第8話 作戦会議


 翌朝の向又谷高校、1年4組の教室は、若々しい喧騒に包まれていた。



​「ねえ、昨日のドラマ見た?」

「見た見た! あのラスト、マジありえないでしょ!?」

「今日の放課後、駅前のカラオケ行かね? 割引券あるんだよなー」

「あー、俺はパス。部活の見学行かないとヤバいんだわミキセンに睨まれってから」



​ 他愛のない会話。笑い声。チョークの粉が舞う匂い。



 災害によって他校から避難してきた生徒たちが混ざっているとはいえ、そこにあるのはありふれた高校生の日常風景だ。誰もが「今日」という日が平和に続くことを疑わず、青春を浪費している。



​ そんな平和なノイズの中を、天利 穂は、全身の筋肉が上げる悲鳴を噛み殺しながら歩いていた。  



​ (……いてて。身体中がバラバラになりそうだ)



​ 昨晩。居候となった自称探偵・九重 クシナによる〝基礎訓練〟と称したシゴキは、想像を絶するものだった。



 呪術的な修行かと思いきや、課されたのはひたすらな走り込みと、奇妙なポーズでの体幹トレーニング。半分冗談としか思えない訓練のおかげで、今の穂は歩くだけで錆びたロボットのような動きになっている。 



​「よっす、天利。顔色悪いな、寝不足か?」



​ 通りがかりに、クラスメイトの男子が声をかけてきた。入学して数日、顔見知りになった程度の相手だ。



​「あ、ああ……ちょっとね。慣れないことしたからさ」

​ 穂は曖昧に笑って誤魔化す。



 まさか、「家に転がり込んできた不老のヤンキー探偵にシゴかれて、呪いと戦う準備をしてました」などと言えるはずがない。



 穂はもう、クラスメイトたちと同じ「平凡な高校生」の枠からはみ出してしまったのだと、痛感させられる。



​ 自分の席に向かう。

 そこには、教室の喧騒から切り取られたような、静寂の空間があった。



​ メグルは穂よりも先に登校し、席についていた。

 周りの生徒がグループを作って談笑する中、彼女だけは誰とも交わろうとせず、分厚い文庫本に視線を落としている。



 地味な制服姿。重たい黒髪。



 だが、今の穂には分かる。彼女が纏う空気が、周囲とは決定的に違う〝重圧〟を持っていることが。



​ 穂が席に近づくと、メグルは本から顔を上げることなく、ページを一枚めくった。



​「……おはようございます、ミノルくん」

​ 周囲には聞こえないほどの小声。

 だが、その透き通った声は、穂の鼓膜を正確に揺らした。



​「お、おはよう、佐藤さん」

​ 穂も小声で返し、隣の席に座る。

 昨日の今日だ。何か会話をするべきか、それとも他人のフリをするべきか。



 迷いながら鞄をフックにかけていると、メグルがパタン、と本を閉じた。



​ そして、顔だけをこちらに向け、あの鮮烈なコバルトブルーの瞳で穂を見据えた。



​「ミノルくん。後で話があります」

​ 穂の心臓が跳ねる。

 


