第6話 クーポンゾンビ、レジ前でよみがえる
——コンビニのレジ前には、死なないものがいる。
賞味期限切れの弁当じゃない。店員の残業欲でもない。
一度使ったはずのクーポンだ。
「直人、最近“クーポン”どう?」
昼ピーク前、レイ店長がレジ画面を覗き込みながら聞いてきた。
「どう、って?」
「スマホアプリ見せながら、“あ、このクーポンも使える? これも? これも?”ってやつ、増えてないか?」
「……あ〜」
心当たりがありすぎて、思わず天井を見上げる。
「“使えるなら全部使ってくださいよ〜”って、とりあえず出してくる人はいますね」
「それ自体は別にいいんだけどな。問題は、“条件を読まないままゾンビみたいに繰り返すやつ”だ」
レイさんは、レジ横の引き出しから一枚のメモを取り出した。
「本部から来た、“最近のクレーム傾向”な」
——『アプリクーポン
・対象商品でないものにも適用を要求
・使用済みクーポンの再利用要求
・期限切れクーポンの強要』
「これが全部、“クーポンゾンビ”の仕業ってことですか」
「そう。“一度死んだはずの割引”が、レジ前で何度もよみがえろうとする」
「名前のセンスだけは本当にどうにかしてほしい」
「現場の心の健康のためです」
いつものやり取り。
ひよりが、棚から在庫表を抱えたまま近づいてくる。
「本部から、“クーポン運用を見直してほしい”ってメールが来てましたね」
「“現場でルールを可視化してくれ”ってな」
レイさんは、ホワイトボードに大きく書いた。
——クーポンゾンビ対策
①条件を可視化する
②“レジ判断”を減らす
③ログを残す
「今日はこれやる。特に①と②」
「また授業が始まった……」
◇
昼ピークが過ぎ、少し落ち着いた頃。
スマホ片手のお客さんが増える時間帯だ。
「いらっしゃいませー」
スイーツコーナーから、若い女性が二人、レジ前にやってきた。
一人は黒髪ロング、もう一人は明るめの茶髪。
どちらもスマホを握りしめている。
「これと〜、これと〜……あ、クーポン使えますか?」
黒髪の女性が、スマホ画面を差し出してきた。
アプリには、「スイーツ30円引き」のクーポンが三枚並んでいる。
「はい、対象商品でしたらご利用いただけます」
俺は笑顔で受け取り、レジ画面を確認する。
「えっと、こちらのプリンは対象で、このシュークリームは——」
「全部スイーツだからOKじゃないですか?」
茶髪のほうが口を挟んだ。
「“スイーツ30円引き”って書いてありますよ?」
「“対象のスイーツ”なので、こちらのブランドのものだけになります」
俺が案内すると、黒髪のほうが「あ、そうなんだ」と素直に頷いた。
「じゃあプリンだけでいいや」
——ここまでは、ただの“普通のやり取り”。
本番は、その三人後ろにいた男だった。
◇
「次のお客様、どうぞー」
レジ前に、四十代くらいの男がドンと商品を置いた。
カゴの中身は、唐揚げ弁当、お茶、スイーツ、日用品。いかにも「ついで買い」の集まりだ。
「クーポン、全部使えるよね?」
スマホ画面をこちらに突き出してくる。
画面には、さっきと同じ「スイーツ30円引き」が三枚。さらに「おにぎり20円引き」「ホットスナック10%オフ」など、いろいろ並んでいる。
「対象の商品には、ご利用いただけます」
「“全部使えるか”って聞いてんの」
「対象商品と、クーポンごとに——」
「細けぇなぁ。“使えるクーポン全部使います”ってボタン付けとけばいいのに、これだから現場主義はよぉ」
現場主義をディスられても困る。俺は、落ち着いて一つずつ確認していく。
「まず、こちらのスイーツには、このクーポンが一枚使えます。ただ、同じクーポンは一会計につき一点までなので——」
「なんで? 三枚あるじゃん」
「三回分使える、という意味になります」
「じゃあ三回分使ってよ」
「本日一回目のご利用になりますので、次回のお買い物の際にもまたお使いいただけます」
「いやいや、それはそっちの都合でしょ?」
男の声が、一段階大きくなる。
「こっちは今まとめて買ってるんだから、三枚全部使えるようにしろよ。“お客様は神様”なんでしょ?」
出た、そのフレーズ。もう聞き飽きた。
「申し訳ありません。クーポンごとの利用条件は、アプリにも記載されておりまして——」
「そんな細かいの読んでられるかよ」
「その一言、クーポンゾンビの合言葉ですよね〜」
隣のレジで会計をしていた美希が、
小声で毒を吐いた。
「なんだそれ」
「いえ、なんでも」
俺は、アプリ画面を男に向けて見せる。
「こちら、“一会計お一人様一回限り”と書かれておりますので——」
「だから、それを“今”三回やればいいじゃん。
その場で打ち直せば?」
「……」
レジ画面を見て、俺は一瞬だけ固まった。
たしかに、理屈だけなら「三回に分けて会計」すれば、クーポン三回分使えなくもない。
でも、それを許すと——
“クーポンだけで行列を作るクソ客”が増えるのは目に見えている。
(どうする……?)
