第7話 家庭ゴミドラゴン、駐車場を埋める

 ——コンビニの中じゃなくて、外側が地獄になる日がある。


 レジ前でも、イートインでもない。ゴミ箱と駐車場だ。


「直人、朝イチで駐車場見た?」


 早朝シフトの日。夜勤からの引き継ぎ前に品出しをしていると、レイ店長がちょっと暗い声で聞いてきた。


「まだですけど……なんかあったんです?」

「“家庭ゴミドラゴン”が、夜のうちにひと暴れしてってな」

「名前が物騒なんですよ毎回」

「現場の心の健康のためだって言ってんだろ」


 苦笑しながら、俺は自動ドアを出て駐車場に出た。


 ——うわ。


 店の外側に並んだゴミ箱。その横に、大きな黒い袋が三つ、ドン、と積まれていた。


 燃えるゴミ、不燃ゴミ、ペットボトル。

 中身は明らかに“家庭で出た量”だ。


「これ、全部……」

「夜勤が気づいたときにはもう置かれてたらしい。回収車が来る前に、一回状況だけ押さえとかんと」


 後ろからレイさんが出てきて、肩をすくめる。


「ゴミ箱のフタ開けてまで入れずに、“横に山積み”はまだマシなほうだぞ。ひどいと、カラスパーティー開催されるからな」

「想像したくない……」

「で、今日は“家庭ゴミドラゴン”対策をする」


 また一匹、新しいモンスターの名前が増えた。



 朝の通勤ラッシュが落ち着いたころ。コーヒーマシンの補充も終わって、店内がひと息ついたタイミングで、俺たちはバックヤードに集まった。


 ホワイトボードには、太い字でこう書かれている。


 ——家庭ゴミドラゴン

・特徴:家庭ゴミを店のゴミ箱に大量投入/駐車場に置き逃げ

・被害:処理コスト増/臭い・カラス・近隣クレーム


「コンビニで家庭ゴミ捨てる人、やっぱ多いんですか?」

「“多い”というより、“定期的に同じやつがやってくる”って感じですね〜」


 美希が、ノートPCを開きながら言う。


「ゴミ袋のメーカーとか、入ってるチラシとか、“あ、またこの人だ”って分かること多いですし」

「そんな愛着湧く認知の仕方やめてください」


 ひよりが、腕を組んで口を開いた。


「法律的には、“家庭ゴミ”を店のゴミ箱に捨てるのは、不法投棄に近い扱いになります」


「“近い”ってことは、即アウトじゃないんです?」


「量や悪質性にもよります。ただ、“店の業務に明らかに支障が出ている”レベルなら、警察や市の担当に相談する余地はありますね」


「いきなり警察は、ちょっと怖いっすね……」


「だから、その前に“線引きと可視化”をやりましょう、という話です」


 レイさんが、ラミネートされたPOPを取り出した。


 ——『当店のゴミ箱は、店内でお買い上げいただいた商品のゴミ専用です。家庭ゴミ・大量のゴミのお持ち込みはご遠慮ください。※継続的な大量投棄については、警察・行政へ相談いたします。』


「今日から、これを外のゴミ箱の上と、駐車場の柱に貼る」

「“警察・行政へ相談”って、書いて大丈夫なんですか?」

「“本当に相談するつもりがあるなら”大丈夫です」


 ひよりが、さらっと言った。


「脅し文句として書くならアウトですが、“実際に相談窓口がある”ので事実です」

「こわ……頼もし……」



 その日の夕方。


 俺がレジで会計していると、駐車場のほうでゴミ箱のフタが「バコン」と大きな音を立てた。


(来たな)


