第15話 初めての嫉妬
涼花が二宮の家に世話になってから、数日が経っていた。涼花と蓮が屋敷内で顔を会わせることは、とても少なかった。
蓮は大きな会社を経営していることもあって、蓮は日夜忙しいのである。
そのため、涼花は出来るだけ朝食と夕食は蓮と取るようにしていた。帰りが遅くなっても食堂で蓮を待って、彼を驚かせたことは一度や二度ではない。
「仕事が遅くなったら、先に寝ていても構わないというのに……」
蓮には、そのように言われている。
その言葉が蓮の優しさから来ていることは分かったが、これだけは涼花は譲ることは出来ない。
蓮とは、夫婦になるのである。互いに同じ時間を共有して、信頼関係を築いていきたかった。
蓮は、涼花の行動を不思議がりながらも嫌がらなかった。そうやって、徐々に涼花がいる食卓に慣れていったのである。
「伊納家の件で、外に出られないのは不憫に思うが……。お前は暇だから、俺を待っているのか?」
食卓についた涼花に、蓮はそのような問いかけをした。涼花が自分を待つ理由が、蓮には分からなかったのである。
蓮の疑問に、涼花は笑って答える。その顔はとても優しく、蓮は幼い頃に亡くした母の面影を見た。
「いいえ。蓮様に『おかえりなさい』や『いってらっしゃい』を言いたくて、共に食事をしたくて、待っているのです」
涼花の言葉に、蓮は言葉につまった。
自分の帰りを待ってくれている人がいる生活は、蓮にとっては久しぶりのことだった。使用人たちはいつでも蓮を出迎えてくれるが、彼らと涼花が待ってくれている意味は大きく違う。
使用人たちが待っているのは、それが仕事だからだ。けれども、涼花が蓮を待ってくれるのは本人の意思によってのことだった。
それが嬉しいと感じているとは、あまりに子供っぽくて蓮は口には出来ない。
「涼花。君をパーティーに連れて行きたいと思っている」
食卓での蓮の言葉は、涼花には意外なことだった。蓮は涼花を嫁にと望んでいるが、伊納家には許可を取っていない。
そのため、涼花の立場はちゅうぶらりんになっていた。とてもではないが、パーティーに蓮と一緒に行けるような関係ではない。
「伊納家から、連絡があってな。今度のパーティーの席で前向きな話が出来れば、という打診が来ていた。風馬にも確認はとったが、伊納家は俺たちの結婚話に前向きらしい」
蓮の言葉に、涼花は安堵した。
兄の風馬が言ったならば、伊納家が蓮と涼花の結婚に前向きなのは確かなことだろう。
良かった、と涼花は思った。
蓮と涼花の婚礼は、風馬が望んだことである。風馬が見込んだ蓮は、涼花の事を大切にしてくれる。今だって過分な扱いを受けていて、申し訳ないぐらいなのだ。
不安なことは、一つだけだ。
「あの……恥ずかしいことに、私はパーティーは初めてで」
莉緒は、なんどもパーティーに出席している。だが、良子と莉緒が楽しんでいるなかで、涼花はいつも家に残されていた。
パーティーに参加できることに喜びを感じないわけではなかったが、蓮に恥をかかせてしまわないかという心配の方が色濃かった。
「誰にでも始めてはあるものだ。礼儀作法だって、学校で習っていたのならば問題ないだろう。なにより、俺はお前が突拍子もないような行動を取るとは思えない」
蓮は、涼花を信頼していた。
蓮が見ているなかでは、涼花の礼儀作法は完ぺきだった。学校は途中で止めさせられたとは言っていたが、その前は優秀な生徒であったのだろう。涼花の行動には、その片鱗が見られていた。
「さすがに、ドレスを買いに行かせることは出来ない。だが、知り合いの百貨店に良い物を持ってきてもらえるように頼んでみる。持ってきてもらった物から、選んでくれ」
蓮の言葉に、涼花は「はい」と答えた。
莉緒のドレス姿は何度も見たし、着替えも手伝った。だが、自分のためにドレスを選ぶのは、涼花にとっては初めてのことだった。