そのとき、背後からレイさんの声が飛んだ。
「直人、その案件、ケーススタディだ」
(嫌な予感しかしない)
◇
レイさんが、レジの横に立った。
「クーポン、全部使いたいんですよね?」
「そうだよ。せっかく三枚あるんだから、もったいないだろ」
「もったいないのは分かります。でも、“並んでいる他のお客様の時間”も、同じくらい大事なんですよ」
後ろには、すでに三人ほど列ができている。スーツ姿の女性、学生らしき二人組、高齢の男性。
「クーポン三回分使うために、会計を三回に分けることは確かにできます。でも、そのたびに“袋は”“温めますか”ってやり取りして、バーコード打ち直して、支払い方法選んで——」
「いいよ、袋いらないからさ。ちゃちゃっとやってよ」
「“ちゃちゃっと”で済むなら苦労しねぇんだよなぁ」
美希が、隣のレジでボソッと言う。レイさんは、男からアプリ画面を受け取り、ひよりのほうをちらりと見た。
「ひより、“例のやつ”」
「はい」
ひよりが、レジ前のPOPを指さした。
——『クーポンご利用について
・クーポンは「表示の条件」に沿ってご利用ください
・同一クーポンの複数同時使用はできません
・会計を分けての繰り返し利用はご遠慮ください
※公平なご利用のため、ご理解とご協力をお願いします』
「本日から、このようなお願いを掲示させていただいております」
「は? いつの間にそんなの——」
「今日です」
ひよりが即答する。
「本部から“クーポン運用の線引きを明確にしてください”という依頼がありまして。“会計を分ければ無限に使える”という運用は、全店でNGになりました」
「NGって、“誰目線”のNGだよ」
「お客様全員目線のNGです」
レイさんが、静かに言った。
「クーポンって、本来は“ちょっと得して嬉しい”ためのものなんですよ。“他のお客様より俺だけ得しよう”って使い方になると、だいたい空気が死ぬ」
「空気とか知らねぇよ」
「ですよね。だから、“空気”じゃなくて“ルール”で止めます。」
その一言で、男の眉がぴくりと動いた。
「今後、クーポンの“連続会計利用”をされたお客様については、時間帯・使用状況を本部に報告することになりました」
美希が、ノートPCを開きながら補足する。
「“問題のある使い方”をされているアカウントについては、アプリ側でクーポン配布の制限が行われる場合があります」
「は? そんな監視してんの?」
「してますよ〜。“クーポンって“お店からのプレゼント”ですからね。“プレゼントをぐしゃぐしゃにして踏みつける人”には、次からあげないでおこうって話です」
言い方は笑顔だが、目が笑っていない。
◇
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」
男は、少しトーンを落として言った。
「三枚あるのに、一枚しか使えないとか、ケチくさくね?」
「ケチかもしれません」
ひよりが、あっさり認める。
「ですが、“今日は一枚”“別の日にもう一枚”使っていただければ、結果的には三回分嬉しい思いができます」
「……」
「一回の会計で“ドカンと得したい”のか、数回に分けて“ちょっとずつ得したい”のか。お店としては、後者を応援したいだけです」
「そういう綺麗事、よく出てくるなぁ……」
男は、少し鼻で笑った。
そのとき、後ろに並んでいた高齢の男性が、
小さく手を挙げた。
「あの」
「はい、申し訳ありません。少々お待ちください」
「いえね」
おじいさんは、柔らかい目でこちらを見た。
「わし、この前、クーポン使い方分からんくてね。この兄ちゃんに、“次も使えますよ”って教えてもろうたんよ」
俺のほうを指さしてくる。
「“一回で全部使えないんですか”って聞いたら、“その代わり、何回来ても使えますからね”って。ちょっと嬉しかったんじゃ」
「……」
男が、ちらっと俺を見た。
「“一回でドカン”より、“何回か来てください”ってスタイルなんだろ。そういう店なんじゃと思ってた」
おじいさんは、にこっと笑った。
「わしは、そういう店のほうが、また来たくなるけどねぇ」
「ありがとうございます」
思わぬ援護射撃に、俺は慌てて頭を下げる。
◇
空気が、少しだけ柔らかくなった。男は、アプリのクーポン一覧を見下ろす。
「……じゃあ、一枚だけ使えよ」
ぶっきらぼうに言った。
「えっと、こちらのスイーツに適用させていただきますね」
俺は、レジ画面でクーポンを適用する。
ピッ。
「お会計、八百九十円から、クーポンで三十円引きで、八百六十円になります」
「……」
男は千円札を出し、無言でカウンターに置いた。
「千円お預かりします。お釣り百四十円と、こちら商品になります。レシートはご利用になりますか?」
