第5話 吐息の投稿
翌朝。
いや、正確には「数時間後」だ。結局、ほとんど眠れなかった。
キッチンでコーヒーを淹れる。豆をガリガリと挽く音が、静かな部屋に響く。カップにトポトポと注ぐ。湯気がふわりと立ち上る。
コーヒーを一口。苦い。でも、頭が少しクリアになる。
カップを持ったまま、デスクに戻る。画面を更新する。
その瞬間──ピロリロリンリン! 通知音が、部屋に響いた。
アクセス:1,247。
いいね:358。
コメント:42。
画面をスクロールする。言葉が、溢れている。
「このヒロイン、息してるみたい」
「匂いが伝わる」
「次が読みたい」
「澪の吐息シーンで悶絶」
「匂わせエロの新境地じゃね?」
息が、止まる。これが、創作の喜びか。センスゼロなんて、ただの言い訳だったのかもしれない。
DMのベルが鳴る。妹・沙羅から。
『お兄、これヤバい。澪のため息、投稿して正解だよ』
妹にまた褒められた。
127回のボツを経てこれが2回目だ。
手が震える。画面が滲む。涙じゃない。ただ、光が眩しいだけだ。
『ありがとう』と打つ。送信。
妹の返事:『でも、まだまだ硬い部分残ってる。次はもっと、境界を溶かして。お兄ならできるよ』
境界を溶かす。
その言葉が、胸に染みる。妹の赤ペンは、批評じゃない。愛情の形なのかもしれない。
だが、満足なんてない。渇きが喉を焼くように疼く。
もっと。もっと書きたい。もっと、誰かの心を掴みたい。
ノートに、殴り書き。「創作の喜び──これだよ、これ。でも、まだ足りない。頂きは、まだまだ遠い」。
そんな午後、再びDMのベル。
送信者:mio_sigh_real。
誰?‼
プロフィール写真は、黒髪が雨に濡れたような、ぼんやりしたシルエット。
『作者さん、私が"澪"です。あなたの言葉で、私の息が、初めて"生きた"気がしました。続きを書いて。私、もっと生きたいの。──もしよかったら、会って話さない? リアルな"ため息"を、取材させてください』
心臓が、跳ねる。取材? それとも、創作の幻影が、現実を侵食しに来たのか。
ノートを再び開く。昔のページに、妹の字。
「悩んでるね。お兄。仕方ないな。そんなお兄に、手っ取り早く読者の心を掴む策を預けよう。答えは『子作りの衝動』。エロスの本質って、生き物を生み出したい渇きでしょ? 物語も同じ。赤ちゃん作るみたいに、作品を生む。永遠に残る何かを作りたい欲求。これが創作の原動力だよ。……って、お兄、変な想像しないでね? 比喩だから。本当か⁈──クックック」
子作りの衝動。
妹の言葉が、胸に刺さる。そうだ。俺は今、物語という「子」を生み出そうとしている。そして、澪という「生命」を現実に──
……って、待て。
これ、完全にロマンス詐欺の被害者の思考回路じゃないか?
「子作りの衝動」とか言いながら、ネットで知り合った美女に入れ込む中年男性。「澪は実在した」「彼女は俺の創作した生命だ」──次は「お金を貸して」とか言われて、「これも創作の一部だ」とか言いながら振り込むパターンだろ。
妹の言葉、カジュアルすぎて逆に危険だったんじゃないか?
妹の言葉で現実と妄想の区別がつかなくなる。これが創作脳の末路か。
……ああ、もうダメだ。俺、完全に引っかかってる。
半信半疑で、返信する。「どこで?」。
返事は速い。街中の古い喫茶店、土曜の午後。
妹にDM。「澪って名乗る人から、取材の申し出。会うべきかな?」
妹の返事:『行けよ! エロ追求の次なるステップだ。実地調査! クックック。澪のため息、君の耳元で再現してもらえよ。お兄の筆がもっと冴えるかも』
結局、好奇心が勝った。
(続く)
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