第14話 亡き母の部屋
夕食を終えた涼花は、伊奈帆とゆずによって自分に部屋に案内された。この二人はいつも一緒で、涼花の面倒も二人そろって見ることになったようだった。
「このお部屋をお使いください!」
伊奈帆がドアを開けたのは、大きなベッドが置かれた部屋であった。今まで畳と布団で生活をしていた涼花には、西洋風の部屋は目新しいものである。
部屋には本棚もあって、そこにいくつか英語の綴りの物も混ざっていた。
蓮は、英語の本もたしなむのかもしれない。残念ながら、涼花は英語は少しだけしか読めない。
二宮家は貿易会社を営んでいるので、いつかは涼花も英語を勉強することになるはずだ。ならば、用意されている本を使って、少しずつでも予習を始めていた方が良いだろう。幸いにも、本棚には辞書もしまわれていた。
「素敵なお部屋ですね」
涼花の言葉に、答えたのはゆずである。
「そうでしょう。この部屋の家具は、蓮様と千鶴さんが用意したんです!素敵なのは当然です!!」
ゆずの言葉に、涼花は驚いた。
女中頭の千鶴はともかく、蓮までもが涼花が過ごす部屋に興味を持つとは思わなかったのだ。
「元々は、この館の女主人であった蓮様のお母様が使っていたお部屋だそうです。お母様がお亡くなりになってから使われていない部屋だったので、古くなった家具を入れ替えたのです」
風馬から涼花を娶ってほしいという話は、前々から出ていたらしい。その話を現実にしようと蓮が決心したときから、部屋の模様替えは始まったという。
自分を嫁入り話が水面下で動いていたことに、涼花は驚いた。だが、よく考えてみれば二宮家ほどの家が、当主の一存だけで花嫁を選べるわけがない。
結果として涼花は連れさらわれるような形とはなったが、あと数日もあれば二宮家から正式に涼花を嫁に迎えたいという話が打診されたのかもしれない。
「私のお父様から了承を取る前に、部屋を準備したのですか?それは、さすがに気が早いと言うか……」
涼花の言葉に、伊奈帆は苦笑いをした。普通に考えれば、蓮の行動は気が早すぎるものがある。
もしも、涼花の父が結婚を許さなかったら、この部屋は無駄になっていたかもしれないのだ。いや、別の花嫁の部屋にされるだけなのだろうが。
「風馬様が、かなり焦っておられましたから……。風馬様は一刻でも早く、涼花様を実家から離したいとおっしゃっていましたし……」
言葉を濁す伊奈帆から察するに、風馬は涼花を実家から無断で連れてくるかもしれないと思われていたらしい。
その時のために、部屋は整えられた。
その頃から蓮は伴侶を涼花のことを決めており、部屋を準備することに何の抵抗も感じていなかったようだ。
それにしても、蓮が亡き母の大切な部屋を自分なんぞに受け渡すとは涼花は思わなかった。しかも、家具まで入れ替えて。
「お母様の大事な部屋を使っても良かったのでしょうか……」
涼花は、申し訳ないと思った。
自分は、兄が無理を言って連れてこられた花嫁である。それなのに亡き母親の部屋を使わせてもらうことは、蓮の思い出を土足で踏み荒らしてしまったような気がしてしまうのだ。
「涼花様は、二宮家の奥様になられる方ですよ。ならば、正妻のための部屋を使うのに遠慮はいらないと思います。この隣は、当主になった蓮様の部屋ですし」
二宮家では夫婦は床を一つにしない代わりに、部屋は隣同士で使うらしい。涼花の母と父ひいては良子と父は一緒の部屋で寝ていたために、伊納家のしきたりは驚くものばかりであった。
「こちらは、クローゼットです。涼花様はしばらく外には出られないと伺っていたので、こちらで衣類も用意させていただきましたよ」
蓮と風馬は、涼花が伊納家に連れ戻されることを恐れていた。だから、涼花は館からは出ないように言われている。
不便がないようにするとは蓮に言われていたが、服にまで気遣ってもらえるだなんて思えなかった。
伊奈帆が開けたクローゼットには、莉緒が持っているような雑誌でしか見たことがないような洋服と和箪笥があった。和箪笥のなかには美しい着物が入れられていて、涼花はうっとりとした。
風馬から、普段の涼花は和服で過ごしていると聞いたのだろうか。洋館に住んでいながら着物を用意してくれた心遣いに、涼花は申し訳なく思った。
「さっそく、御着替えしますか?洋装は着物よりも動きやすいですよ!」
ゆずは、涼花に白いワンピースを見せた。
クローゼットのなかに入っていた服のなかでは、一番落ち着いたデザインの洋服である。腰のあたりには水色のリボンが縫い付けられていて、とても可愛らしかった。
「ゆず!涼花様は今までお着物で過ごしてきたのだから、いきなり洋服をお勧めなんてしないの!少しずつ、慣れてもらえばいいんだから!!」
伊奈帆は、腰に手を当ててゆずを叱りつける。
その様子は、本物の姉妹のようで微笑ましい。
「涼花様、申し訳ありません。紅茶……いや、緑茶をお持ちしましょうか?」
伊奈帆の言葉は、涼花に色々と気を使ってくれた。けれども、涼花はお茶を断る。
蓮との食事で水を飲んだので、喉は乾いていなかった。そして、伊奈帆たちに余計な負担をかけるのも嫌である。
「しばらく、休んでもいいかしら」
伊奈帆とゆずに、そのように涼花は言った。
二人は頷いてから、部屋から出て行ってくれる。かましい二人であったが、一人になりたいという思いは分かってくれた。
「二宮家にお嫁に来るだなんて……信じられない」
そのように呟いて、蓮とはまだ婚約もしていないことを涼花は気がついた。涼花のことを蓮がさらってしまったので、踏むべき様々な手順を飛ばしてしまっていた。
本来ならば、涼花の父に婚約を許してもらわなければならない。そして、結婚式を終えるまでは、互いの実家で過ごすのである。
「男性の家に転がり込むことになった女になんて……他の人からの縁談は来ないでしょうね」
未婚の男女が手を繋ぐだけで、白い目で見られるのが世情である。親の許可なしに男の元に泊まり込む涼花は、世間一般から見ればはしたない存在に違いない。
蓮と結婚できなかったら、他の者との縁談は絶望的であろう。その時は、尼にでもなるしかない。なんであれ、今の涼花の運命は蓮と父に握られていた。
「伊納家は……どうなったのかしら……」
涼花が想いをはせるのは、自分がいなくなった後の伊納家のことだ。
西崎家は大きな商売をしているから、今更になって結婚話をひっくりかえすのは難しいだろう。だが、肝心の涼花がいなくなってしまえば、結婚話どころではないはずだ。
「まさかと思うけれども、莉緒が西崎家に嫁ぐという事は……ないわね」
涼花は、自分の考えを振り払った。
西崎家に莉緒を嫁がせるなど、良子が許すはずがない。良子が望むように莉緒が伊納家を継ぐのは無理だが、良い殿方の元に嫁がせたいはずだ。
その『良い殿方』に西崎社長は入っていないはずである。
「でも、他の名家では術が使えない莉緒は望まれないだろうし……」
莉緒が気に入るような、殿方は現れるだろうか。
半分とは言え、血の繋がった妹の結婚である。涼花は、そうやって妹の今後を心配していた。
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