第1話 スタートダッシュ 🚀

AIDENの画面に、小さな花火みたいなアニメーションが散った。🎆


「チュートリアル完了、おつかれさまでした」


その下に、進捗バーが100%になっている。

ゲームならここからが本番だけど、これはゲームじゃない。

失敗しても「やり直す?」ボタンはない。


「……じゃ、数学からいきますか」


リナは、右手の指先で「数学 I・A」のアイコンをタップした。

吹き出しの中から、淡い青色のコメントがふわりと出る。💬


AIDEN:「得意ではないけれど、避けたくない科目を最初に選ぶのは、

長期的な成果において有利な行動です」


「褒め方がいちいち冷静なんだよなぁ」


ぼやきながらも、胸の奥はちょっとだけくすぐったい。

“得意ではないけれど、避けたくない”――

それは確かに、今のリナ自身に近かった。


最初のユニットは「確率」。🎲


「コインを3回投げたとき、表が2回出る確率を求めよ」


画面に現れた問題を見て、リナは眉をひそめた。


「……あれ? なんか、見たことあるやつだ」


中学のとき、試合前のバスの中で問題集を解いていた記憶がよみがえる。

あのときは、試合の緊張で頭がどこか上の空だった。


「えっと……3C2 × (1/2)^3 だから……」


指で簡易メモ欄に式を書き込むと、AIDENが小さく反応する。


「組合せの式を自力で想起しましたね」


「実況しなくていいから😅」


Enterキーを押すと、すぐに画面が切り替わって、

正解の○と、かかった時間が表示された。


「正解! 思考時間:24秒」


その隣に、緑のバーがぴょこんと伸びる。📊


「初回としては、とても速いです。

強み:問題に取りかかるまでの迷いが少ない。

課題:途中確認のステップが不足気味。」


「……なんでわかるの、それ」


メモ欄のスクロールを戻すと、

自分が書いた式の途中にある“消し跡”までハイライトされていた。


「3C2 × (1/2)^3」

→ 途中「3C1」と書きかけて消した痕跡


AIDEN:「組合せの数字を一瞬だけ迷いましたが、

すぐに修正していますね。

“走り出しは速いが、確認のストライドが短い”タイプです。」


「ストライドって言った? 走りに例えた?」


どきっ、とした。

このAIは、どこまで知っているんだろう。


10問ほど解くころには、画面の下に小さなグラフが生まれていた。


「正答率:80%

 平均解答時間:28秒

 迷い指数:低〜中」


迷い指数、って何。


AIDEN:「解答開始までの時間、

メモ欄での修正回数などから推定しています。

あなたは“スタートは速く、途中で少しだけ呼吸が荒くなるタイプ”です。」


「比喩がいちいち陸上部なんだよなぁ……」


思わずつっこんでから、ふと気づく。


(でも、ちょっと……うれしいかも)


走れなくなってから、誰もリナを「走る人」として見てくれない。

部活の仲間も、今は新しいメンバーのタイムで盛り上がっている。


画面の中のAIだけが、

まだリナのことを「スタートが速い」と評してくれた。


「どう、やってみて」


放課後、職員室前の廊下で声をかけてきたのは山本先生だった。

ジャージの上にワイシャツという、いつ見ても体育会系のミスマッチ。👟👔


「まあ……なんか、全部見られてる感じはしますけど」

「そうだね。あれは“君の粘り方”まで記録するから」


先生はそう言って、ペットボトルのお茶を一口。


「でもさ、リナ。

 AIが記録してるのは、“できた”か“できなかった”かだけじゃないんだ」


「知ってます。解き始める速さとか、間違い方とか」


「そう。君が、どうやって考えたか。どこで迷ったか。

 そこまでちゃんと見てくれる。

 それをね、俺はちょっと羨ましいと思ってるんだよ」


「先生が、ですか?」


「授業で30人一度に見てると、一人ひとりの“粘り方”までは追い切れないからさ。

 AIは、そこを補ってくれる。

 で、俺がやるのは――」


先生は、目を細めてリナを見た。


「“高い基準と、君への信頼”をちゃんと伝えること」


どこかで聞いたフレーズだ。

AIDENの設定画面で見た、三つ目のチェック欄。


「だから、これからもときどき厳しいことを言うと思う。

 それは、“君ならもっといける”って思ってるからだと思ってくれ」


「……はい」


口ではそう言いながら、

心のどこかで「ほんとかな」と疑う自分もいる。


(もし、AIDEN使っても成績上がらなかったら?)


(そのとき先生は、“やっぱり君には向いてなかったね”って思うんじゃない?)