 さりげなくレジから視線を向けると、作業服姿の男が、車のトランクから大きな黒い袋を一つ持ち上げていた。


 口はガムテープでぐるぐる巻き。あきらかに“家庭で出た”量だ。


 男は、外のゴミ箱のフタを開けて——

 中を確認し、諦めたのか、その横にドンと袋を置いた。


 その瞬間、入口横の自動ドアが開いた。


「すみませーん」


 美希の声だ。


「そちらのゴミ袋、どちらでお出しになったものかお伺いしてもよろしいですか〜?」


 男がビクッと振り向く。


「は? いや、ゴミ箱に入らなかったからさ」

「はい、“家庭ゴミドラゴン”来ました〜」


 俺が小声で呟くと、レイさんとひよりがバックヤードからそっと出てきた。



 美希は、あくまでも笑顔だ。


「こちら、店内でお買い上げいただいた商品のゴミでしょうか?」

「ゴミはゴミだろ」


 男が、やや不機嫌そうに言う。


「仕事帰りにまとめて捨てられるから、コンビニ便利でいいんだよ。今までの店も何も言わなかったし」


「今までの店」の呪い、出た。


「当店では、こちらに記載の通り——」


 美希が、ゴミ箱の上のPOPを指さす。


 ——『当店のゴミ箱は、店内でお買い上げいただいた商品のゴミ専用です。』


「家庭ゴミや大量のゴミのお持ち込みは、ご遠慮いただいております」

「いやいや、“家庭ゴミ”って言われても、仕事場で出たゴミなんだけど?」


 男が、言葉を変えてきた。


「“家庭ゴミじゃない”からセーフ理論」だ。


 ひよりが、そこで一歩前に出た。


「職場で出たゴミでも、事業ゴミにあたる可能性があります」


 静かな声。


「事業ゴミは、市の回収や契約業者さんに出していただく必要があります。コンビニのゴミ箱は、その処理の契約の対象外です」

「……細けぇなぁ」

「ゴミ処理の契約単位の話なので、少し細かくてすみません」


 ひよりは、それでも淡々としている。


「こちらの袋、中身の分別シールや住所のシール、そのままになってますよね」


 袋の横に貼られた、市指定のシール。よく見ると、近所のアパート名が書かれている。


(ガチ家庭ゴミじゃねーか……)


