第2話 時間とともに削られていくもの

 オフィスビルのすぐ近くにあるチェーンの居酒屋に入ると、アルバイトの大学生らしい女の子に四人がけの席へと案内された。

 テーブルについてすぐ、同じバイトの子がお通しとおしぼりを持って来たのだけれども当然のように私と我謝先輩に加えてもう一つの椅子にそれらを置こうとしたので慌てて止めた。

「え? でも先程3名様でご来店でしたよね」

 そこで私と我謝先輩は顔を見合わせて、説明が面倒そうなので「急な用事で先に帰ってしまった」と言って下げてもらうことにした。

「あのバイトさんは多少は『見える』のかもしれないね」

「待ってくださいよ。どうしてこんなことになったのか、説明してください」

 私は自分の背中のあたりで手を振り回すようにしてみたが、我謝先輩は「無駄だし、下手なことして怒らせない方がいいと思うよ」と冷静に言っただけだった。

「じゃあ、まず私が紙月に助言できることとできないことを明確にしとくね。どうしてそうなのかっていう理由は長くなるからあとで興味があるなら教える」

「はい」

「まず、私は昔からその手の勘が鋭いの。『霊感』ていうと安っぽく聞こえちゃうかもだけど、簡単に言えばものすごく目がいいって感じ。子どものときに住んでたところがそういうものがあちこちにいるところで、生活しているうちに自然に気配というか雰囲気を感じられるようになったっていうか。そのあたりの話は今のところこんなでいい?」

「わかりました。じゃ、とりあえずはそれで」

「で、私には紙月の背後に白い服に長い黒髪の女性がうつむいて立っているのが見える。見えるときと見えないときはあるけど、ふっと紙月を見ると今も近くにいるのがわかる。んで、私の経験上そういう『者』は場所に執着する場合と人に執着する場合の二種類がいて、様子からして紙月に憑いてるんだなって思うわけ」

「いわゆる『憑依』とかそういうやつですよね? それって」

「うーん『憑依』っていう言葉だと、紙月の体とか意識が乗っ取られるみたいなイメージになるけどまあくっついて離れないっていう意味ではそうかな。今のところ、紙月に憑いて自分の体にしたいとか操って復讐させたいみたいなギラギラ感はないよ」

「そういう霊的存在の悪意とか、見ててわかるんですか?」

「よく心霊番組とか動画とかで『やばい霊は赤い』とかそういう話って聞かない? それは概ね当たっていて、見かけた人に恨みをぶつけようとしているものは殺気というかギラギラした空気感をしてるの。写真に撮ったらそれが色になるんだろうね」

「じゃあ私についてる女性にはそういうのはないってことですね。安心はしないですけどそうだと思っておきます。それなら、私に何かしたがってるわけじゃないのにどうしてくっついているんでしょうか?」

「これも私個人の経験則だけど、殺意や怨恨がないのに人についてくる霊には大きく二種類がいる」

 と、私の眼の前で我謝先輩はピースサインをした。

 顔がまったく笑っていないのでとてもじゃないけれども平和は感じられない。

「まず1つ目は『波長が合った』っていう人。私達も普段の生活で初対面の人に対して『いい人そう。仲良くなれそうだな』とか『頼りになりそうな人だな』って大した根拠はなくても思うことがあるでしょ。それは心の波長が自分の好みに近いと感じるからなの。ただまあ……それは一方的に『感じる』だけなんで相互で合うとは限らない。海の波が一方通行みたいなものでね。もちろん相互にぴったり合うことだってあるよ」

「ということは、私はたまたま事故現場にいた女性の幽霊に気に入られてついて来られてしまったんですか?」

「まあまあ。可能性はもう一つあるから待ちなよ」

 と、そこまで話していたところで注文していた泡盛のロックが運ばれてきた。私は飲む気分ではなかったのだけども、我謝先輩が最初の一杯だけでも飲んでと言うので付き合うことにした。

「2つ目の可能性は『監視したい人』だっていうこと。わかりやすいのが死んだ肉親とかペットとかね。怪談話なんかだと、そうした存在が事故や事件から守ってくれたってシチュエーションがよくあるでしょ。ただ実際は守ってるっていうよりも単純にその人を『見てる』っていうだけなんだよね。その気配や思念が偶然生きてる人の危機的状況を救うためにうまく働くことはあっても、存在そのものが積極的に助けたり害になるものを退けたりすることはほとんどない。そのあたりも話し始めると長いから、このあたりで。OK?」

