第7話 共同執筆の誘い

 『めんどくさくて、可愛い君の境界』を投稿してから、三日が経った。


 アクセス数は、3,000を超えた。コメントも100を超えている。


 「澪のキスシーン、ドキドキした!」「これ、実話ベース?」「続き早く!」


 読者の反応に、心臓が高鳴る。


 でも、一番気になるのは──澪の反応だ。


 彼女は、あの小説を読んだだろうか? あの日のこと、どう思っているだろうか?


 あの日、喫茶店で──距離が近づいた瞬間の、あの空気。


 あれから、DMは来ていない。


 もしかして、怒ってる? それとも──


 DMのベルが鳴ったのは、深夜零時を回った頃だった。


 送信者:mio_sigh_real。


 画面を見つめる。心臓が、バクバクと跳ねる。


 『作者さん。小説、読みました。あの日のこと、書いたんですね。小説ではキスもしちゃいましたね。恥ずかしい……でも、嬉しい。』


 『突然の提案ですが、共同執筆しませんか? 私の部屋で。次の土曜の夜、空いていませんか?』


 共同執筆。

 私の部屋。

 土曜の夜。

 

 文字が、画面で踊る。


 私の部屋。土曜の夜。私の部屋。 私の部屋。土曜の夜。私の部屋。 私の部屋。土曜の夜。私の部屋。 私の部屋。土曜の夜。私の部屋。 私の部屋。土曜の夜。私の部屋。


 澪の言葉が、頭の中で無限ループを描く。


 共同執筆──それは、創作の名を借りた何かなのか?


 それとも、純粋に物語を紡ぎたいという衝動なのか?


 「恥ずかしい……でも、嬉しい」


 その矛盾した感情が、俺の胸を締め付ける。待て。これは、取材の延長なのか? それとも──


 妹の言葉が、頭をよぎる。「子作りの衝動」「創作の原動力」。


 いや、考えすぎだ。ただの共同執筆だ。創作について語り合うだけだ。


 ……本当に? 指が震える。返信を打つ。「いいですよ。何時に?」


 即返事。『20時。住所送るね。楽しみ♪』


 楽しみ。


 その一文字が、妙に生々しくエロい。




 土曜の夜。俺は、澪のワンルームの前に立っていた。


 古いアパートの二階。ドアの前で、深呼吸。そしてノックする。


 「はーい」


 ドアが開く。


 澪が、めんどくさそうな顔でそこにいた。


 ルームウェア。白いTシャツに、グレーのスウェットパンツ。黒髪が、肩に流れる。眠たげな目がこちらを見つめる。


 「作者さん。来てくれたんだ。どうぞ」


 部屋に入る。


 狭い。ワンルーム。ベッドとデスク。そして──


 壁一面に、俺の小説のプリントアウトが貼られている。


 そこには沙羅と同じ赤線が引かれている。


 「これ……」


 「私の研究ノート。作者さんの文章、全部プリントして、分析してるの。どこが良くて、どこが改善できるか」


 彼女が、くすくす笑う。


 「めんどくさがり屋だけど、好きなことには執着するタイプなの。作者さんの澪、まさに私でしょ?」


 心臓が、ドクンドクンと鳴る。


 赤線の筆跡──どこかで見たような、丁寧な文字。


 これは、ファンの熱意なのか? それとも、何か別の──


 「座って。コーヒー淹れるね」


 彼女が、キッチンへ。


 俺は、デスクの椅子に座る。ベッドまで、1メートルもない。


 部屋の空気が、濃い。


 コーヒーの香りが、漂う。


 「はい。ブラックでいい?」


 「ありがとう」


 カップを受け取る。指が、触れる。


 温かい。


 「じゃあ、共同執筆、始めよっか」


 澪が、俺の隣に座る。


 膝が、触れる距離。


 「ルールは簡単。私が実演、作者さんがプロット。私が『こんな感じ』って動いたら、作者さんがそれを言葉にする。どう?」


 実演。動く。言葉にする。


 「……面白そうですね」


 「でしょ? じゃあ、例えば──」


 彼女が、俺の方に体を傾ける。距離が、近い。吐息が、聞こえる。


 「こんな感じで、ヒロインが主人公に近づく。で、作者さん、どう書く?」


 「……めんどくさい、けど」


 澪が、小さく呟く。


 「作者さんのためなら、動くよ」


 心臓が、ズキンと跳ねる。でも、指が動く。ノートパソコンのキーボードを叩く。


「彼女が、近づく。体温が、肌を撫でる。吐息が、首筋を這う。心臓が、欲望のリズムを刻み──」


 「いいね。続けて」


 澪の声が、耳元で囁く。


 「心臓が、欲望のリズムを刻み、血液が熱く脈打つ」


 「完璧」


 彼女が、微笑む。その笑顔が、めんどくさそうで──でも、可愛い。


 「でもね、作者さん」


 澪が、ノートパソコンの画面を覗き込む。


 「この『欲望のリズム』って表現、もっと具体的にできない? 読者が感じられるように」


 彼女の指が、画面を指す。


 「例えば……『ドクン、じゃなくて、ズキズキと痛いくらいに』とか」


 妹の指摘と、同じだ。


 「作者さん。これ、楽しいね。もっと書こうよ。もっと深く、残響を共有しようよ」


 彼女の手が、俺の手に重なる。温かい、生きている。創作と現実の境界が溶け始める。


 共同執筆の共犯。渇きの共有。表現の果てに、子を成すような欲求。


 妹の言葉が頭をよぎる。


 でも、今は──


 書くことしか考えられない。


 澪と一緒に。


(続く)

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