「“今までの店”では大丈夫だったのかもしれません。ただ、当店ではお断りさせていただいています」

「なんでそんなケチくせぇこと言うかなぁ……」


 男は、ぼりぼりと頭をかいた。


「こっちは客だぞ? ここでジュースとか買ってるし」


 レジ前に戻ってきた俺のほうを見る。


「なあ兄ちゃん、いつも来てやってんだし、これくらい黙って見逃してくれよ」


 “見逃してくれよ”って言葉、なんでこんなにコンビニと相性悪いんだろう。



 レイさんが、そこで口を開いた。


「いつもご利用いただいてるのは、本当にありがたいです」


 まず感謝から入る。


「ただ、“それとこれとは別”という話でして」

「別ねぇ……」

「ゴミ一袋で済んでるうちは、“まあ仕方ないか”で流していた時期も、店としては正直ありました」


 レイさんは、ゴミ箱の横の黒い袋を指さした。


「でも、“毎週のように”“増え続ける”と、ゴミの処理代や回収回数が、店の負担として積み上がっていきます」

「それが店のコストだろ?」

「そうですね。ただ、そのコストは“普通に買い物しているお客様”の売上から出ています」


 一拍置いて、続ける。


「“ちゃんと自分の家の集積所に出している人たち”の支払った代金で、“ここにだけ家庭ゴミ持ってくる人の処理代”を出す、という構図です」


 男の表情が、わずかに曇る。


「それを、“公平”とは言いにくいんですよね」


 美希が、横からそっと補足した。


「普通のお客様の“普通の利用”を守るために“特定の人の大量投棄”はお断りするってイメージです」

「……」


 男は、しばらく黙っていたが——

 やがて、少し視線をそらしながら言った。


「じゃあ、レジで“ゴミ袋代”払えばいいの?」


 それはそれで、発想としては真っ当だ。ひよりが、静かに首を横に振る。


「有料で“なんでもゴミ預かりサービス”をやるコンビニさんもありますが、当店は、そういうサービスをやっていません」

「やったらいいじゃん。稼げるかもしれないじゃん」

「その場合、“家庭ゴミ預かり所”としての責任が発生します。虫や臭いの管理、回収業者との契約変更、近隣住民への説明……」

「……めんどくさそうだな」

「はい。とても」


 ひよりは、そこで少しだけ表情をゆるめた。


「なので、“うちではやらない”と決めました。その代わり——」


 ひよりは、ゴミ箱の上のPOPを指で示す。


「“ここで出たゴミは、ここで引き取ります”。それ以上のものは、それぞれのルールに従って出していただきたい、という方針です」



「……で?」


 男が、黒い袋を見下ろす。


「このゴミ袋、どうすりゃいいの」

「お住まいの集積所か、指定の回収方法でお願いしたいです」


 レイさんが、はっきり言った。


「もし、“どう捨てればいいか分からない”なら、市の窓口やホームページに、“ゴミの出し方相談”があります」


 美希が、すかさずタブレットを取り出して見せる。


「ここに、“家庭ゴミを事業所や店舗に持ち込まないでください”って書いてあります」

「……マジで書いてんな」

「マジです」


 男は、ため息をひとつついた。


「分かったよ。じゃあ、今日は持って帰るわ」


 そう言って、黒い袋を持ち上げる。


「たださ。“今までやってたのが、ある日急にNGになる”の、やっぱムカつくんだよ」


 その言葉に、俺はちょっとドキッとした。


 ——たしかに、それはそうだ。


 レイさんが、ほんの少しだけ視線を落とす。


「それは、正直、すみません」

「……え?」

「“今まで見て見ぬフリをしてきた店側”にも、責任はありますから」


 レイさんは、男の目を見て言った。


「急にNGになったように感じさせてしまったのは、“線を引くのを先延ばしにしてきた”うちの落ち度でもある」


 しばらくの沈黙。


「……まあ」


 男は、少しだけ表情を緩めた。


「そこまで言うなら、“今まで黙って見逃してくれてたぶん”はチャラにしとくわ」

「ありがとうございます」


 ひよりが、深く頭を下げた。


「その代わり、今後ははっきりお断りします」

「だろうな」


 男は、苦笑いしながら車に袋を積み込んだ。


「じゃ、コーヒーだけ買ってくわ」


 その一言で、駐車場の空気がふっと軽くなる。



 レジで会計をしながら、男はぼそっと言った。


「ここ、前よりPOP増えたよな」

「そうですね〜、“客の数だけPOPが増える店”なんで」


 美希が、いつもの調子で返す。


「じゃ、次来たとき、“ゴミ箱預かりサービス”始まってたら笑うわ」

「それは絶対やらないので、安心して来てください」


 レイさんがきっぱりと言って、男もつられて笑った。


 チャイムが鳴る。


 カラン、コロン。



 客足が途切れたタイミングで、バックヤード。


 ノートPCの画面には、新しいカルテが開かれていた。


 ——【クソ客カルテ No.007】

 種別:家庭ゴミドラゴン(初期型)

 特徴:家庭/事業ゴミをゴミ箱横に大量放置/「今までの店はOK」主張

 対応:ゴミ箱利用ルールPOP掲示/本人への直接説明/市のルール提示


「“初期型”ってことは、まだ救いがあるパターンですか?」

「そうだな」


 レイさんが、備考欄を指さす。


 ——備考:説明後、持ち帰り&購入あり/暴言なし/改善余地大


「“話が通じるけど、線を知らなかっただけ”って人は、“普通の客側”に戻ってくることが多い」


 ひよりが、カルテの端に小さく書き足す。


 ——メモ:今後も同一車両での大量投棄が続く場合、市・警察に相談


「“相談する用のログ”も、ちゃんと残しておきましょう」

「ログで殴る前の、ログで守る、ですね〜」


 美希が、うんうん頷く。


「そうそう」


 レイさんが笑った。


「クソ客バスターズは、“クソ客”だけ見ていると胃がやられる。“普通の客”と“戻ってきた客”もちゃんと見て、バランス取れ」

「戻ってきた客……」


 俺は、さっきコーヒーを買って行った男の背中を思い出した。


 あの黒い袋が、次はちゃんと「集積場」に並んでいることを願うしかない。



 その日の深夜。


 夜勤に引き継ぐ前の外回り点検で、もう一度駐車場を見に行った。


 外のゴミ箱のまわりは、朝とは違って、すっきりしている。


「……何もない」


 思わず、ほっと息をついた。


 自動ドアから出てきた美希が、POPを見上げる。


「“家庭ゴミ・大量のゴミはご遠慮ください”かぁ」

「ちょっと角が立つかな、と思ったんですけど」

「いいと思いますよ」


 美希が、笑った。


「“角を出しておかないと、刺さる場所が分からない”ですから」

「うわ、名言っぽい」


 俺が笑うと、美希は肩をすくめた。


「直人くん、明日の朝も駐車場チェックお願いしますね〜」

「はーい、“家庭ゴミドラゴン観察員”やります……」


 店内に戻ると、レイさんがホワイトボードに一行書き足していた。


 ——“線を引くのを先延ばしにすると、クソ客と店、両方が苦しむ”


「今日の教訓ですか?」

「そう。“今日怒られるより、十年後に思い出して死にたくなるほうがまだマシ”ってタイプもいるからな」

「ブラックだな店長」

「でも、ちょっと分かるでしょ?」


 心当たりが多すぎて、何も言えなかった。


 駐車場の外灯の下で、新しいPOPが、夜風に少しだけ揺れていた。

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