第34章 SE、新人を指導する。
リオンが旅立ってから、幾月かが過ぎた。
季節は春を越え、森の緑が濃くなる頃。
日差しの中に、もう夏の匂いが混じりはじめていた。
その日、ギルドから新しい依頼が届いた。
「見習い僧侶に、実戦経験を積ませてやってほしい。」
神殿の修行課程を終えた少年に、
実地での訓練を受けさせたいという。
リオンが抜けたままになっていた後衛の穴を考えれば、
悪くない話だった。
俺たちは相談の末、
その依頼を引き受けることにした。
見習い僧侶の名は――マルコ。
十六歳の少年で、
神殿でも群を抜いて優秀な成績をおさめているらしい。
黒髪を短く整え、灰色の法衣を着こなしている。
整った顔立ちに、まだ少年らしいあどけなさが残る。
だが、
初対面から感じたのは、その眼差しに宿る強い自負心だった。
「レンジャーって……道案内みたいなもんですよね?」
初めて顔を合わせたとき、彼はそんなことを言った。
冗談めかした口ぶりだったが、内心は本気だったのだろう。
俺は苦笑して肩をすくめ、レオとルナは苦々しい視線を交わした。
最初の実戦訓練として選ばれたのは、
北の森で暴れているオオカミの群れの討伐。
一見簡単そうに見えるが、二十匹近くが徒党を組む危険な相手だ。
前衛は戦士レオと魔法使いルナ。
後衛は俺とマルコ。
俺はマルコの護衛を兼ねて配置についた。
湿った風が葉を揺らし、草むらの奥から低い唸り声が響いた。
緊張でマルコの指先が震えている。
「来るぞ。」
俺が短く告げると、黒い影が森の奥から雪崩のように飛び出してきた。
オオカミたちが牙をむき、地面を蹴って突進してくる。
その数――二十。
群れをなして迫る獣たちは、想像以上に大きかった。
鋭い牙が陽光を反射し、筋肉が波打つたびに土煙が舞い上がる。
生臭い獣の匂いが風に乗って押し寄せ、
地面を踏みしめるたびに大地が鳴った。
「……ひっ……!」
マルコの喉から、かすれた悲鳴が漏れた。
顔から血の気が引き、瞳が恐怖に見開かれる。
教本で見た“魔物の図鑑”とはまるで違う。
本物の殺意を向けられた瞬間、彼の膝がかすかに震えた。
「マルコ、落ち着け!」
俺の声に、彼はかろうじてうなずいたものの、
目は完全に獣の動きを追い切れていなかった。
前衛が構える。
だが、一匹がその合間をすり抜け、一直線に後衛へ迫った。
「マルコ、詠唱を――!」
「う、うわっ!」
恐怖に支配された少年は、杖を取り落とし、
その場に尻もちをつく。
俺は素早く弓を構えた。
「《リンク》、《オーバードライブ》起動。」
《リンク》に淡い光が走る。
音声認識が反応し、低い電子音が鳴った。
「《リンク》、倍化モード。係数、二倍。」
体の奥で血流が跳ねる。
矢を放つ――矢は音を置き去りにして狼の首を射抜いた。
だが、その直後、もう一匹が背後からマルコに飛びかかる。
「《リンク》、戦闘力十倍。」
言葉と同時に、身体が爆ぜるように熱を帯びた。
俺は地を蹴り、蹴り上げる。
オオカミの巨体が宙を舞い、木の幹に叩きつけられた。
森に、静寂が戻る。
マルコは呆然と俺を見上げた。
その黒い瞳に、恐怖の色が消え、驚きと尊敬が入り混じった。
「……すごい……」
「大丈夫だ。深呼吸して。ゆっくりでいい。
さあ、レオとルナに防御魔法を。」
「は、はいっ!」
守られているという安心感が伝わったのか、マルコの声から震えが消える。
詠唱の速度が上がり、呪文の調子が安定していく。
「いいぞ、その調子だ。」
俺が声をかけると、少年の顔に自信の色が戻った。
やがて、戦いは終わった。
レオが最後の一撃を放ち、ルナの炎が残党を焼き払う。
「……初陣にしては、上出来だ。」
俺は笑いながら言った。
「俺なんて最初の時、何もできずに食われかけたぞ。」
マルコは一瞬きょとんとしたあと、恥ずかしそうに笑って頭を下げた。
「ありがとうございました、先生!」
その呼び方に、少しむずがゆさを感じた。
「次はお前が誰かを守る番だ。」
マルコは力強くうなずいた。
彼の黒髪が、夏の光を反射してわずかに揺れる。
その姿に、リオンの面影が重なった。
――時代は少しずつ、確かに動いている。
夕陽が傾きはじめ、森の影が長く伸びていた。
俺たちは戦いを終え、街への帰路についた。
マルコは、まだどこか緊張の抜けない顔をしていたが、
歩き方はしっかりしている。
初陣を終えたばかりの少年とは思えないほどの目の強さがあった。
「……疲れたか?」
そう声をかけると、彼は少し考えてから首を振った。
「いえ、すごく……勉強になりました。
戦いの最中、頭の中が真っ白になって
……でも、先生の声が聞こえて、少しずつ見えるようになったんです。」
“先生”という言葉には、やはりむずがゆさを感じる。
夕暮れの街に戻ると、石畳の道は橙に染まり、
ギルドの看板が金色に光っていた。
いつものざわめき、酒と革の匂い
――この街の日常が迎えてくれる。
扉を開けると、受付嬢のミカがこちらに気づいて顔を上げた。
「おかえり! どうだった?」
「依頼完了だ。北の森のオオカミ討伐。」
俺が報告書を差し出すと、ミカはぱっと笑顔になった。
「お疲れさま! ……で、この子が?」
「神殿の見習い僧侶、マルコ。今日が初陣だ。」
ミカはカウンター越しに身を乗り出し、マルコを覗き込んだ。
「へぇ……かわいいじゃん。」
そう言って、彼の頭をやさしく撫でた。
「あ、あっ……!」
マルコの顔が、みるみる真っ赤になっていく。
耳まで染まっている。
ミカは、そんな様子を見てくすりと笑った。
――ミカも、すっかり大人びたな。
あんまり年頃の男の子をからかうんじゃないぞ、と内心つぶやく。
その夜、宿屋の食堂で、ささやかな歓迎会を開いた。
もちろん、マルコには酒は飲ませない。
代わりに、温かいスープと焼きパン、それにロースト肉を多めに。
マルコは箸を止める間もなく、俺に質問を浴びせてくる。
まるで子犬のような勢いだ。
その“先生、先生”という呼び方にはまだ慣れないが、
俺は一つひとつ丁寧に答えた。
レオとルナは向かいの席でワインを傾けながら、
ニヤニヤとこちらを見ている。
「すっかりなつかれたもんだな。」
「ほんとほんと。まるで弟みたいだな。」
「やめろ。」
俺はスプーンを置き、軽くため息をつく。
「……でも、悪くないな。」
マルコは真剣な目でこちらを見つめていた。
その瞳には、まっすぐな光が宿っている。
「よい僧侶になるよ、マルコは。きっと。」
そう言うと、レオがにやりと笑ってグラスを掲げた。
「じゃあ、将来の大司祭様に――乾杯だ。」
レオの声に笑いが弾ける。
グラスを合わせる音が夜の宿に響いた。
こうして、新たな季節とともに――
俺たちの物語も、また一歩、前へと進みはじめた。
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