第8話 英雄ヘラクレス

──四ヶ月後


第四の勇者が召喚された。

その名は――勇者ゼファリオ・グリフィアス。


だが今回は、彼一人ではなかった。


召喚陣の中心。

まばゆい光の中から、もう一つの影が現れる。

地鳴りのような足音、空気を震わせる気迫。


現れたのは、三メートルを超える巨体の男。

鋼の筋肉、雷のように煌めく瞳。

その名が告げられた瞬間、召喚の間にいた神官たちは息を呑んだ。


――英雄ヘラクレス。


半神半人のデミゴッド。

ゼウスと人間アルクメネの血を引き、天と地の狭間に生まれた最強の戦士。

その腕には万の兵を薙ぐ力が宿り、怒りの一振りは山をも砕くと伝わる。


数多の罪と罰、十二の試練――それらすべてを乗り越え、彼は神々に挑んだ。

そして、神々の座に昇りながらも、人の心を忘れなかった。

まさに“神に最も近い人間”。


その伝説の存在が、今――異世界に姿を現した。


アスラがその報せを耳にしたとき、胸の奥で何かが軋んだ。

心臓の鼓動が重く響く。

まるで世界そのものが、自分という異物を排除しようと動き出したように感じた。


「ゼロ、今度は強敵だ。……ヘラクレスが出てきたぞ」


「は?ヘラクレス?冗談だろ、あの神話の化け物か?」


ゼロは目を丸くし、半ば笑いながらも声が震えていた。


「怪力なら、多分俺は負けないよ」


アスラの声音は静かだったが、その目には炎のような決意が宿っていた。


ゼロは怪訝そうに眉を寄せる。

この細身の剣士が、どうやってあの神の血を継ぐ巨人に挑むというのか。


だがアスラは、わずかに笑った。

その笑みには、諦めも恐怖もない。


「ゼロ、お前が本気を出せば、神でも倒せるんだろう?」


「うむ、何でもありなら我が勝つ!」


ゼロは拳を握りしめ、笑みを返した。

その背から、竜帝の気配が滲み出す――

まるで、世界最強の存在に挑む前の高揚を楽しむかのように。


「新しい情報が待ち遠しいよ」


アスラは呟きながら、次の戦いへの覚悟を静かに固める。


――――


ルアは、龍炎息ドラゴンブレスの習得に励んでいた。

喉の奥に龍魔力を集め、それを燃やし、炎として吹き放つ――理論上は単純。

だが、その一瞬に込められる魔力制御は極限の集中を要する。


彼女は一日中、顔を真っ赤にして「ふーっ、ふーっ」と息を吐いていた。

周囲の地面は黒く焦げ、煙が立ちのぼる。


一方その頃、アスラとゼロは実戦形式の訓練を続けていた。

全力ではないが、剣の軌道、魔力の流れ、互いの動きを確かめる。


剣の腕だけならアスラが上。

だが、“何でもあり”の戦いになれば、勝敗は読めない。


アスラはゼログラスとは本気で戦いたくなかった。

それは初めて得た“仲間”だったからだ。


長い孤独を過ごしたアスラにとって、ゼロの存在は救いだった。


笑う時間が増え、静かな夜が少しだけ温かくなった。

アスラは多くを語らないが、心の奥では、ゼロを何よりも大切に思っていた。


そんなある日の訓練の合間、アスラが口を開いた。


「あ、そう言えば、この世に存在する剣の中で、最強の剣は何になるんだ?」


ゼロが興味深そうに頷く。


「聖剣となると、やはりエクスカリバー、もしくはラグナロクだな。

 あとは存在が確認されていない“アルテマ”。そして、デュランダルも良い剣だぞ!」


「どこに行けば、その聖剣……手に入るかな?何か知ってることがあったら教えてくれないかな」


アスラの声には焦燥が混じっていた。