「オッケーです。しょうがないですものね」

 私は飲み慣れない泡盛をちびちび口に運んでいく。我謝先輩は飲み慣れたふうに一気に半分くらいを飲み込んだ。早速次の注文を考えているのかメニューを横目で見ている。

「紙月の場合は、どちらかといえば前者なんだろうけど後者の可能性もゼロではないかな」

「でも私はこの白い服の女性のこと今まで見たことないですよ。さっきの説明の2つ目って、生前に何らかの接触があった人ってことでしょう?」

「ここからはちょっと説明が必要な話になるからさ。お腹へってるんで少し食べていい?」

 と言ってこの話は一時中断をした。

 我謝さんは店員さんを呼んでどんどんおつまみの料理を注文していく。我謝先輩は細身だけどよく食べる人なのだ。

 頭は天然パーマでふんわりとボリュームがたっぷりしているのに体はガリガリ一歩手前の痩せ方をしているので、マッチ棒のような独特のシルエットをしている。

 先輩はすぐに運ばれてきた豚足にかぶりついて、うまそうに骨に歯を沿わせていた。

「それで? どうして私が見も知らない女性の霊についてこられてしまったんですか?」

「まずね。紙月はどうして古今東西の幽霊話に出てくるのは『白い服の長い髪の女性』だと思う?」

 えっ? と思わず声が出た。なぜと聞かれても、それがビジュアル的にインパクトがあるから? くらいにしか理由が思いつかない。

「人間ってさ、普段こうして人と話して日常のルーティーンをこなしているときには『自分』という存在を感じられるよね。だけどももしそれが誰も話す相手がいないところだったり、日常生活を全く送る必要のないところに行ったらどうなるだろう。多分、『自分』ていう存在がどこからどこまでのものかよくわからなくなってくるんじゃないかな」

 我謝先輩は食の進まない私を自分とを順番に指さして説明する。

「紙月はあまり食べるのが好きじゃない。私は食べるのが好き。紙月はフレアスカートが好き。私はあまり好きじゃない。周りに誰かがいて、その人と自分は違う感性をしていると思うから、人は『自分』という存在を保つことができるんだと私は思うよ」

「肉体がなくなって、意識だけの存在になるとそういう他人との区別がつかなくなるってことですか?」

「全くなくなるわけじゃないよ。ほら、強い恨みや世の中への怨嗟を抱いて亡くなった人なんかは、その気持ちがその場に残り続けるでしょ。私は自分が死んだことはないからこれは見てきたものからの推測でしかないけど、死んですぐの頃にはまだ『自分らしさ』が残ってるんだと思う。亡くなった日の服を着ていたり、亡くなる直前までの行動を再現しようとしていたり。だけどもそれが長い年月を過ごしていくうちに、その人にとってわりとどうでもよかったことーーー例えば、毎日のファッションとかなんとなく通っていた道とかねーーーから順番に剥がれ落ちるようになくしていって、最終的には気持ちの核みたいな部分だけを残した没個性的な存在になる。その最終形態が『白い服で長い髪の女』なんだよ」

 私はわかるような、わからないような気持ちになった。それはそのはずでそんなことを考えたことがなかったからだ。私はまだ二十代になったばかりの社会人一年生で、死後の世界を考えるような経験をしたこともない。

「つまりその説でいくと、私についてる女性の霊はもともとは嗜好や思考を持った一人の人間であったけれども、長い間あの場所に居着いているうちにそういう個人を特定するようなことを忘れてしまった。だけどもあそこに残っているということは何らかの強い思念のようなものがある。そういうことになるんでしょうか?」

「さっすが! 紙月は理解が早い。今年の新入社員でも一番優秀だと思ってたよ」

 急に上司先輩の態度になって我謝さんは楽しそうに指を鳴らした。

「それで。そこまでの話がわかったところで、私はどうしたらいいんでしょうか?」

「どうって?」

「だから、この女性に憑かれてしまったのを解放するにはどうすればいいかってことですよ」

「やっぱり、払いたいもの?」

「当たり前じゃないですか! 得体のしれないものに付きまとわれるなんてゾッとします。それに仮に波長が合うと思われてついてこられているのなら、私の普段の行動をみているうちに『こいつなんか違うな』って思って急に害のある存在になる可能性だってあるじゃないですか」

