燻製と秘密(ヒカリの選択)


ギルドへの報告と情報の選別

ダンジョンからギルドに戻ったヒカリは、タマキと共に、今回の異常事態を師範のルークに報告しました。


「7層で、モンスターが異常な凶暴化を示していました。魔力干渉によるもので、ゴーレムの体内からこのメダルと同じ紋様が確認されたんすよ」


ヒカリは、ナイトローグが回収した『異形のメダル』の残骸を正確に描写し、『ドミニオン』という名前を伏せた上で、「謎の組織がモンスターを兵器化している」という事実のみを伝えます。


「なるほど……。タマキ、お前の感知魔術の異常も、その組織の仕業か」ルーク師範は険しい顔で頷きました。


「せや、師範。あの魔力は、この世界のモンやない。ホンマに気持ち悪かったわ」タマキも冷静に状況を補足します。


ヒカリは、ルーク師範から「警戒態勢を敷く」という言葉を引き出した後、最も重要な情報――ナイトローグという「鏡像の存在」と、彼が語った「R-74世界線の崩壊」の真実を、一切口にしませんでした。


夕食とタマキさんの洞察力

その日の夜。

ヒカリとタマキのアパートの食卓には、タマキ特製のチーズの燻製が並んでいました。芳醇な香りが部屋に満ち、ヒカリの心をわずかに和ませます。


「はい、ヒカリ。今日のダンジョンで疲れたんやろ?これ、燻製にしたてやから、めっちゃ美味いで!」タマキは誇らしげにチーズを差し出しました。


ヒカリは無言でそれを口に運び、その複雑で深い味わいに、ほんの少し目を見開きます。


「……美味いっすね」


ヒカリの短い感想に満足げに微笑んだタマキでしたが、すぐに表情を引き締め、箸を置きました。


「ヒカリ。なんでや?」

タマキの瞳は、いつも通り明るいですが、その奥には深い洞察力が宿っています。


「ギルドでの報告。ヒカリ、あんたあの闇色の男(ナイトローグ)のこと、一言も話さへんかったやろ」


ヒカリは、口の中の燻製を飲み込み、静かにタマキを見つめ返します。


「……何のことっすかね?」


「とぼけんといて。あの男は、あんたと同じ顔をしとる。そして、あのトーナメントの時から、あんたの弱点を的確に知ってた。ダンジョンでも、あの凶暴化させた奴らのこと、先に知っとったみたいやったし。ウチらだけの秘密が、あんたにはあるんやろ?」


タマキの問いかけは、ヒカリの最も冷静な部分を試すものでした。


宿敵の真実と監禁のリスク

ヒカリは諦めたようにため息をつき、静かに口を開きました。彼の声は、誰にも聞かれないよう、ひどく抑えられています。


「……タマキさんの言う通りっすね。俺は、ナイトローグという男が、別の世界線から来た俺自身だという真実を知っています。そして、彼が言った言葉を信じているんすよ」


タマキは、驚愕で言葉を失いました。

ヒカリは、チーズの燻製を一口食べ、淡々と、しかし真剣な目で話し続けます。


「彼が言った話は、この世界の崩壊に関わる話なんすよ。もしギルドや世界中の連中に話せば、どうなると思います?」


「……パニックになる、かも」


「その通りっす。騒がれても大変でしょうからね。それに、彼の話は時空やパラレルワールドに関わる。信じてもらえるかどうかも怪しいですしね」


ヒカリは、自身の腕を見つめ、静かに付け加えました。


「そして、最も重要なのはこれっす。俺がもし、『俺と同じ顔をした、世界崩壊に関わる謎の男と接触している』と報告すれば、どうなる?」


タマキは、ヒカリの言葉の裏にある冷たい現実を理解し、震えました。


「……あんたが、危険人物として拘束される……?」


「その可能性が高いっす。だから、まだ俺自身が監禁されることにも繋がるでしょうから、此処だけの話で留めといた方が良いでしょう」


ヒカリは、タマキの視線を真っ直ぐに受け止め、静かに、しかし決意を込めて言いました。


「俺は、タマキさん。貴方を誰にも奪わせない。そのためにも、俺は自由でいなければならないっす」

タマキは、ヒカリの口から出た言葉が、「世界を救う」ではなく、「タマキを守る」という目的のために、孤独な道を選んだことの証明だと理解しました。彼女はヒカリの手を優しく握り、ただ強く頷きます。