「……一応、もらっとく」
レシートを受け取る手つきは、さっきより少しだけ落ち着いていた。男は、商品を袋に詰めながらぼそっと呟く。
「次来たときも、クーポン残ってんだよな?」
「はい。表示が消えるまでは、ご利用いただけます」
「……じゃあ、まあいいわ」
それだけ言うと、男は店を出ていった。
チャイムが鳴る。
カラン、コロン。
◇
客足が途切れたところで、俺たちはレジ裏に集まった。
「——お疲れ」
レイさんが、ぽんと俺の肩を叩く。
「今のが、“クーポンゾンビ”基礎編な」
「基礎編……」
「そう。まだ“期限切れ”とか“他人のクーポン”とかの上位種がいる」
「上位種とか言わないでください」
美希が、ノートPCの画面をこちらに向ける。
——【クソ客カルテ No.006】
種別:クーポンゾンビ(基礎型)
特徴:同一クーポン複数同時使用要求/会計分割要求
対応:POP掲示+本部方針共有/アカウント利用状況ログ送信
「さっきの人、“完全に真っ黒”ってほどでもないですね〜」
美希が、カルテの備考欄に書き足す。
——備考:ルール説明後、一枚利用で納得/暴言なし
「“得したい”欲が暴走しかけただけ、って感じですね」
「そういうのも、“クソ客候補”として記録しとく」
レイさんが、カルテのタイトルを指でトントンと叩く。
「モンスター化する前に、線引きを見せとくって意味でな」
「さっきのおじいさんの一言、かなり効いてましたね」
俺が言うと、ひよりが小さく笑った。
「“普通のお客様”の存在を、“クソ客”に見せるのも、可視化の一種ですから」
「“お前だけが客じゃないぞ”ってやつですね〜」
「直球だな」
俺たちは苦笑し合う。
◇
「でもさ」
ふと、俺は前から気になっていたことを口にした。
「クーポンって、やっぱり面倒じゃないですか? “対象商品がどうこう”とか、“一会計一回限り”とか。最初から“全部一律で安くする”ほうが、楽なんじゃ……」
「楽だな」
レイさんは、あっさり頷いた。
「でも、それやると、“ちゃんと定価で買ってくれるお客様”からも一律で値引きすることになる」
「……あ」
「クーポンってのは、“わざわざアプリ入れてくれた人”とか、“わざわざ来てくれた人”に、ちょっとだけお礼するための仕組みなんだよ」
レイさんは、レジ画面のクーポンボタンを軽く叩いた。
「だから、“一部の人が無茶な使い方を始める”と、“全体として見たときに損しかないからやめよう”って話になる」
ひよりが、静かに言葉を継ぐ。
「そうなると、“ちゃんと使ってくれていた普通のお客様”が、一番損することになります」
「……あー……」
俺は、さっきの高齢のお客さんを思い出した。
クーポンの使い方が分からなくて、照れながら俺に聞いてきた人。
「あの人のためのクーポンを、クーポンゾンビに全部食われたら、やりきれないですよね」
「そういうこと」
レイさんが、ニヤッと笑う。
「クソ客バスターズの仕事は、“クソ客をやっつけること”じゃなくて、“普通のお客さんの楽しみを守ること”だ」
「……なんか、カッコよく聞こえるな、それ」
「で、そこに“ログ”と“POP”が必要になるわけですよ〜」
美希が、レジ前の壁を指さす。
そこには、また新しいPOPが増えていた。
——『クーポンはみんなで、気持ちよく。
・同じクーポンの連続使用はご遠慮ください
・対象商品・条件はアプリ画面でご確認ください
ご協力ありがとうございます!』
「最後、“ありがとうございます”で締めるの、地味に効きますよね」
「“お願い+礼”は、人間関係の基本ですから」
ひよりが、ホワイトボードの「クーポンゾンビ対策①〜③」を消しながら言う。
「で、次は——」
「上位種?」
俺が先に口にすると、レイさんが嬉しそうに指を鳴らした。
「そう。“期限切れクーポンゾンビ”と、“他人のクーポンゾンビ”」
「名前分けなくてよくない?」
「現場の心の健——」
「それもういいです」
全員で笑ったちょうどそのとき。
レジのチャイムが鳴った。
カラン、コロン。
スマホ片手のお客さんが一人、少し不安そうな顔でレジに近づいてくる。
「あの、すみません」
「はい」
「このクーポン、“今日まで”って書いてあるんですけど……、使い方、教えてもらってもいいですか」
画面には、「本日まで有効!」と大きく表示されている。
「もちろんです。一緒に確認させていただきますね」
俺は、クーポンのバーコードを読み取りながら、心の中で一つだけ決めた。
——この人みたいな“普通のお客さん”が、
一番得する世界にしたい。
そのためなら、クーポンゾンビくらい、
いくらでもログで殴ってやる。
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