは違って、すっきりしている。
「……何もない」
思わず、ほっと息をついた。
自動ドアから出てきた美希が、POPを見上げる。
「“家庭ゴミ・大量のゴミはご遠慮ください”かぁ」
「ちょっと角が立つかな、と思ったんですけど」
「いいと思いますよ」
美希が、笑った。
「“角を出しておかないと、刺さる場所が分からない”ですから」
「うわ、名言っぽい」
俺が笑うと、美希は肩をすくめた。
「直人くん、明日の朝も駐車場チェックお願いしますね〜」
「はーい、“家庭ゴミドラゴン観察員”やります……」
店内に戻ると、レイさんがホワイトボードに一行書き足していた。
——“線を引くのを先延ばしにすると、クソ客と店、両方が苦しむ”
「今日の教訓ですか?」
「そう。“今日怒られるより、十年後に思い出して死にたくなるほうがまだマシ”ってタイプもいるからな」
「ブラックだな店長」
「でも、ちょっと分かるでしょ?」
心当たりが多すぎて、何も言えなかった。
駐車場の外灯の下で、新しいPOPが、夜風に少しだけ揺れていた。
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