憑依クイズ&ニュース
みなとさがん
第1話 魔のカーブの出会い頭
事故現場は駅に近い住宅街の交差点。
一見すると見通しのよいどこにでもある道路なのだが、少なくともここ10年間のデータでは平均10件程度が発生している。
私はまだ事故の傷跡が生々しく残っている道路脇でデジカメを構えた。警察の実況見分は昨日終わったと聞いているので邪魔をされることもない。それでも近隣の住民から怪しまれないうようにとカードホルダーに入れて胸にピン留めした「カスマ損害保険会社」の証書を見えやすいように角度を変えた。
カスマ損害保険会社の調査員として採用されてからもうすぐ一年になる。
本来であればまだ入社歴の浅い自分はデスクワークを担当するはずなのだが、新しい上司の意向もあって最近はこうして事故現場の調査に回されることが増えてきた。
「現場百遍」なんて言葉は現代では時代後れ感が漂うが、先日異動してきた上司はカスマ損害保険会社に買収される前の「大邦損害保険会社」から長年勤務してきた大ベテランということもあってか、わりとこういう古臭くて泥臭い業務を若手にさせることを好む。
もっとも外資系の新興保険会社であるカスマ保険グループと戦後間もない時期から日本の保険業界で顧客を獲得してきた大邦損害保険会社は社風からして全く違うので、そのど根性育成がいつまで続けられるかはわからない。
ただ、私自身はこの上司ーーー松田信歩(まつだ・しのぶ)というーーーの育成方針を他の同僚ほど嫌ってない。
というのも私の祖母も同じような考え方をする人で、子供の時に長くその祖母のもとで過ごしてきたことでものの考え方に大きな影響を受けたからだ。
「人づての話や文字での報告だけじゃわからないことがあるからね。しっかり、自分の目で見て考えたことを信じなさい」
学校生活で友達同士の噂と陰口に悩まされた時期にそうアドバイスをされて以来、私は迷ったときには常にその言葉を思い出すようにしている。
話を現場に戻そう。
事前に会社に送られてきたデータによると、事故の発生は昨日の夕方。会社に戻る途中の男性社員が前方不注意によりコーナーを曲がりきれずに歩道に突っ込んで壁に激突。その際に通行人数名に怪我を負わせたとある。
場所は駅まで5分程度の住宅街で、信号機のない中央線のない狭めの路地からやや大きめの通りに出るT字路だ。しかし狭いとはいえ路地は自動車二台がすれ違うことはできるしこうして見る限り何か運転を妨げるようなものも置かれていない。強いて言えばカーブミラーが小さめで見づらいような気がするが、慎重に進行すればそのせいで事故が起こるようなこともないだろう。
道路上に刻まれたブレーキ痕をデジカメで撮影する。
カーブの位置とブレーキの痕の場所から推測するに、運転手は通常よりもブレーキを遅れて踏み込んだらしい。
私はカメラから目を離してぐるりと周囲の様子を見た。
どうしてこんなところで注意をそらしてしまったのだろう? という素朴な疑問が浮かんでくる。
辺りにはごくあたりまえの住宅と歩道が広がっているだけだ。いくら会社に早く戻ろうと焦っていたとはいえ、こんなところで注意散漫になるというのは考えにくい。
私はゆっくりと道路を奥に戻り、それから運転手の気持ちになったつもりで交差点に向かって歩いてみた。
路地の終わり頃に近づくあたりで、申し訳程度につけられている小さなカーブミラーが目に入った。そうそう、ここできっとちらっとミラーを見て……
「!」
ぎょっとして私は思わずその場で後退った。
飛び退くように後ろに移動したせいでミラーから視界が離れる。
バクバクと急に心臓が早く打ち付けられ、ごくりとつばを飲み込む音がする。
ゆっくり、ゆっくりともう一度交差点に向かいカーブミラーを目に入れたところで気がついた。
そこには、白い服に黒い髪をだらりと下げた痩せぎすの女性がうつむいて立っていた。
*****
「おかえり! 紙月(しづき)。現場はどうだった?」
私が会社に戻ると、第三調査部の部長である松田さんが明るく話しかけてきた。
「はい。現地を確認してみましたが、特に報告されている内容と大きな齟齬は確認できませんでした」
そう言って私が自分のデスクに戻ろうとするのを、松田部長は引き止める。
「何かあった? 顔色が悪いけれど」
「あ、いえ。そんなことありません。ただ少し疲れているかもしれません」
私がエネルギーあふれる部長の大きな声に引っ張られるように努めて明るく返事をしたのを、訝しげに見返された。
「体調でも悪いなら今日は残業しないで早めに帰っていいよ」