デミゴッド――ヘラクレスを倒すには、常軌を逸した力が必要だと悟っていたからだ。


「ん~、そうだな、最近まで封印されてたから何も知らん!」


ゼロは苦笑する。

確かに、封印の中で二千年も眠っていたのだ、情報があるはずもない。


「ルアは聖剣の話、聞いたことある?」


アスラが問うと、ルアは少し考えてから頷いた。


「昔、ある女の子から聞いたことがあるよ。

 聖剣かどうかはわからないけど、森の奥に綺麗な花が咲いている場所があって、

 そこに岩があって、その上から剣が突き刺さってるって話なんだけど……」


アスラは目を細めた。

その描写に、何か“神話の残り香”のようなものを感じた。


「でもね、その剣、誰にも抜けないみたい。千年以上、刺さったままだって」


その言葉に、アスラの中で何かが閃いた。

同じ匂いがする――“選ばれし者しか抜けぬ剣”。


「その森がどこにあるか、知ってる?」


「確か……獣人の森って言ってた。その奥深くにあるんだって」


「ルア、ありがとう。今から獣人の森に行ってくる。今度の相手はデミゴッドだ。剣は強いに越したことはない。」


アスラは即座に決断した。

その目には、もう迷いはなかった。


「三千キロくらいありそうだから、走って行くよ。順調にいけば三日位で着くと思うしね!」


そう言い残すと、風を切るように地を蹴った。

瞬く間に姿が遠ざかり、砂塵が舞う。


その背中を見送りながら、ゼロは呟いた。


「……本当に、止まらないやつだな」


ルアは微笑み、龍のように空を仰いだ。

――この世界に、再び伝説が生まれようとしていた。


――――


──獣人族の森


アスラは、久しぶりに一人きりの時間を迎えていた。

静寂に包まれた森。木々の間から差し込む光が、揺れる葉の影を地面に描く。


だが、静けさは彼に安らぎを与えなかった。

一人になると、頭の中の雑音が止まらない。

過去の声、血の匂い、戦いの残響が押し寄せ、胸を締めつけるように苦しくなる。


アスラは草の上に体を横たえ、膝を抱えて丸まった。

そして、うっすらと目を閉じながら思考を巡らせた。


(まずは獣人族と話をしないとな。交友的に行けば……大丈夫なはず!)


小さく息を吐き、夜の帳の中で静かに眠りについた。


──翌朝


アスラは夜露を払いながら、森の奥を駆けた。

風を切る音。獣たちの気配。すべてが研ぎ澄まされている。

目的は一つ――岩に刺さった剣の在処を探すこと。


しばらく走ると、木陰の奥で数人の獣人族が話しているのを見つけた。

アスラはゆっくりと歩み寄り、声をかける。


「すいません、私、ここから少し離れたところに住んでいるものなんですけれど、岩に刺さった剣をどうしても見たくてここに来ました。よかったらその場所教えてもらえませんか?」


獣人族たちは、互いに顔を見合わせ、ひそひそと声を潜めた。


「……」


「……」


「あ、私は怪しいものでは……」


ひそひそひそひそ……


完全に怪しまれている。


(あ、これは無理だな)


アスラは諦めてその場を離れ、再び森を駆け出した。

やがて、大きな川にたどり着く。川面は陽光を反射し、きらきらと光っている。

アスラは水の流れに沿って下流へと走った。


やがて、森の開けた先に一つの街が見えてくる。

獣人族の拠点らしい賑わいだ。


アスラは、猫耳のアクセサリーを取り出して頭につけた。

(これで少しは怪しまれないだろ)


