ディストピア小説 〈声の物語〉アトウッド『侍女の物語』『誓願』を読む

第1回 すぐそこにあるディストピア


 ジョージ・オーウェル『一九八四年』を読み、『100分de名著』でアトウッド『侍女の物語』『誓願』を観賞。テキストも電子書籍で購入した。


『誓願』の意味は「聖書の誓約」に近いが、興味深いのは「声」の問題である。何も考えずに神の声を聴くことは、実際には指導者の声に置き換えられる。短歌や俳句の声とも通じる。自然のまま詠むことを説かれるが、そこにも解釈者の影響が入り込み、知らずにそれを本の言葉だと信じ込むことになる。

 文字を学び自ら本を読むようになると、声との対話(批評)が生まれ、作者の声が聞き取れるようになる。この点はデリダの「書き言葉」の問題と重なる。


 リディア小母は体制内反抗者だが、成功例が少ないため信じにくい。体制内反抗は体制を強化する場合が多く、紫式部の例も似ている。橋本治の『源氏物語』解釈は鋭い。『誓願』の三人の語り手――リディア小母、司令官の娘アグネス、自然児デイジー――の描き分けは見事で、個人的にはデイジーが魅力的だった。


 ディストピアはユートピアの並行世界ともいえる。プロレタリア文学と異なり、ディストピアには揺れや視点の多様性がある点が文学的に重要である。


 紫式部の侍女性描写は『侍女の物語』に近いかもしれない。現実には『源氏物語』の雅さを模倣した藤原氏の六条の都が存在し、栄華は清盛によって滅びていく。

 アトウッドは、暴君の出現は無関心と忘却によると説く。

 シェイクスピアもイギリス王室の混乱を外国王室として描き、歴史改変やフェイクの危険性を示した。


 個人の日記や語りが、偽りの歴史を暴く手段になる。『侍女の物語』も『1984』も、一人称での記録が中心であり、日常の感動を言葉にすることで全体主義に抗う姿勢を描く。


第2回 性搾取の管理社会


『侍女の物語』では女性は男尊女卑の中で階級化される。「小母」「妻」「女中」「侍女」の四階級があり、侍女は最下級で名前も呼ばれず、「オブフレッド」と呼ばれる。

 これは『源氏物語』の「桐壷の間」のように部屋や役職名で呼ばれる伝統に近い。


 性奉仕や奴隷的状況は歴史上も多く、奥村チヨ『恋の奴隷』や虞美人の物語にも通じる。橋本治は、こうした女性の立場は権力基盤を支える仕組みであったと指摘する。


『誓願』では、リディア小母が教育係として語り、他の女性キャラクターも自己主張を持って成長していく。 

 性処理としてのディストピア小説の例として、イアン・ワトスン『オルガスムスマシン』やリラダン『未来のイヴ』もある。


 現実の自由はなく、選択社会の中で二者択一を迫られる世界が描かれる。

『誓願』ではメーデーという組織が女性を救済するが、真の自由は存在しない。

 ユートピアがディストピア化するのは少数寡頭政治の独裁化であり、エリートを盲信する危険が強調される。AI任せの判断や権力者への依存も同様の構図を生む。


 アトウッドは『1984』を女性視点から書き換え、単なるパロディではない独自の文学を作り上げた。

侍女の物語』の欄外の議定書は過去の過ちを示しており、現代の政治状況に重なるテーマが見える。


第3回 言葉を奪われた女たち


 三人の語り手の立場の違いに注目すると、リディア小母は体制内の指導者でありながら反権力の側面も持つ。アグネスは指導者の娘として特権的立場にあるが、矛盾に気づき、反権力の道へ覚醒する。ベッカは個人主義的立場からアグネスに道を示す。最も冷静に状況を見抜くのはデイジーで、アトウッド自身のカナダという立場も反映されている。


 アトウッドの描くディストピアでは、権力者による解釈の独占に対抗する手段として、書くこと、記録すること、声を伝えることが重要である。

 これはデリダ『声と現象学』の議論にも通じる。


第4回 闘う女たち


 アトウッドはオーウェル体験から着想を得ている。『動物農場』では、支配者の豚ナポレオンが掟を改変し、権力を維持する。羊たちは権力を支持し、反抗を許さない。

『侍女の物語』『誓願』でも闘う女性が中心テーマであり、リディア小母は声を持つ指導者であり、書く人でもある。これは紫式部が教育係でありながら『源氏物語』を伝えたことに匹敵する。


 アグネスはリディア小母の後継者として重要で、ベッカの支援がなければ反権力の道は成り立たない。デイジーは外部の視点から現実の脅威を冷静に見抜く役割を持つ。アトウッドは『1984』批評を『侍女の物語』で行い、『誓願』では現実世界の脅威を描く必要性があった。


 まとめると、アトウッドのディストピア小説は以下の点で注目される。


 声と書き言葉の対比:指導者の声に支配される世界で、自ら読む・書くことが抵抗手段になる。


 性と階級の管理:女性は性奉仕の役割に階級化され、名前も奪われる。


 反権力の女性像:リディア小母・アグネス・デイジーがそれぞれ異なる立場から闘う。


 現実とのリンク:歴史改変・権力依存・情報操作など、現代の問題と重なるテーマ。


 文学的継承と批評:オーウェルやシェイクスピアを土台に、女性視点で描く。

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