​ メグルは表情一つ変えず、事務的な口調で告げた。



​「昼休み、旧校舎の裏に来てください」



​ その場所を聞いた瞬間、穂の背筋が凍りついた。



 旧校舎。

 そこは、彼らが初めて〈力場〉に飲み込まれ、あの泥のような呪いと殺し合いをした因縁の場所だ。



​「……あそこ、立ち入り禁止じゃなかったか?」



​「人目につかない場所ならどこでも構いませんが、あそこなら確実に誰も来ませんから」

​ メグルはそれだけ言うと、再び本を開き、穂への関心を遮断した。



 拒否権はない。それが、彼と彼女の暗黙の了解となりつつあった。



​ 穂は重いため息をつき、一限目の予鈴が鳴るのを待つ。



 周囲の笑い声が、やけに遠く感じられた。





​ ⚁⚁⚁




​ 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、穂は逃げるように教室を出た。



 パン屋で適当な惣菜パンを買い込み、人目を避けて渡り廊下を渡る。



 向かう先は、生徒たちが「幽霊が出る」「ボロすぎて崩れる」と噂して近づかない、旧校舎の裏手だ。



​ 以前開いていた錆びついたフェンスゲートを越え、雑草が生い茂る裏庭へ。



 そこには、ひんやりとした静寂があった。先日の泥のような呪いの気配は消えているが、地面にはまだ、メグルがバットで叩き割ったコンクリートの亀裂が生々しく残っている。



​ 「……やっと来ましたか」

​ 古びた桜の木の陰から、メグルが現れた。



 手にはコンビニのおにぎりが一つ。彼女の昼食はそれだけのようだ。



​ 「呼び出したのは他でもありません。昨日の続き……あなたの『育成方法』について苦肉の策を思いつきました」

​ メグルは前置きなく本題に入った。苦肉の策、穂は自身の実力が不足しているが故のメグルの言葉だと感じ、若干気落ちする。



 彼女は最後の一口を飲み込むと、真剣な眼差しで穂を見た。



​ 「昨晩、ミナモと話し合いました。あなたの眼――〈質量視〉は今の通用していますが、基礎的な身体能力と霊的防御力が欠如しています。このままでは、向又谷に潜む脅威と対面する前にその辺の呪いにあっけなく殺されてしまいます」

 

​ 「……自覚してるよ。だから、昨日は死ぬ気で走らされたし」

​ 穂は筋肉痛の足をさすりながら呟く。



 だが、メグルはその言葉を「一人で自主練をした」と解釈したようで、感心したように頷いた。



​ 「殊勝な心がけです。ですが、自己流のトレーニングには限界がある。あなたには、『呪殺士の戦い方』を教えられる専門の師匠が必要です」



​ 「師匠?」



​ 「ええ。ボクは教えるのが苦手ですし、ミナモのやり方は過激すぎてあなたが死にます。〈出雲會〉に頼めば、あなたは組織に飼い殺しにされる。……八方塞がりかと思われましたが、一人だけ、適任者がいます」



​ メグルは腕を組み、少し複雑そうな表情で語り始めた。



​ 「ボクは、自分が九重家の……おそらくは遠縁か傍流の出だと聞いています。だからこそ、『呪いを溜め込むだけの不完全な器』として捨てられ、こうして道具として利用されているわけですが」

​ 彼女は自嘲気味に鼻を鳴らす。自分は名家の「端くれ」であり、価値のない存在だと思い込んでいるようだった。



​ 「ですが、その人物は違います。彼女は九重の人間でありながら、自らその枠組みを飛び出した異端児。……性格に難はありますが、実力だけは確かです」



​ 彼女は視線を向又谷の街並みの方角へと向け、鼻をひくつかせた。



​ 「……感じます。微かですが、この街にあの人特有の、ふざけた気配が漂い始めているのを」



​ 「ふざけた気配……?」

 気配にふざけるとかあるのだろうか、と穂はメグルの言葉を反芻した。


​ 「ええ。彼女はこの街に来ています。おそらく、ボクたちが追っているのと同じ『呪いの養殖』の臭いを嗅ぎつけて」

​ メグルは穂に向き直り、その人物の特徴を挙げ始めた。   



​ 「彼女を探し出し、接触してください。見た目は派手でバカみたいだから、もしかしたらすぐに見つかるかもしれません。金髪に、趣味の悪い赤いスカジャン。常に金欠で、隙あらば怪しいお札を売りつけようとする、ヤンキー崩れの探偵です」



