第3話 陰の中で揺れた光

第3章 影の中で揺れた光

―――♪♪♪

 朝6時半、スマートフォンのアラームが鳴る。

 俺は手を伸ばし、アラーム解除してから起き上がると、隣には瑞希が眠っていた。

 俺は、瑞希の布団をかけ直してやり、そろりとベットから出て、シャワーを浴びた。


 部屋に戻ると布団の中から瑞希が「おはよう」と声を掛けてきた。

 「昨日も遅かったの?」

 冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、キャップを回しながら聞いた。

 布団の中で彼女がもごもご答える。

「うん。打ち合わせが結構ごたついちゃってね。」

「そうか。お疲れ様。」

「私、もう少し寝るね。おやすみー」

 そのままベッドの布団を頭からかぶった。


 俺が寝てから部屋に来たのだろう。さっぱり気付かなかった。

 1人で朝食を食べて、玄関で靴を履いてから少し考えて振り向き、今日は和也に誘われてるから少し遅くなる事を伝えようか迷ったが

(わざわざ起こしてまで伝える事ではないか。後で連絡入れよう。)

 と思い、無言で部屋を出た。


 車のエンジンを掛けようとして、しばらく考え込む。

 あいつは、夢のない俺を魅力のない男だと言って、一度は離れて行った。

 戻って来たあいつは、少し憔悴した顔で「ごめんね」と俺の腕に抱きついてきた。

 俺の所へ戻って来た瑞希をすんなり受け入れた。

 俺も寂しい人間なんだとその時に悟った。


 あんなものは結局女が傷つく。そんな事を前にTVで誰かが言っていたのを思い出した。

 瑞希も傷ついたのだろうか?しかし、俺は何も聞かなかった。いや、聞くのが怖かったのだ。


 夢の無い男と、妻のいる男。

 2択で俺は選ばれた訳だ。

 もう失笑もんだな。

 何も聞かない俺に、後ろめたさからなのか、前にも増して俺に優しくなった気がする。

 そんな心情を知っているのに知らないふりをする俺も大概だ。


 キーをしばらく握ったままだった。

 「ふぅー」と思い出したように、ため息とともにエンジンを回した。


 友人の和也から誘われた飲みは予想外だった。2人で飲むものとばかり思っていたし、女が来るなんて聞いてなかった。

 それが、何度か誘われて行った和哉の行きつけのスナックのホステスとは、納得がいかなかった。

「俺、彼女いるし、ちょっとまずいって」

 とやんわり断ったが

「まぁまぁ、たまにはいいじゃん!飲むだけだし。前に一緒に飲んだ時、お前の事気に入ったんだとよ!付き合えよ!」

 と、逃げ腰の俺を引き止めた。

 今夜は絶対に酒は飲まない、と心に決めた。

だからノンアルを頼んで、絡みついてくる女の手をそっと外しながら、心でため息をついて

(どうやって帰るかな……)

と考えていた時だった──


 幸運にも隣のテーブルの客とぶつかってウーロン茶をスーツにぶちまけられた。

 瞬間に「ラッキー」と思ってしまった。

 と同時に、ああ、俺は本当に情けないな。と苦笑した

 連れの女が、ぶつかってきた女を突き飛ばした。

 あー、あー、相当酔ってるな。これ。もうめんどくさ。


 尻もちをついた女を起こそうとしたとき、小さな声で俺に「わざとです」と言った。

 は?なんだコイツ?と思ったが、その子の若い連れが『ゆずは』と呼んだ。

 なかなか珍しい名前なので、まさかと思ったが、咄嗟に呼ばれた女の顔を覗き見た。

 そこにはあの日、まだあどけなかった柚葉の面影があった。

「……⁈」

 一瞬、思考が止まった。

 暗い雨降る月の夜、呆然と立ち尽くしていた彼女。

 数時間しか話さなかったのに、強烈に俺の心に残った彼女。

 そしてあの日、俺の心を軽くしてくれた彼女。

 それが『好き』なのかどうかも分からない。ずっと忘れられなかった柚葉が目の前に居た。

 再び柚葉を見たら、一気にあの日へ戻ったような感覚に陥った。

 あの日の凍えるような寒さ、ダサい格好で一日中働いた疲労感、瑞希が部屋を出て行った後の心情までもが一緒に湧き上がってきた。


 え?なに?この感情は懐かしさなのか?