「……わかった。ウチもあんたの『秘密』、誰にも言わへん。二人で、あの宿敵とドミニオンを相手にしたるわ」


ギルド本部の決定

アサクラ・ヒカリとタマキからの報告を受けた翌日、冒険者ギルドは静かに動揺していた。ルーク師範は、緊急の幹部会議を招集した。


「アサクラ・ヒカリの報告によれば、無限の宝物庫7層で、モンスターの異常な凶暴化が確認された。これは、何者かが意図的に魔力干渉を行っている証拠だ」


ルーク師範の厳しい言葉に、会議室の空気は重く沈む。ヒカリが『ナイトローグ』の存在を伏せたことで、ギルドの認識は「凶悪な魔道具を使う謎の集団の出現」というものに留まっていた。


「無限の宝物庫は、シルバーからプラチナランクの冒険者が利用する重要なルートだ。至急、事実を確認し、事態を収拾しなければならない」


決定が下され、ギルドの最高戦力である師範代の中から、エルフで弓を扱うリーネと、情報収集と解析に長けた魔法使いのエリスの二人が、7層から12層までの再調査に派遣されることになった。


師範代の潜入と解析

無限の宝物庫7層。

エルフの師範代リーネは、細く鋭いエルフ耳で周囲の音を拾いながら、慎重に進む。背後では、エリスが魔法陣を展開し、ヒカリが報告したメダルの魔力残滓を解析していた。


やがて、二人はヒカリたちが遭遇したものと同じ、闇色の紋様を体に浮かばせた『ロック・クラブ』を発見した。


リーネが放った牽制の矢がロック・クラブの体をかすめると、エリスは即座に術式を起動した。


「間違いないわ。この凶暴化の原因は、モンスターの皮膚に付着している、この闇色のメダルね」


エリスは、魔力でメダルをロック・クラブから引き剥がす。メダルが剥がれた瞬間、モンスターの闇色の紋様は消え、ロック・クラブは本来の大人しい姿に戻り、警戒しながらその場から逃げ去った。


「解析結果よ。このメダルは、呪術属性の一時的な魔道具だと思われます」エリスは眉をひそめながら呟いた。「モンスターの深層意識に干渉し、純粋な闘争本能だけを暴走させている。しかも、魔力が完全に定着しているわけではないから、メダルを剥がせば元に戻る」


エリスは、その緻密な技術に背筋が寒くなるのを感じた。


「こんなに用意周到で、技術レベルの高い集団は、過去に一度も見たことがありません。まるで、このダンジョンの特性を完全に理解して、兵器を投入しているみたいだわ」


リーネの警告とナイトローグの評価

エリスの解析を聞き終えたリーネは、手に持つ長弓をゆっくりと構え、ダンジョンの暗闇の一点に向けた。彼女の金色の瞳が、鋭く細められる。


「エリス。解析も重要だが、そっちの警戒も怠るな」


「え?何?」エリスが驚いて周囲を見回す。


「さっき……黒装束を纏った人間を1人見かけた」リーネの声は、いつになく低い。


「黒装束?ドミニオンの構成員?」


「恐らくはな。だが、奴はメダルを付けることなく、凶暴化したモンスターの群れの中を、まるで自分の庭を歩くかのように通過していった。一切の音も気配も立てずに、だ」


リーネは、自身の持つエルフの最高の感知能力をもってしても、その男の正確な位置を捉えきれなかったことに、冷や汗を感じていた。


「あり得ないと思うが……あの人間の実力は、既にゴールドランクの上位と同じレベルだ。いや、それ以上かもしれない」


エリスは驚愕した。ゴールドランクは、ギルドの師範代に匹敵する最高峰のランクだ。


「このエリアはシルバーランクからゴールドランクの人間が通過するエリアです。そんな実力者が、なぜこんな場所で……?」


「なぜかは分からない」リーネは弓を放ち、遠くの岩壁に矢を突き刺した。それは、何者かへの牽制だった。「だが、ヒカリが報告した凶暴化だけでなく、この闇色の人間の存在が、このダンジョン全体を危険にしている」