​ 「…………」

​ 穂の動きが止まった。

 惣菜パンを持つ手が空中で静止する。



​ 金髪。赤いスカジャン。金欠。

 そして、昨日の夜から我が家の離れを占拠し、朝から穂をシゴき倒した人物。



​ 「名前は、九重ここのえ クシナと言います。血縁上の繋がりは薄いでしょうが、ボクにとっては唯一、まともに話が通じる同族です。見つけたらすぐにボクに連絡を――」



​ 「あー……佐藤さん」

​ 穂は引きつった笑みを浮かべ、恐る恐る手を挙げた。

​ 「その人なら、探さなくていいと思う」



​ 「はい? どういう意味ですか? 彼女は荒唐無稽なのが売りで、島根に居たかと思えば、翌朝にはフランスにいるような人ですよ」

​ メグルが怪訝な顔をする。



 穂は深く息を吸い込み、信じがたい事実を告げた。



​ 「その人……昨日の夜から、俺の家に住んでる」

​ 「…………は?」

​ いつも冷徹なメグルの無表情が、初めて綺麗に崩れ去った。



 彼女はポカンと口を開け、数秒間フリーズした後、信じられないものを見る目で穂を凝視した。



​ 「……ミノルくん。今、なんと?」



​ 「だから、その九重クシナって人。行き倒れてたのを拾ったら、親父が感激しちゃって……今、うちの神社の離れに居候してるんだよ。今朝の筋肉痛も、その人にシゴかれたせいだ」



​ 沈黙。

​ メグルは額に手を当て、深いため息を吐き出した。



​ 「……灯台下暗し、にも程がありますよソレ。まさか、よりによってあなたの家に転がり込んでいるとは」



​ 彼女は頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。



​ 「……分かりました。話が早くて助かります。今日の放課後、あなたの家に行きます。そのバカ探偵と合流しましょう」




 ⚂⚂⚂




​ 放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に、校内は再び熱気に包まれた。



 四月。新入生を狙った部活動の勧誘合戦は、今まさにピークを迎えている。



​「ねえ君!  背高いね、バスケ部どう!?」

「そこの彼! 演劇部に興味ない? 今なら裏方でも大歓迎!」



​ 穂は、その〝青春の洪水〟の隙間を縫うようにして、身を小さくして歩く。



 数日前までなら真剣に吟味していただろう選択肢も、今の彼には贅沢な悩みだ。彼にはもう、放課後を青春に費やす時間など残されてないのかもしれないのだから。



​ 心の中で毒づきながら、ようやく校門を抜ける。

 通学路の坂道を少し下ったところ。ガードレールの脇に、黒い影が佇んでいた。

 


​ 「……遅いですよ、ミノルくん」



 彼女メグルは既に黒いステンカラーコートを羽織り、背中にはバットケースを背負っている。



​ 「ごめん。勧誘がすごくて」



​ 「時間は有限です。急ぎましょう。あなたの家にいるバカ探偵が気分が変わっていなくならない内に」



​ 二人は並んで歩き出した。向かう先は、山の中腹にある天利神社。



​ すれ違う生徒たちが、地味だが目を引く美少女と、平凡な男子の組み合わせに視線を向けるが、メグルは意に介さず歩を進める。



​ 「……佐藤さん」

​ 沈黙に耐えかねて、穂が口を開く。



​ 「その、クシナさんのことなんだけど。佐藤さん、あの人のこと知ってるんだよな? 散々バカ探偵とか言ってたし」



​ 穂の問いに、メグルの眉間に深い皺が刻まれた。

 彼女は、まるで苦い薬を飲み込んだような顔で、忌々しげに吐き捨てた。



​ 「ええ。嫌というほど知っていますよ。……ボクにとっては、疫病神のような人ですから」



​ 「疫病神?」



​ 「以前、隣町での案件の最中にも現れました。頼んでもいないのに勝手に首を突っ込んできては、『九重秘伝の御札』だの『開運の壺』だのを、法外な値段で売りつけてくるんです」



​ メグルは、自身の財布が入っているポケットを無意識に押さえた。



​ 「断ろうとすると、『これを買わないと呪いがリバウンドして彼氏が出来なくなるぞ』とか適当な因縁をつけてくる。……実力があるのは認めますが、人間性は最悪です。ボクの生活費の何割かが、あの人の胃袋に消えていると言っても過言じゃありません」



