下忍(げにん)

地下迷宮には景気のいい噂が絶えない。


「気のいい仲間たちと一攫千金!」

「20歳までの男子、経験問わず!」

「即日支払い可、報酬前借りあり!」


酒場で飲んでいると、どこのテーブルでもこんな呼び込みを聞く。東西の国では戦をしているというのに、この砂漠の街は呑気なもんだ。


そして、こんな胡散臭い話に飛び込んだ俺はどうしようもない大馬鹿野郎だ。


「招集者」と名乗る男が指定した迷宮地下一階の小部屋には俺と同じような若い男が5人集まっていた。


そいつは黒尽くめの装束に身を包み頭巾で顔を隠し、まるで実態のない影のようだった。


酒場で声をかけてきた時の、にこやかで朗らかな雰囲気は微塵も感じさせない。それどころか、肌をピリピリさせるような緊張感に居心地が悪くなる。


「全員揃ったようだな。」

影が口を開いた。


「お前たちは今後、要人暗殺の任についてもらう。素人には任せられんから短期で仕事に慣れてもらうぞ。条件1、この迷宮内で1週間生活すること。条件2、最低毎日1組は冒険者を狩れ。金品の5割は懐に入れていい。残りの5割は俺に渡すこと。ちょろまかそうなんて馬鹿なことは考えるなよ。」


とんでもない黒仕事だ…

頃合いを見てとんずらしないと、と逃げるタイミングを図っていると、ガタイのいい男が大声を上げた。


「ふざけんな!どこが割のいい仕事だよ。人をなめんのも大概にしろよ!」

知性の低そうな怒声で力任せに黒い影へと殴りかかる。


男の腕と交差するように、影が逆手で短刀を振り抜いた。揺らめくような線が男の首筋を通過し、鮮血が吹き出す。


たまらず喉元を抑えた男の膝を間髪入れずに蹴り砕く。下がった頭を手で制し、うなじに短刀を突き立てるとギャッ、という短い悲鳴を立て、男の手がだらりと垂れる。


呆気にとられる俺達に影は言った。

「もう一度言う。馬鹿なことは考えるなよ。刀と服は貸してやる。一つ無駄になっちまったがな…1週間後にまたここに来い。」

言葉とともに影は煙のように消えていた。


どうやら従う以外の選択肢はないらしい。俺達4人は無言で渡された黒装束に着替え、慣れない刀を腰に帯びて部屋を後にした。


それからはろくでもない毎日だった。


迷宮の中で冒険者を襲い、化物の肉を食い…もちろん外にも出ようとしたが、背後から影の警告の声が響き、迷宮の奥へと引き返した。絶えずどこかから監視されているのだろう。


俺達のような素人が歴戦の冒険者を襲えるのか甚だ疑問だったが、意外にもそれは上手く行った。黒装束は多くの冒険者に恐怖を呼び起こすらしい。東洋の「ニンジャ」と呼ばれる武芸の達人の装束なんだとか。


冒険者と言えども恐怖と緊張で普段の動きができなければ、一太刀くらいはなんとか入れられる。刀には眠り薬が塗ってあるので、あとはゆっくり料理すればいい。


いつの間にか人を殺すことに慣れていた。いや、酔っていた。もしかしたら俺達は本当にニンジャへの適性があったのかもしれない。


だが、4日めに出会った冒険者達は手練れだった。あっという間に3人の仲間を失って、俺は背中を向けて逃げ出すしかなかった。


一人じゃどう考えても迷宮で生きていくことは無理だ。もう選択肢はない。いちかばちかで地上への階段へと走り出す。


しかし、目の前に吹いた風にまたたいた次の瞬間、影が立ちはだかる。

黒装束の男。顔には鬼の面。


「ドーモ、ハイ・ニンジャです。」

神々しさすら感じる東洋の"礼"と共に影が名乗りを上げた。ニンジャ同士の果たし合いの際に使われるという祝詞を。


俺は死ぬのか…

抵抗しても無駄なことがこのうえなく確実に感じられる。日が東から西に沈むように。


極限の緊張から諦めの境地への弛緩で、股間に生暖かいものが流れる。

気が遠くなる…


頭の中で走馬灯が回り出す。

度重なる戦乱、眼前に並んだ首級、炎に包まれた敵城、笑いが止まらぬほどに積み重ねられた屍…


違う、これは俺の記憶じゃない。

頭の奥で声が反響する。


『あんな三下相手で小便を漏らしおって…

死にたくなければ身体を寄越せ!!』


鬼の面―上忍―は稲妻じみた速度で刀を振り抜いた。


首筋への一閃。


火花が散る。

首と刀の間に男の腕が差し込まれていた。


数え切れぬ程に人を斬っても、刃毀れひとつしたことのなかった業物。その鬼の刃が生身の腕に弾かれ欠けていた。


刃が欠けた驚きではなく、男が発する尋常でない殺気に気圧されて鬼が飛び退く。


「ドーモ、ハイ・ニンジャ=サン、グランドファーザーです。」

完璧な美しさの"礼"とともに男は言った。


腰を落とし、しなやかな虎のような構え。

その顔は東洋の能面じみた奇妙な笑みを称えている。


口伝のみで伝わる古の忍者の頭領の名。

そのことを思い出した時には、鬼の身体は床に転がっていた。


鬼面の首を手にぶら下げた男は、しわがれた声でクックと笑みを漏らし、地上に踵を返し、迷宮の闇の奥へと消えていった。

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