「すみません。大丈夫です。今日中にこの書類をまとめたいですし、もし辛くなったら自分の判断で帰宅します」
うん、とまだ納得しきれないように部長は返事をした。
私は撮影してきたばかりのデジカメからパソコンに画像を転送して自分のノートパソコンを開いた。
現場の交差点の全景やブレーキ痕、事故で破損した民家の壁などが次々に映されたあとで、急に画面が黒くなった。
「えっ?! なんで?」
私は思わず何度も写真画像を前後させたが、最後の方に写したはずの数枚だけは真っ黒になっていた。ファイルが壊れたのだろうかと情報を調べるのだが、特に異常はないはずなのに画像だけは映らない。まるで最初から真っ暗闇でシャッターを切ったかのようだった。
「どうかした?」
私の変な声を気にしてか、隣のデスクの同僚が話しかけてきたがその画像を見せると「あー」とよくある失敗のように言った。
「これ、重要な写真だったの? もう一度撮影できないようなもの?」
「いえ。現場写真の一つなのでそれほど重要ではないのですが……」
「ならまあ、とりあえず報告書はその写真なしで作成したら? 読み取りカードが壊れてる可能性があるから次からはそれ使わない方がいいかもね」
私はそこでデジカメの電源を切って、報告書の作成に戻ることにした。
作成業務そのものは決して難しい仕事ではないのだが、どうしても作業に集中することができない。
文字を打とうとするとなんだか頭がぼんやりしてきて、気がつくとおかしな言葉になっていない言葉を画面にタイピングしてしまっている。
本当に疲れているんだろうか。今日は帰った方がいいのか? と思いつつも溜まりにたまった書類の山を見るとそういうわけにもいかずに作業を続けようとする。
そんなこんなで約一時間くらいが経過した頃だった。
「お疲れ様でーす。今戻りましたー」
第三調査部のガラス扉が開いて気だるげな声が響いた。
定時が過ぎて外回りをしてきた社員たちが戻ってくる時間で、デスクに座った数人をかき分けるようにこちらに歩いてきたのは私の向かいの席の我謝千霧(がしゃ・ちぎり)先輩だった。
「お疲れ様です、先輩」
向かいのデスクにどっと自分の荷物を置いて、我謝先輩は私を見た。
その瞬間、わかりやすく顔をむっとしかめた。
「紙月。どうしたの?」
「えっ? なんですか?」
「今日、何かしたんじゃない?」
机を回り込むように私の側に来てくれた先輩は、じっと顔を見つめてきた。いつもはノリが軽いというか、ふわふわと業務をこなしている先輩らしくない表情だった。
「あー、もしかしてさっき写真をちょっと失敗したのを気にしてるんじゃないですか? 紙月」
「写真?」
「はい。現場の写真を撮ったら、何枚か真っ黒になってるやつがあったんですよ」
「それ、見せてくれる?」
私の代わりにさきほど話しかけた同僚が説明をしてくれ、私は我謝先輩に促されるままにパソコンに真っ黒な画像を表示させた。
「この画像、本当は何を写したつもりだったやつ?」
「えっと。現場にあったカーブミラーです。交差点についていた……」
「もしかして、そこに何か映っていたのを見たんじゃない?」
私はぎく、と動きを止めた。それだけで我謝先輩は察したようだった。
それから私の背中越しに少し離れた場所を見る。
「当ててみせようか?」
「え? あ、はい」
「その鏡に、白い服を着た女性がいたでしょう」
「! どうしてそれを?!」
我謝先輩は考え込むように口元に手をあててぺろりと舌を出した。どう切り出すか迷っているみたいだった。
「だって、そこにいるから」
「はぁ?!」
「紙月の後ろ。今朝はいなかったのに、今はそこに立ってるの。これって、紙月が連れてきたってことでしょ」
私は呆然とその場で肩を落とした。
そうなのだ。私はあの事故現場で最後にちらりと見えたあの白い女性が気になって、映っているところを写真に撮ったのだ。
それがまさかこんな結果になってしまうなんて。
「えっ、どっ、どうしましょう? 私、取り憑かれちゃったってことですよね?」
「落ち着いて。どうどう。んーでも大丈夫じゃない?」
「何が大丈夫なんですか?」
「この子、紙月に何かよくないことをしようとしてるようには見えないから」
「どうしてそれがわかるんですか!」
「ま、そのへんは私にも説明できないんだけどさ」
結局そのまま私は仕事どころではなくなって、我謝先輩に誘われて一緒に飲みに行くことになってしまった。
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