街に入ると、まずは宿屋を探す。

商人たちに道を尋ね、評判の良い宿屋を見つけた。

荷物を下ろして一息つくと、すぐに酒場へ向かう。


店内は人の声と笑いに満ちていた。

テーブルのあちこちで、酒と共に勇者の噂が飛び交う。


「今回の勇者様は、今までの中で一番強いらしい」

「英雄ヘラクレスがいるから、もう負けることはないさ!」

「黒い仮面の男も、これで終わりだ」

「早く黒い仮面の男が殺されるところが見たいな」

「ありゃ化け物だ。精神異常者ってやつだ」


アスラは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

胸の奥が冷たくなる。

自分が、今その“黒い仮面”と呼ばれていることを理解していたからだ。


だが、表情は変えない。

アスラは無言で立ち上がり、カウンターへ歩み寄った。


「マスター!獣人の森に、岩に刺さった剣があるって聞いたんだけど、知ってる?」


「ああ、それなら“獣人都市セルダ”の領地内にある公園にあるはずだよ。でも多分、入れないと思うよ?警戒が厳しいからね」


「ありがとう」


アスラは頭を下げ、すぐにセルダへ向かった。


道のりは思ったより短く、二時間ほどで到着した。

広大な城壁と獣人の哨戒兵が立ち並ぶ都市。

あてがないアスラは、冒険者ギルドへ足を運んだ。


扉を押し開けると、内部は喧騒に包まれていた。

酒と汗の匂い、剣の音、笑い声――生きる者の息遣いが満ちている。


受付の女性が空いているのを見つけ、アスラは近づいた。


「岩に刺さっている剣を抜きたいんですけど、どうやったらできますか?」


「え?ああ、それなら……掲示板にある“ドラゴン討伐依頼”を成功させた者に、挑戦権が与えられるらしいですよ」


「依頼を受けないとダメなんですか?」


アスラの声には若干の不満が滲んでいた。


「そうなります」


「しゃあ、依頼を受けます。これからどうすればいいですか?」


受付の女性はにこりと微笑む。


「まず、あなたは冒険者ですか?ランクを教えてください」


「冒険者ではありません!ど素人です。これでも依頼は受けられるんですか?」


「この依頼は冒険者ランクフリーなので、登録が必要になりますね」


「わかりました。じゃあ、登録をお願いします」


アスラは肩を落としながら答えた。

こういう形式ばった手続きが一番苦手だ。


女性は用紙を取り出し、机に置いた。

「こちらに名前、年齢、職業、住所、緊急連絡先をお願いします」


アスラは面倒くさそうに眉をひそめながらも、丁寧に書き終えた。

女性が書類を受け取り、別の紙束を並べる。


「こちらは冒険者としての心構えや注意事項です。ランクの仕組みも書かれています。依頼前に目を通してくださいね」


そして、机の下から“F”の刻印が入ったネックレスを取り出した。


「今日からFランク冒険者です。おめでとうございます。これからの活躍を期待しています」


「ありがとう」


アスラは受け取り、軽く首にかけた。

同時に、ドラゴン討伐依頼の書類を受け取る。


「気をつけて、生きて帰ってきてくださいね!」


受付の女性の優しい言葉に、アスラは軽く笑って頷いた。


(ここから二十キロ先の村に出るドラゴンか。大きさ十メートルのレッドドラゴン……早めに片付けよう)