廊下の窓から見える夕焼けが、

妙に重たいオレンジ色に見えた。🌇


「で、実際どうなのよ、AI漬けの新生活は」


寮に戻ると、ユウマがベッドに寝転びながら聞いてきた。

スケッチブックをお腹の上に乗せて、ペンをくるくる回している。🖊️


「AI漬けって表現やめて」

「脳みそがデータに味付けされてく感じ」

「それ、なんかおいしくなさそうなんだけど」


リナは自分のノートPCを開いて、今日のダッシュボードを表示した。


画面には、淡い色で折れ線グラフが並んでいる。📈


「これね、今日の結果」


「うわ、なにこれ。ゲームのステータス画面みたい」


ユウマが興味津々で覗き込む。


「正答率80%、平均解答時間28秒……“迷い指数・低〜中”……

 なに、迷い指数って。僕にも表示してほしいんだけど」


「ユウマの迷い指数、高そう」

「やかましい。芸術家は迷ってこそですよ」


そう言いながらも、ユウマの瞳はグラフから離れない。


「……なんかさ」

「ん?」


「こうやって、全部数字になるの、怖くない?」


ポツリとこぼれた言葉に、

リナは思わず画面を閉じかけて、やめた。


「怖いよ。でも、数字にしてもらわないと、

 “まだいける”って証拠もないじゃん」


「証拠、ねぇ……」


ユウマは天井を見上げた。


「僕さ、デッサンの先生に“ここが弱い、ここが甘い”って

 赤ペンでバンバン描き込まれるの、正直けっこう平気なんだよね」


「え、平気なんだ」


「だって“ここを直せば、もっとよくなる”って、

 ちゃんと線で見えるからさ。

 でも、AIにずっと“記録されてる”っていうのは……なんか違う怖さある」


リナは黙って、自分の胸のあたりをさわった。

そこに見えないセンサーがついているみたいで、落ち着かなくなる。


「……でもさ」


ユウマが、横目でちらりとリナを見る。


「君、AIと相性よさそうだよ。

 真っ直ぐだし、グラフとか目標とか、なんか好きそうだし」


「褒めてるの? それ」

「うん。僕にはどうやっても無理だなーって意味で、めちゃくちゃ褒めてる」


変な褒め方。

でも、少しだけ肩の力が抜ける。


夜、部屋の明かりを落とし、

デスクライトだけがぽつんと光っている。💡


AIDENの画面に、新しい通知が出ていた。


「今日のふりかえりを実施しますか?」

□ はい

□ いいえ


リナは「はい」を選ぶ。


AIDEN:「一日の学習、おつかれさまでした。

今日のあなたについて、正直な感想を教えてください。」


「え、私が評価するの?」


AIDEN:「はい。あなた自身の評価も、

学習モデルにとって重要なデータです。」


リナは少し考えてから、キーボードを打った。


「もっとできるはずなのに、

まだ全然たりない感じがする」


送信すると、数秒間の沈黙。

その間に、何万回分ものログが読み込まれているのかもしれない。


AIDEN:「高い基準を、自分に課していますね。

それは長期的には大きな武器になります。🛠️」


AIDEN:「いっぽうで、“今できていること”を

適切に評価することも大切です。」


AIDEN:「今日わかった、あなたの強みを

ひとつ、教えてもらえますか?」


「強み……」


画面の前で固まる。

今日一日、自分を責める言葉ならいくらでも出てくるのに。


(強みなんて、あった?)


でも、先生もAIも、やたら「君には強みがある」って言う。

それがただのテンプレじゃないとしたら――

何か、探してもいいのかもしれない。


リナは、そっとタイピングする。


「難しそうな問題でも、とりあえず手を動かすところ」


AIDEN:「それは、素晴らしい強みです。✨

その“スタートダッシュ”は、これから何度もあなたを助けます。」


画面の下で、今日のグラフに小さな星マークがついた。⭐


「本日のハイライト:

“迷わず走り出せること”という強みに気づいた」


(走り出す……か)


膝は、もう全力では走れない。

でも、頭のなかのスタートラインだけは、

まだ何度だって前に引き直せるのかもしれない。


ベッドに潜り込みながら、

リナは天井を見つめた。


(これでうまくいかなかったら、どうしよう)


AIDENを使っても成績が伸びなかったら。

グラフがずっと低空飛行のままだったら。


(そのとき、私の“価値”って、どこに残るんだろう)


スマホの画面を開くと、ユウマからメッセージが来ていた。📱


【ユウマ】

「AIに魂売る契約書、ちゃんと読んだ?w」


【リナ】

「細かい文字いっぱいで途中から飛ばした」


【ユウマ】

「じゃあまだ大丈夫だ、全部は売ってない✨」


くだらないスタンプが連投される。

笑いながらも、さっきまでの不安が、少しだけ遠のいていく。


(全部は、売ってない)


AIにログられる自分もいるけど、

そこに映らない自分も、きっとどこかにいる。


AIDENのホーム画面に戻ると、

「明日のおすすめメニュー」が提案されていた。


「確率・応用問題(集中45分)

英語・単語テスト(軽め15分)」


AIDEN:「明日も、一緒に走り出しますか?」


リナは、そっとタップする。


「はい」


スタートダッシュは、まだ助走みたいなものだ。

けれどその足音は、

確かに“走ることを奪われた自分”から、

“問い続ける自分”へと少しずつ変わり始めていた。


窓の外で、夜風がカーテンを揺らす。

新しい一年のトラックは、

静かに、しかし確かに、伸びていく。🌙🚀📚

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