 自分でも知らない感情を掻き消すように柚葉に接した。


 柚葉は、もう少女ではなかった。

 でも話せば、まだあどけなくて、とても可愛かった。

 ダメダメ!俺が、そんな事思ったらダメ。


 車に乗せようと、キーホルダーをポケットから取り出した時、慌てて見られないように隠した。

 何故、咄嗟に隠したのかは自分でも分からない。

 あの日の思い出を大事に持っていたのが知られたら、きっと引かれる自信があった。

 (本当に俺、どうかしてるな)

少女を助ける経験なんて、人生でそうそうない。

 そうだ。この感情はきっと懐かしさに浸ってるだけだと自分に言い聞かせた。

 他愛も無い会話をして、部屋まで送ってやった。


 ――――そんな事があったその1ヶ月後

 珍しく、瑞希が朝から部屋に来て、2人とも予定が何も無い日が重なった。

 映画でも観に行こうとなり、どの映画を観るか相談していた。

 瑞希のスマホに着信の音楽が鳴った。

 瑞希は、それを消して話を続けた。

「電話、いいの?」

 俺が聞くと

「うん。友達ー。別に、大した用じゃないから大丈夫」

 と、軽く答えた。

 瑞希はどんどん嘘が上手くなっている。

 いつまで俺は気づかないふり続けるんだろうか?

 瑞希の身体から、別の男の香りがするのも、嘘の予定で何度もキャンセルされるのも。

 なぜ俺は、瑞希と一緒にいるのだろう。

 あの日、戻ってきた彼女を受け入れた日から、覚悟したはずだった。それでもいいと自分に言い聞かせた。

 その結果が、今のちぐはぐな関係に収まっている。

 ちぐはぐと思っているのは俺だけか。

「鈍感なバカな彼氏」そうとでも思って、腹の中では笑っているのだろうか?

 それでも、猫撫で声で甘えてくる彼女を受け入れる。

 ……俺の心は、一体どこにあるのだろうか?


「あー!面白かったね。やっぱり、たまにはアクションもいいね!スッキリするー!」

 満足げに彼女は笑った。

 その笑顔で、誰に愛を囁いているのか?なんて相変わらず卑屈な事を考えながら

「この後どうする?今日は何も予定ないんでしょ?なら、軽く食事して、夜は飲みにでも行こうか?あ、この前行きたいって行ってた焼き肉屋なんてどうかな?」

「あーー、それが……。朝、電話くれた友達から今夜飲みに誘われちゃって」

 残念そうに眉間にシワを寄せながら呟いた。

「え?そうなの?」

 俺はピンときた。正直、そろそろもうダメかと考えていた。

「ほんとごめーん!」

 可愛く両手を顔の前で合わせて顔を左右に揺らす。

その時、柚葉の声が頭に響いた

 (助けてもらったコーヒーショップで今働いています!良かったら、今度コーヒーでも飲みに来てください!)

 何故か無性に行きたくなった。

「じゃあさ、時間までコーヒーでも飲もうよ。さっきの映画の話もしたいし、懐かしい店があるんだ。」

「ええ、そうね」

 2人であのコーヒーショップへ行く事になった。


 ――――

「いらっしゃいませ!何名様でしょうか?」

 黒いエプロン姿の爽やかなウエイターに出迎えられた

「2人です。」

「では、あちら側のお好きな席にどうぞ。」

 と手のひらで窓際へ誘導される。店の中を見回して見たが、柚葉の姿は見つけられなかった。

 まぁ、平日の昼過ぎなんてバイトしてないかと、少しがっかりした。

 店内は、お昼過ぎのこの時間にしてはだいぶ混んでいた。

 この店に来るのは、2年ぶりだった。会社に勤める前はよく来ていたのだが、今はコンビニの手軽なコーヒーやドライブスルーで注文できる店ばかりだった。

「懐かしいなー。」

 一言呟くと

「へえ〜、いい店ね」

 と言いながら、彼女は注文用のタブレットをスクロールしていた。


 しばらくすると

「お待たせいたしました。こちらブレンドコーヒーとカプチーノでございます。」

 と、さっきのウエイターがコーヒーを運んできた。

 広々なソファ、ゆったり流れる音楽、大きい窓からは深緑のイチョウの木が揺れている。

 店内の空間は程よい雑音が響き、一体感に包まれていた。

 コーヒーをゆっくり口に運ぶと、深いアロマのような香りと心地よい苦みが口の中に広がる。長く息を吐いて、目を瞑って再び口に運ぶ。

 やっぱり、美味しい。コンビニや家のインスタントとは違うな。急いで飲むコーヒーではなく、ゆったりと贅沢な時間を連れて来てくれるような一杯だ。

 さて、今この時間は贅沢なのだろうか?

「そんなに美味しい?」

 彼女はカプチーノをスプーンでクルクル回しながら聞いてきた。

「そうだね。家で飲むコーヒーよりは格段に違うかな」

「家では悠真いつもインスタントだもんね。慣れると、そっちもいいけど、やっぱり丁寧にドリップするとこんなにも違うものなのね。」

「俺は、家で時間をかけてまでコーヒーは淹れれないかなー」

「でも、自分のためにそうゆう時間を作るのも大切かもね」

「うーん、家と外では違うから、外で飲むコーヒーが格別に美味しく感じる場合もあるんじゃないかな?」

 そう言いながら、俺はカップの表面に映る自分の顔をぼんやり見ていた。

瑞希の視線が、一瞬だけ泳ぐ。

「……それも、そうね。」

視線を落とし、カプチーノの泡をスプーンでつつく仕草が

ほんのわずかにぎこちない。

 (俺の言葉の意味、気づいてるよな)

