第九章 閑話と緩和(ショートショート全五話)
魔法使い
翼がワークルームに入ると、ひよりが一人で作業をしている姿が見えた。
「あれ?ひよりちゃんだけ?みんなは?」
そう言って部屋を見渡す翼のほうを振り返ったひよりが、下がった眼鏡を上げる。
「慎くんは班代表者ミーティングだよ。湊くんは今日はデータライブラリに籠るって。」
そういやそんなこと言ってたな、と頷きつつも、あと一人の動向については心当たりがない。
「梨央は?」
そう尋ねる翼に、ひよりは首を横に振る。
「わからない。翼くんは聞いてないの?」
そう訊かれた翼も、同じように首を振るほかなかった。なのでとりあえず、自分の作業に取り掛かることにする。
「ひよりちゃん、みりあ、見ててもいい?」
ひよりが描いているデザイン画を覗き込むみりあに「ふふっいいよ」と微笑みかけ、ひよりも作業を再開した。そこからしばらく、沈黙が続く。
そういえば、と、二人は同時に同じ事を考えていた。
(ひよりちゃんと)(翼くんと)(二人だけで話したことってなかったな……)
沈黙が居心地の悪い空気を作る前に何か話そうと、翼が話題を探している中、意外にも先に口を開いたのはひよりのほうだった。
「あれから梨央ちゃんとけんかしたりしてない?」
想定外の展開と耳の痛い質問に少し戸惑ったが、翼はそれを悟られないように平静を装う。
「ああ、おかげさまで。あん時はありがとな。そういやちゃんと礼を言ってなかった。」
ひよりのほうを向き直った彼が頭を下げた。
「ふふっわたしは全然何もしてないよ?」
手を動かしながらひよりが言う。その手裁きを、おぉ~とみりあが感嘆の声を上げながら見ている。
「だけど湊くんはすごいな。翼くん、どんな魔法をかけられちゃったの?」
ひよりはそう続けて、穏やかに笑う横顔を覗かせた。
「あー、確かにあいつは魔法使いだからな。」
自分の作業に戻りながら〝魔法〟という言葉を借りて冗談を返し、(ひよりちゃんもあいつに魔法をかけられてるんじゃないの?)と続けようとした言葉を飲み込んだ。
「そうだ、翼くん知ってる?」
思い出したかのように尋ねるひよりの言葉の温度が少しだけ上がった。
「梨央ちゃんって、すごく歌がうまいんだよ。」
翼も手を動かしながら「ああ、カラオケ行ったんだってな?」と、返す言葉のトーンをひよりに合わせる。
「聴き惚れちゃった。たぶん梨央ちゃんも魔法使いだね。」
独り言のような言葉を返したひよりは「あ、翼くんも魔法かけられてるから知ってるよね?」と付け足して悪戯な顔で笑った。
翼は照れ隠しに頭を掻いて笑いながら、こんなによくしゃべる子だったっけ?と驚いていた。これも魔法ってやつなのか?だとしたら、それはやっぱりあいつの……。
そのとき突然、慌てた様子の梨央が姿を見せる。
「ごめーん、遅くなっちゃった!」
驚いたひよりが理由を尋ると、レウスが眉間に拳を当てて首を横に振りながら答えた。
「情報処理の補講を受ける事態になりまして……」
当の本人は「あは、小テストやらかしちゃってた!」と舌を出しておどけた顔を向ける。
翼はひよりと呆気にとられたような顔を見合わせると、噴き出して大笑いした。
「大した魔法使いだな!」
きょとんとした梨央の袖を、みりあが「魔法見たーい!」とせがみながら引っ張っていた。
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