 まあないとは言えないよね、と我謝先輩はとぼけたように言った。私はあまりお酒に強くないので、泡盛で気が大きくなってしまっていたのもある。

「あんまりおすすめしないなあ。しばらく一緒に生活してみてもいいんじゃないかなあ」

「他人事だと思って。我謝先輩、そこまで霊とかに詳しいならお祓いできる人も知り合いにいるんじゃないですか?」

「うーんとね。もんのすごい最強なおばあが地元にいるかな。でもそこまで強くなくていいなら知り合いにも少し」

「その人、紹介してもらえますか? ていうか、そういうお祓いって有料のサービスなんでしょうか? 相場っておいくらくらい?」

「時価とお心付け」

 我謝さんはまだ言いづらそうにしていた。

 なんとなくだけれども、私はその態度から何かを隠しているのではないか? という感じがした。

「もしかしてですけれども、我謝さんにはその女性の霊が私に何かしようとしているのが見えてるんじゃないですか?」

「なんで? そう思うの?」

「だってそこまで話しておいて『放っておいた方がいい』って結論になるのは不自然だからです。それが最善だと思うならそうしますから、見えているものを全部言ってくれませんか?」

 先輩は諦めたようにため息をついておしぼりで指先をぬぐった。

 少し気持ちを落ち着かせるためにか口元に手をおいて考えて、それからちらりと私の背後に視線を走らせた。

「あのね。後ろの女性なんだけど」

「はい」

「悪意を感じないっていうか。どっちかというと好意を感じるんだよね」

「は? どういう意味ですか」

「だから。理由はわからないんだけど、その女性は紙月についていきたいっていう気持ちを感じるんだ」

 私は何も言えずに口を開いてその場で呆然としてしまった。

 通りがかりの女性の霊に一目惚れされた? そんな馬鹿なことがあるんだろうか。

「好意ってなんですか? 性的なものとか?」

「いやいやいや。本当に危険なやつじゃないんだって。もっと純粋っていうか、素朴っていうか。ちょっと違うかもだけど、小さい子供がきれいなお姉さんをみかけてわーってくっつきに行くようなことってあるじゃない。それに近いものを感じるんだよね」

 それにしたって喜べるようなものじゃないだろう。私は頭を抱えた。

「まあ、とりあえずはさ。私も注意して観察したり対応できそうな手段を考えてみたりするからさ。数日間だけでもそのままにしてみてよ。もし肩こりがひどくなったり、嫌なことが続いたりしたら言って。その時にはすぐ対処するから」

 守護霊だと思えばいいでしょ、なんて我謝さんは簡単に言うけれども私はそこまですぐには受け入れられなかった。

「ところで、一つ気になることがあるんだけど聞いていい? 紙月」

「はい。なんですか?」

「紙月は、普通にはその女性の姿は見えないけど道路上のカーブミラーには姿が見えてたんだよね」

「そうですね。それがあったからこうなったわけですし」

「じゃ、鏡を通したら見えるんじゃない?」

 私は一瞬たじろいだが、言われてみればそうだとバッグの中の化粧ポーチを探した。手鏡を探り当てると手元で伏せた状態でふうと息をつく。

 勇気を出してせーので鏡を自分の前にかざしたが、そこには自分の顔と居酒屋の背景しかなかった。

 何度も角度を変えていそうな影にも注意をしたが、全く女性の霊らしき姿はない。

「どういうことでしょうか。カーブミラーにだけ映るってことですか?」

「もしかしたら、そのあたりが霊の正体とか、望んでいるものがわかるヒントになるかもしれないよ。慣れないうちは大変かもしれないけど、気を付けて見てみて」

 とはいえ私は内心では少しほっとしていた。だって鏡を見るたびに女性の霊が肩越しに見えるなんて日常生活に大いに支障をきたす。

 とりあえず今日のところは頭が混乱しているし、仕事も残してきていて色々と悩ましいことがたくさんあるのでその後わりとすぐに解散となった。

 帰り際に我謝先輩とプライベートの連絡先を交換した。

「もしいよいよ大変そうな事態になったら連絡して。私でもとりあえずの対応策は提案できると思うから」

 気休めであってもそう言ってもらえて嬉しかった。その連絡を自宅に帰ってすぐに行うことになってしまうとは知らずに。

 自宅に戻った私は疲れた体をほぐすために入浴をして、いつもの習慣であるスキンケアをしようと小さな化粧台の前に座った。

 やれやれと鏡にかかった布を払い除けたところ、まさにあの白い服の女性が背後にぬっと立っていた。

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