 そう思いながら瑞希に聞いてみた。

「で、今夜の友達は劇団の人なの?」

 いきなりの問いに彼女は少しびっくりしたが、それを見せない様子で

「えぇ。そうなの。急に打ち合わせってなってね、その後、みんなで食事会になっちゃったのよ」

「そうなんだ。なら今日も綺麗な格好して、出掛けるんだね。」

「身だしなみはちゃんとして行かないとね。一応、人から見られる立場なんだし」

「遅くなる感じ?」

 俺は紙ナプキンで水の入ったコップの水滴を拭きながら聞いた。

「そうねー。」

 と答えて彼女はカプチーノをゴクリと飲んだ。

「俺、気付いてないと思ってる?」

瑞希のカプチーノを飲む手がピタッと止まった。そしてゆっくり笑いながら

「えー?え?何言ってるの」

 とはぐらかすように笑っている。髪を掻き上げ俺を真っ直ぐ見つめた。

 さすが女優志望なだけある。そんな瑞希の目を俺はさらに真っ直ぐ見つめ返した。



 ――――あー、もうギリギリ!午前の授業が終わってすぐ、学食でサークル仲間と話し込んでたらバイトの時間にギリギリだった!

 13時55分、私は急いで裏口を開けた。

 バックヤードから厨房を通って、ロッカールームへ急いで向かう。

 (ふう、セーフ。なんとか間に合ったー)

 息を整えて、ホールに出る。

 (うわー、今日はちょっと忙しい?ほぼ満席じゃん。)

 シフトチェンジの14時上がりの仲間に、ギリギリでごめん!と小さく謝る。

 やっと来たか。と言わんばかりに「お疲れ様したー」と手をひらひらさせて爽やかに上がって行く。

 さてと。オーダーの出来上がったサンドイッチを席まで運ぶ。

「お待たせいたしました。こちらミックスサンドでございます。後ほどデザートもお持ちいたしますね。」

 慣れた手つきと口調で仕事をこなす。

 その時、ふと窓際の席が目が入った。見た事あるような女性が座っていた。一緒の男性は後ろ姿なのに、何か違和感を覚えた。

「?」

 なんか既視感。そう思ったが、厨房から「これお願ーい」と呼ばれたので、トレイにコーヒーを置き、カウンターの客へ運んだ。

 その間も頭を回転させ考える。

「あ」

 思い出した。私の推しカップルだ!!

 でも、彼女はいつもの雰囲気ではなかった。髪はストレートで、いつものふわふわウェーブではないし、服装もスーツではなく、ネックレスもピアスも付けていなかったし普段着に近かった。

 普通なら分からないかもしれない。

 でも、私はバイト初期から、あの美女とイケおじを推していたので、思い出せた。

 でも、相手はイケおじではなかった。

 とても素敵な2人は、本当は素敵ではなかった事を知って、がっくりした日を思い出した。


 それなら相手は誰なんだろう?憧れていた美女の違う連れに少し興味を持ちながらも、ダメダメ!お客様のプライベート!と割り切って仕事をこなしていた。

 でも、なんだかあの席の雰囲気が変。楽しそうじゃない気がした。2人ともあまり動かずにとても静かに話している。


結構時間が経って、店内も空席が目立ってきた。

 お客様の会計を済ませて、ふとあの席を見るとお冷のグラスが空になっていた。

 慌ててウォーターピッチャーを持って席へ向かった。

「お冷、お入れいたします。」

 と、それぞれのコップに水を注ぐ。

「あ」

 男の方が声を発したので、私も男を初めて見た。

「え?」

 今度は私が声を出していた。一瞬混乱してしまった。

 そして、向かいに座る美女へ

「あ、いつもありがとうございます。」

 と頭を下げた。

「っ!!」

 女がびっくりしたような困ったような表情になった。

(しまった!お客様のプライバシーを言ってはダメだった!)

「あ、失礼いたします!!」

 大きくお辞儀をして、ほぼ逃げるように立ち去ってしまった。

 2人は少し話して、私が推していた美女が先に帰ってしまった。

 (あー、あの人が悠真さんの彼女だったのかな?だとしたら、絶対勝てない。綺麗すぎる)


 1人になった悠真さんの元へ行き

「き、来てくれたんですね!ありがとうございます」

 とまた深くお辞儀をした。その拍子に胸ポケットのボールペンが床に落ちてしまった。

「はは!全く君はー」

 と、ボールペンを拾ってくれて「ん!」と渡してくれたのを、ぼーっと見てしまった。

「?大丈夫??」

 不思議そうにボールペンをクルクル回して私を心配そうに見ている。はっとしてボールペンを受け取り

「さっきの方は……彼女さんですよね?」

 聞いて見ると

「うーん」

 と頭に手をやり、綺麗な真ん中分けの緩やかなカーブがかった整えられた髪をくしゃくしゃにして

「さっきまでの彼女……かな」

 とはにかんで笑っていた。

 

 

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