コンテストの優勝者

 60分はあっという間に過ぎてしまいそうだ。


 フェラーリの後部座席に身を預けながら、車窓の外を眺めていた。


 流れていくタワーマンション群が、青空を反射してキラキラ光っている。

 

 その奥には緑の濃い高級住宅街が広がっている。


「ありがとう、矢吹」


 ふと漏らした私の言葉に、前の席の彼は、カーミラー越しに私をまっすぐ射抜いて来た。


「はて。


 なんの事でしょう?


 お嬢様にお礼を言われる心当たりはありませんが」


「店に着く時間も、出る時間も、計算してくれたんでしょう?


 ゆっくりミルクティーを味わいたい私の性格まで見越して」


「お嬢様がミルクティーを残されたことなど、私がお仕えした頃から一度もありませんので。


 当然のことをしたまででございます」


「……そうやって覚えててくれるの、嬉しいわ。


 好きよ、そういうところ」

 

 自分でも驚くくらい素直な言葉が出て、思わず視線を逸らした。

 

 窓の外の景色は相変わらずまぶしくて、頬が熱くなっているのが分かる。

 

 フェラーリは、昼休憩が終わる十分前に会場外の駐車場へ滑り込んだ。


 会場に戻ると、あの大声でおなじみの司会者が、アナウンスしていた。


 うるさいわね、ほんと。


 何とかならないの?


「え〜、もう間もなく第3R、アジリティーを開始いたします!


 皆様はこれより競技場のほうへ移動をお願いしまーす!」


 ……は?


 歩くの?

 

 ここから?


 正直、歩きたくないんだけど。


「矢吹! 


 移動するって最初から知ってたんでしょう?

 

 競技場に直接フェラーリで行かなかったのは何で?」

 

 私が文句をぶつけると、彼はやけに真面目な声で返してきた。


「彩お嬢様。


 少しはお歩きになりませんと。お身体に良くありません」


 ……もう、何を言っても無駄ね。

 

 私の健康にまで世話を焼いてもらわなくてもいいわよ、まったく。


 競技場に着くと、麗眞からメールが入った。


 警備として選手を誘導した際、美崎と奈留ちゃんが何かを話していたらしい。


『分かったわ。


 報告ありがとう。


 何かあったらすぐ言うのよ?』


『分かってる』


 メールのやり取りはそれだけだった。


 美崎と奈留に接点があるとは思えない。


 何かこの後に接触をされるかもしれない。


 その可能性は、頭に入れておく。


「いよいよ最終ステージだ!


 最終ラウンドはアジリティー!


 ハードルで飛び、トンネルを駆け抜け、スラロームでくぐれ!


 シーソーを駆け抜けろ!


 犬とハンドラーが一瞬の判断力とスピードで勝負!


 ミスが許されない、まさに“速さ”と“正確さ”の戦いです!


 さぁ、犬と君たちの絆を見せてくれ!」


 相変わらず、うるさい司会ね。


 あれ、何とかならなかったの?



 アジリティーは、順調に進んでいった。


 競技場に着くと、空気がもうすでに張りつめていた。

 

 椎菜ちゃんがパピヨンのレオンを連れてスタート位置に立つ。

 

 号砲が鳴いた瞬間、レオンは飛ぶように動き出した。

 

 最初のハードルを迷いなく跳び越え、トンネルにも一切の躊躇がない。


「Great、レオン!」

 

 椎菜ちゃんの声に応えるように、レオンはさらに加速した。

 

 スラロームも完璧、シーソーも迷いなく駆け抜ける姿。


 そしてゴール。

 

 文句のつけようがない……いや、これは本気で優勝候補ね。


「完璧に近い成功です! 減点0秒!」

 

 スタッフの声が響く。


 椎菜ちゃんはホッとしたように、レオンを何度も撫でていた。



 あの1人と一匹、ほんとにいいパートナーだわ。

 


 次は奈留ちゃんの番。

 

 チワワのココアと並んで立つ彼女の背中は、さっきより微妙に緊張して見えた。

 

 号砲。

 ハードルは飛んだものの、少しタイミングが遅れた。

 けれど大きな問題じゃない。


「大丈夫!


 ココア、次だよ!」

 

 奈留ちゃんの声は落ち着いていた。


 そのおかげか、ココアはトンネルもスラロームも素早くこなし、力強く走り続ける。


 ……ただ、シーソーでわずかに躊躇して、踏み出しが遅れた。

 

 バランスを崩しかけたけど、すぐに立て直したのはさすが。

 

 結果は減点0.5秒。


 充分よ。


 現時点でトップ3に入るってスタッフが褒めていた。

 

 でも……何か気になるのよ。

 

 さっきから、奈留ちゃんの顔が少し硬い。

 

 緊張だけじゃないはず。


 さっき麗眞から来たメールの文面が頭をよぎった。


 何かあったの?


 続いて城竜二 美崎のジャックラッセル、マックス。


 ……まあ、予想してたけど、ひどかった。


 ハードルは拒否、トンネルは途中で出てしまった。

 

 挙げ句の果てにはコースを外れて観客席の方向へ歩いて行く始末。

 

 完全に美崎の指示なんて無視している。

 

 審判が失格を宣告するのを聞いて、私は思わず小さく息を吐いた。


 アジリティーが終わり、30分の休憩に入った。

 周囲では選手同士が労い合っていて、私もほっと胸をなでおろしたところだった。


「お久しぶりです! 