「随分と嬉しそうだな」
蓮の言葉に、涼花は自分の頬が緩んでいたのを知った。
そんな年頃の娘らしい様子を見て、蓮も自然に微笑んでいた。涼花は一筋縄ではいかない令嬢であったが、パーティーに期待を膨らませる姿は年頃の少女でしかない。
その一面を自分が引き出したと思えば、蓮は嬉しくなった。そして、その感情を持て余してもいた。
蓮は、涼花のことに意識しはじめていた。蓮は何度かお見合いを経験していたが、涼花は見てきた女たちとは違っていた。
蓮の為に心を砕いてくれるが、恩着せがましくはない。ちょうどよい距離を保ってくれるさり気なさに、蓮は涼花の真心を見たような気がしていたのだ。
「パーティーもドレスを着るのも初めての経験なので、嬉しいのです。ダンスも学校で習った以来のことですし」
涼花は、女学校に通っていた頃の思い出を色々と蓮に話した。
友人たちとのお喋りや教師に習った様々な学問。そして、嫁入りには必要になってくる教養。それらを学べた学校のことを涼花は愛していたのだった。
普段は見られない涼花の姿に、蓮はパーティーに誘えたことを喜んだ。そして、正式に結婚できた暁には色々な場所に連れて行ってやりたいとも思った。
「女学校では、ダンスも教えていたのか?」
蓮は大学を卒業しているが、周囲は男ばかりで女は教師であってもいなかった。そのため、女学校の様子はなかなか好奇心がくすぐられる。
「はい。蓮様と踊れることが、今から楽しみでなりません。家族とも久しぶりに会えますし」
涼花の言葉が、蓮には意外であった。
伊納家との対面だけは、涼花は嫌がると思っていた。家族と言えども自分を虐げてきた相手との再会なのだ。恐ろしいとは思わないのだろうか。
「……家族との対面は、不安に思っていないのか?」
風馬の話しでは、涼花は家族に虐げられた可哀そうな娘だった。
蓮と出会ったときにも、涼花は他の使用人よりも襤褸の着物を着せられていた。その姿があまりに可愛そうだから、連れ帰ってきてしまったが。
「それは……色々と思うことはあります」
蓮は、涼花が結婚させられそうになっていた西崎という男を知っている。
商売をやっているために聞いた名前だが、十代の嫁を求めるにはいささか歳を取り過ぎている男であった。
「西崎との結婚は嫌だっただろう?」
涼花は、強力な術の使い手である。
それを術の使えない西崎にやってしまうのは、あまりに勿体ない。今の伊納家の当主は術が使えないとは聞いていたが、涼花の才能を政略結婚にすら使えない無能っぷりには失笑してしまう。
「結婚は、父が決めるものですから。それに……条件だけを考えれば、西崎様との御縁も伊納家には損なことではありませんし」
どんなに強い力を持っていようとも家長に従うという子女の姿に、蓮はわずかに同情した。男の蓮は自分の人生を自分で決めてきたが、そのように涼花は生きられなかったのである。
蓮は、風馬が自分に相談したことを感謝した。素晴らしい術の使い手の価値すら分からない男の元に嫁ぐなど、名家の人間として許すことは出来なかったのだ。
「言え……。西崎に嫁ぎたくはなかったのだと、言え」
蓮の言葉に、涼花は目をぱちくりさせた。
その言葉は、蓮にとっては沽券に関わる言葉であった。涼花には『名家ではない家には嫁がされたくはなかった。二宮の家にいれて幸運であった』と言って欲しかったのだ。
「えっと……あの」
涼花は戸惑いながらも、蓮の望みを口にする。
「西崎様には、嫁ぎたくは……ありませんでした。二宮家に拾われて幸運です」
涼花の言葉に、蓮は満足した。
涼花は訳も分からず、首を傾げるばかりであった。
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