​ 「うわぁ……」

​ 穂は絶句した。



 昨日のうどんの食いっぷりと、「金づる」発言が脳裏をよぎる。



 あの探偵、佐藤さん相手に常習的にそんなことをしていたのか。



​ 「でも、今回は背に腹は代えられません。あなたの呪殺士としての素養を短期間で実戦レベルに引き上げるには、あの人のデタラメな指導力が必要です」



​ メグルは覚悟を決めたように、バットケースのベルトを握りしめる。穂の思考に佐藤さんは最悪、暴力で言う事を聞かすつもりなのかと不安が過ぎる。



​ 「それに、彼女もこの向又谷の異変を嗅ぎつけて来ているはず。……借金のカタにでも何でも、利用できるものは全て利用します」



​ 「……たくましいな、佐藤さんは」 



​ やがて、道は舗装された道路から、古い石段へと変わる。



 鬱蒼とした杉林に囲まれた、天利神社への参道。

 空気がひんやりと冷たくなる。



​ 「着きましたね」


 メグルが目の前に現れた鳥居を見上げる。

 

​ 

 その鳥居の向こう。



 静寂なはずの境内から、何かが割れるような音と、「だから腰が入ってないんだよジジイ!」という、聞き覚えのある派手な声が聞こえてきた。



​ 穂とメグルは顔を見合わせ、同時に深く、重いため息をついた。



​ 「……行きますか。魔窟へ」



​ 「俺の実家なんだけどな……」




​ ⚃⚃⚃




​ 穂は重い足取りで鳥居をくぐった。

 石畳の参道を抜け、境内が開ける。



​ そこで二人が目にしたのは、神聖な神社の風景を冒涜するような、あまりにシュールな光景だった。



​ パァァァンッ!!



​ 乾いた破裂音が境内に響き渡る。

 それは、木製の板が、肉厚な人体を打擲した音だ。



​ 「あだっ!? ……あ、ありがとうございますッ!!」



​ 悲鳴と感謝が入り混じった野太い声を上げたのは、穂の父・天利 禎善だ。



 彼は作務衣さむえの裾をまくり上げ、境内の砂利の上で四つん這いになり、必死の形相で雑巾がけのポーズをとっている。



​ そして、その背後に仁王立ちしているのは、赤と白のスカジャンを輝かせた九重 クシナ。



 彼女の手には、どこから持ってきたのか、新品の卒塔婆そとばが握られていた。



​ 「だーかーら!  腰が高いって言ってんの分かってっか親父さん! そんなへっぴり腰で神域が守れると思ってんのかぁ!」



​ クシナは不機嫌そうに金髪を揺らし、卒塔婆を指揮棒のように振り上げる。



​ 「丹田に力を入れろ!んでもってケツを締めろ!  霊気ってのはケツの穴から吸い上げて脳天に突き抜けるもんなんだよ!」



​ 「は、はいっ! 仰せの通りに! ……うおおおおッ!」



​ 禎善は涙目で気合を入れ直し、猛烈な勢いで雑巾がけを再開する。



 遅れたらまた叩かれる、という恐怖と、九重本家筋の方に直々に指導を受けているという謎の感動が入り混じった、異様なテンションだ。



​ パァァンッ!!



​ 「遅い! 気合が足りん!」



​ 「ひぐっ!? ……感謝感激!!」



​ ……地獄絵図だった。

​ 穂は入り口で立ち尽くし、口をパクパクさせている。



 隣のメグルは、能面のような無表情を崩さないまま、しかしその瞳には「見なかったことにしたい」という色が濃厚に浮かんでいる。



​ 「……あの」

​ 穂が震える声で呼びかけると、卒塔婆を振りかぶっていたクシナがピタリと止まった。



​ 「あん? ……おー、帰ったか少年。それに──……かねづ……じゃなかった、メグルクソガキも一緒か」



​ クシナは悪びれる様子もなく、卒塔婆を肩に担いでニッと笑った。見知った相手とは言え、この場にメグルが現れた事にクシナは特に意外とも思っていない様だった。



​ 「待ちくたびれたからさ。ちょっと親父さんを鍛え直してやってたんだよ。この神社、結界の張りが甘すぎる」



​ 「息子よぉ……。クシナ様のご指導は的確だぞ……。長年悩んでいた腰痛が、なんだか吹き飛んだ気がする……」  



​ 禎善が息も絶え絶えに、しかし恍惚とした表情で顔を上げる。完全に洗脳されている。



​ 「……親父、それアドレナリンが出てるだけだから。後で絶対に動けなくなるやつだから」

​ 穂は頭を抱えた。

 