 雅志先輩!

 

 その節はいろいろお世話になりました!


 大学のときから変わらないですね、鬼軍曹ぶり」

 

 椎菜ちゃんが葦田に声を掛けていて、私は思わず目を丸くした。

 

 え? 


 知り合いだったの?


「 俺なんかより立派に獣医師やってるじゃん。


 安心したよ」


 

 それはそれとして――奈留ちゃんの姿が見えない。

 

 トイレにしては遅すぎる。


 何よ。


 葦田と、また甘いイチャイチャでもおっぱじめるのかと思ってたわ。


 何してるのよ。


 時計の針は無情にも、結果発表の時刻を示してしまった。



「優勝は、エントリーナンバー9番、

 矢榛 椎菜やはり しいなさん!



 文句なしの審査員全員満点を獲得!


 ぶっちぎりで優勝を手にしました!」


 麗眞も喜んでるわね、きっと。


 肝心の麗眞がいないけれど。


 きっと、奈留を探してくれているんだわ。


「続いて、準優勝の発表に参りましょう!



 エントリーナンバー6番、三咲 奈留さんです!」



 ――準優勝の名前が読み上げられた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。


「……奈留?」


 どれだけ目をこらしても、どこにもいない。


 さっきまであんなに堂々と走っていたのに。


 姿がないだけで、こんなにも不安になるなんて思わなかった。



 もう一度辺りを見回したところで、スマホが震えた。


 麗眞からだ。


『奈留ちゃんはすぐ来るよ。


 古い倉庫に閉じ込められてたの。


 俺が助けたから』


 脳が、その文面を理解することを拒否した。


 ……閉じ込められた?


 どうして。

 誰が。



「三咲 奈留、ここです!」


 震えた声が会場に響き、私は反射的に振り返った。


 入口から駆けてくる奈留ちゃん。


 右側の髪が不自然に短くて、乱れた息遣いのまま立ち止まる。



「おめでとう」


 声がやっと出た。


 優勝トロフィーを抱いて笑う椎菜ちゃんの方まで見渡す余裕なんて、正直どこにもなかった。


 奈留ちゃんが無事で、ほんとによかった。


 ロビーへ向かう途中、私は足を止めた。


「麗眞。


 奈留ちゃんが閉じ込められたって、何があったのよ」


 抑えていた声が、思ったより強く出た。


 麗眞は振り返り、いつもの落ち着いた目で私を見る。


「奈留ちゃん……だっけ?


 あの子、使われてない倉庫に閉じ込められてたの。


 城竜二 美崎とすれ違ったときに教えてくれたんだよ」


「美崎が?」


「倉庫に閉じ込められてるってことと、段ボールをよじ登った先に小さい窓があるってこと。


 そこで髪が挟まって、自分じゃ抜けられなかったんだ」


 一瞬、息が詰まる。


「……髪、切ったの?」


「不本意だけどね。


 あの子の編み込み、すごく似合ってたからさ」


  麗眞が悔しそうに呟く。

 


 悔しさなのか安堵なのかも分からない。


 胸の奥がぐちゃぐちゃだ。


「そうなの?


 ありがとう、麗眞。


 教えてくれて。


 おかげで、はっきりしたわ」



「祝賀会のホテルには必ず行くわ」



 たった一言。


 それだけを皆に告げて、ロビーへと駆けた。



「やっと見つけたわ。

 ……美崎」



「……彩」



「やっと、そう呼んでくれたわね」


 その呼び名は、昔以来だ。


「このコンテスト自体も……。


 あの第1R のフィラリアに感染した犬や狂犬病の犬も。


 フリートークの犬を飼っていない女性も全て。


 奈留ちゃんを倉庫に閉じ込めたのも。


 ……美崎。


 貴女の意志じゃないんでしょ?」



「……何で……分かったのよ」



「本気で驚いてたでしょ?


 あの女の人が倒れたときも。


 しかも、注射器まで出そうとしてたし。


 それが本気で人を陥れようとしている人の態度とは思えなかった。



 あと、教えたんでしょ?


 私の弟の麗眞に。


 奈留ちゃんがどこに閉じ込められてるか」



「さすが……


 相変わらず鋭いわね、彩は」



「ねぇ……美崎。


 教えて?


 何で……こうまでして自分の意志に反したことをするの?


 聞かれちゃヤバイ話なら時間と場所を改めて話をしましょう」



「ごめんね?


 彩……。


 それだけは……まだ言えないの。


 貴女が親友として心配してくれてるのも分かってはいるわ。


 でもね。


 私は……あの人には逆らえないから。



 逆らったら、生命が危ないんだもの」



 美崎は、それだけを言って、私の横を早足ですり抜けると、会場を出ていった。



 その横顔には、ほんの少し、昔の面影が残っていた。



「美崎……」



 小さく呟いて、手近なソファーに腰をおろしたところで、矢吹に声を掛けられた。


 偵察してたわね。


 まったく、懲りない男。


「彩お嬢様。


 そろそろ、一度お屋敷に戻ってお支度を致しませんと」



 そうね。


 有能な執事の言うとおりだわ。


 祝賀会のための身支度しないとね。



「急ぐわよ?

 矢吹」


「はい。彩お嬢様の仰せのままに」

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