アスラは紙を握りしめ、そのまま風のように走り出した。


──依頼の村


たどり着いた村では、多くの冒険者たちが武器を構え、空を見上げていた。

その視線の先――天を裂くように、巨大な影が舞い降りてくる。


炎のような赤鱗、黄金の瞳。咆哮は雷鳴のように大地を震わせ、熱風が村を焼いた。

十メートル級のレッドドラゴン。

その存在だけで、空気が軋む。


「来るぞッ!」


誰かが叫ぶ。


瞬間、空が裂けた。

ウィンドブレス――風圧と魔力が混じり合い、刃となって地を薙ぎ払う。

冒険者たちは次々と吹き飛ばされ、悲鳴が木霊した。


ただ一人、アスラだけが動かない。

足元の砂塵が舞い上がり、黒髪が風に揺れる。


剣を抜く。音すらなかった。

ブレスの刃が降り注ぐ。

アスラは身をひねり、斬撃でそれを弾き返す。

鋭い風の刃が頬をかすめ、血が飛ぶ――だが、その瞳は微動だにしない。


「悪くない……だが、遅い」


そして、大きく剣を振り上げ、風を裂く。

アスラの瞳は、獣の如く鋭く光った。

ドラゴンの切筋――ただ一瞬、わずかな隙を見極める。


「終わりだ」


刃が閃き、空気が悲鳴を上げた。

次の瞬間、紙を裂くような音が響き、レッドドラゴンの巨体は斜めに断ち割られた。

その身を空へ舞い上げた血飛沫が、紅い雨となって降り注いだ。


風が吹き抜け、血煙をさらっていく。

立っているのは、静かに剣を下ろすアスラただ一人だった。


――――


アスラはレッドドラゴンの牙を丁寧に袋へと収め、血のついた手を軽く拭った。

そのまま踵を返し、真っすぐギルドへ向かう。


受付の女性は彼を見るなり微笑み、依頼書と袋を受け取った。


「お疲れ様でした!レッドドラゴンの牙、確かに受け取りました。こちらが報酬の金百枚と、聖剣を引き抜く試練を譲渡します。挑戦されますか?」


「します!します!そのために来ましたから」

アスラは嬉しそうに笑い、拳を軽く握った。


「承知いたしました。今から聖剣の場所までお連れいたしますので、私についてきてください」


ギルドを出て裏手へ回ると、まっすぐに延びた石畳の道が、森の奥へと続いていた。

鳥のさえずりが遠くで響き、木々の間を風が静かに抜けていく。


やがて視界が開け、そこは花々が咲き誇る幻想的な広場だった。

甘い香りが漂い、どこか神聖な気配が満ちている。


(ここは……凄く気持ちがいい。まるで心が洗われるようだ)


中央には、一振りの剣が岩に深く突き立っていた。

剣を中心に光が舞い、周囲の花々がゆっくりと揺れている。

まるで剣自体が、この世界の中心に存在するかのようだった。


「この剣、抜いてみてもいいですか?」


アスラは真剣な眼差しを剣に向ける。


「ええ、大丈夫ですよ。思う存分挑戦してください」


受付の女性が優しく微笑んだ。


アスラは一歩前に出て、静かに柄へ手を伸ばす。

その瞬間、空気が変わった。

風が止み、花の揺れが止まり、空間全体が“息を潜めた”。


「何だ!この魔力は……この剣は絶対に欲しい!」


全身を駆け巡る圧力に、アスラの皮膚がざわめいた。

まるで剣そのものが、彼を試しているようだった。


彼はゆっくりと呼吸を整え、通常の力で柄を引いた。

……動かない。まるで岩と一体化しているかのようだ。


(これは……全力じゃないと抜けないな)


アスラは右腕に力を込めた。

三千年、重圧と戦い続けたその肉体が唸る。

筋肉が軋み、骨が悲鳴を上げる。


「ぐっ……ぬぅぅ……っ!」


岩は沈黙を守ったままだ。

血管が破れ、右手から赤い雫が滴る。

それでも、アスラは止まらなかった。


「うおおおおぉーーッ!!」


咆哮とともに、黒い魔力が噴き上がる。

地面が震え、周囲の花々が吹き飛ぶ。

風が逆流し、光が歪み、世界の法則が軋んだ。


(まだだ……右手に頼るな。全身の力を、魂ごとぶつけろ!)


アスラの身体全体が発光する。

血が蒸発し、髪が風に舞う。

大地に亀裂が走り、足元の岩が砕け散る。


「これが――正真正銘、俺のすべての力だ!喰らいやがれッ!!」


轟音とともに、アスラの魔力が爆発した。

黒と白の光が交錯し、空へと奔る。

その中心で、アスラの体はボロボロになりながらも、なお剣を握り締めていた。


そして――その瞬間だった。

怒りも焦りも、欲望すらも消え、ただ“無”となる。


静寂の中、聖剣がゆっくりと動いた。


――バキィィィィンッ!!


岩が砕け、光が弾ける。

広場を包む閃光が、夜空を照らすほどの輝きを放った。


アスラは膝をつき、血に染まった右手で剣を掲げた。

その刃は、黒と白の光を宿し、空間を震わせる。


「……抜けた、の……?」


受付の女性は目を見開いたまま、言葉を失っていた。

彼女の視線の先で、アスラの姿はまるで“新たな神話”のように輝いていた。

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