 メグルは深いため息をつき、コツコツとクシナの前まで歩み寄る。    



 そして、冷徹な視線で、卒塔婆とスカジャンを見比べた。



​ 「……相変わらず、ロクなことをしませんね。神具を体罰に使わないでください、バカ探偵」



​ 「あ? 道具は使いようって言うだろ。それに、これはアタシなりの家賃分の働きってやつさ」

​ クシナは鼻で笑い、担いでいた卒塔婆を禎善に手渡した。



 そして、琥珀色の瞳を細め、メグルの全身を値踏みするように眺める。



​ 「で? どうやら向又谷も、きな臭くなってきたみたいじゃないか。……〈経典戟〉なんて物騒なモンまで持ち出して」

​ メグルの背負うバットケースに視線をやり、クシナの声色が少しだけ真剣なものに変わる。


 

 「立ち話もなんだ。……入りな。作戦会議と、少年の地獄の特訓・第二幕の始まりだ」

​ クシナは親指で離れの方を指し示す。



 穂は、地面に突っ伏して痙攣感動に震える父・禎善を心配そうに見やりながらも、〝地獄の特訓〟という言葉を聞いてクシナを二度見した。



​ 「え!? このあと俺もさっきのやられたりするんですか!?」



​ 穂が先に歩き出した二人を追いかける形で三人は社務所の脇を通り、クシナが占拠している離れへと向かう。



 その道すがら、穂はふと気になって周囲を見回した。  

 


​ 「あれ? そういえば……アイツ・・・は?」



​ いつもなら、メグルの影から飛び出してきたり、勝手にふらふらと浮遊しているはずの黒いワンピースの少女の姿がない。


 

​ 穂の問いに、メグルは自身の胸元――心臓のあたりを軽く押さえ、苦々しげに答えた。



​ 「……彼女なら、ボクの中に引きこもっています。ここに来る直前、『絶対に外に出ない』と言い残して、殻に閉じこもってしまいました」



​ 「引きこもった? なんでまた」



​ 「アレルギーですよ」

​ メグルは、前を歩く派手なスカジャンの背中を睨むように視線を送る。



​ 「ミナモは『呪いそのもの』です。対して、あのヤンキー探偵が放つ霊力は、九重の血筋に加えて、異常なほど純度が高い『祓い』の性質を帯びています。……ミナモにとっては、存在しているだけで肌が焼けるような、生理的な嫌悪と恐怖を感じる相手らしいです。かく言うボクもミナモと繋がっているせいで、霊力を乱される感じがして苦手ですけど」



​ 「へぇ……。あの化け物ミナモが苦手な相手か」

​ 穂は意外そうにクシナの背中を見る。



 ただの金欠ヤンキーに見えるが、やはり「本物」なのだと思い知らされる。



​ その視線に気づいたのか、クシナは振り返らずにニッと笑った。



​ 「聞こえてるよ〜。あいつ、アタシの気配を感じると、借りてきた猫みたいに大人しくなるからねぇ。せいぜい、メグルの腹の中で震えてりゃいいさ」



​ クシナは懐から煙草を取り出し、クルクルと指で回す。



​ 「アタシの『名』と『祝詞』は、あいつらみたいな淀んだ連中には劇薬だからな。……ま、余計な茶々を入れられなくて清々するってもんだ」



​ 「……だそうです」

​ メグルはため息をつく。



 普段は勝手気ままなミナモが、完全に沈黙している。それほどまでに、クシナという存在は、呪いにとっての天敵なのだ。



​ 離れの障子を開けると、そこには既に、古びたちゃぶ台を囲むようにして、怪しげな巻物や、安っぽい様々な銀色の装飾品の数々が並び、更にはコンビニで買ってきたらしいスナック菓子が散乱していた。



​ 「さあ、座りな。お茶くらいは淹れてやるよ、弟子1号と……出来損ないの妹分」

​ クシナの軽口に、メグルは眉をピクリと動かしたが、無言で座布団に座った。



 クシナの自分の家のような振る舞い疑問を覚えながら穂もそれに続く。  



「向又谷で今何が起きてるのか、アタシが知った事を教えてやるよ」

​ 


 向又谷の夜が、本格的に更けようとしていた。

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