リーネは改めてエリスに顔を向けた。

「この先、12層まで進むのは、ゴールドランクですら厳しいかもしれないな。我々の調査、及びこのダンジョンのルート閉鎖を急ぐ必要がある」


二人の師範代は、ヒカリの報告の裏に潜む、ナイトローグという想像を絶する宿敵の脅威を、肌で感じ取っていた。


ギルドの緊急措置と孤立する宿敵

特訓ギルドからの報告を受けた冒険者ギルド本部は、直ちに緊急対策会議を開いた。師範代リーネとエリスによる詳細な調査報告、特に「高レベルな呪術魔道具によるモンスターの兵器化」という事実は、ギルド全体の緊張感を最高潮に高めた。


その結果、ギルドは冒険者の安全を最優先とし、無限の宝物庫の攻略制限を一時的に発令した。


「本日より、全ランクの冒険者に対し、無限の宝物庫は6層までの冒険のみを許可する。7層以降への侵入は、ギルド規定違反とする」


この決定は、ルーク師範を通じてシルバーランク以下の全冒険者に通達された。しかし、このギルドの『ルール』は、次元の壁を超えて使命を負う男には届かない。


ナイトローグは、ギルドの喧騒や規制を完全に無視し、深層へと突き進んでいた。彼の目的はドミニオンの構成員を根絶し、この世界の脅威を浄化すること。それは、P-25世界線のヒカリを『覚醒の儀式』に集中させるための、環境整備でもあった。


闇色の剣とゴールドランクの力量

ナイトローグの個人的な力量は、この世界の基準で言えばゴールドランクの上位に匹敵する。彼の動きは、シルバーランクのヒカリの「居合斬りのゴリ押し」とは異なり、無駄と感情を徹底的に排除した、R-74世界線で培われた究極の暗殺術だった。


彼は今、ギルドが立ち入り禁止とした7層から先の暗闇を、たった一人で進んでいた。


ギルドの規制で冒険者がいなくなった深層で、ドミニオンが凶暴化させた高位のモンスターたちが待ち構える。その中には、通常ゴールドランクのパーティーでなければ対処不能な『テラー・タイタン』もいた。


「ヒュン……ザンッ!!」


タイタンが持つ巨大な棍棒が振り下ろされる瞬間、ナイトローグは影から飛び出し、その刺突剣でタイタンの全身の魔力ラインを瞬時に十数ヶ所切断する。致命傷ではないが、その動きは完全に停止した。


「チッ。やはり、凶暴化だけでは『真のゴリ押し』には至らない」


ナイトローグは、続いて現れたドミニオンの構成員と見られる黒装束の集団を、感情のない瞳で一瞥した。彼らはメダルを起動し、自爆覚悟の特攻を仕掛けてくる。


「邪魔だ」


彼の刺突剣は、彼らの心臓を貫くのではなく、魔力を制御している脳幹神経を正確に断ち切る。一瞬にして構成員たちは痙攣し、生命活動を停止した。


ナイトローグは、徹底的にモンスターを狩り、ドミニオンの構成員の粛清を遂行した。彼は、この行動がヒカリの成長を助けるという、歪んだ『愛』と『使命』を同時に満たす唯一の道だと信じていた。


中間地点での孤高の休息

粛清を続けているうちに、ナイトローグはダンジョンを深く潜り過ぎたことを悟る。彼の身体は、まだトーナメントの傷を完全に癒しきっておらず、深層の魔力濃度は回復を妨げる。


彼は、階層の境目にある、わずかに魔力の流れが穏やかな中間地点で立ち止まった。


「……これ以上の深層は、ヒカリの『覚醒』にとって、時期尚早の試練となる」


彼の頭の中には、常にP-25世界線のヒカリの成長曲線があった。ドミニオンの残滓を一掃することは必須だが、ヒカリが覚醒する前に、真の脅威であるドミニオンのリーダー格に彼が遭遇することは避けなければならない。


ナイトローグは、戦闘で汚れたマントを脱ぎ、刺突剣の刃を冷徹な手つきで拭う。


彼は、自身が探している『7槍(セブン・スピアーズ)』と呼ばれるドミニオンの幹部集団には、まだ遭遇していないことを確認した。


「幹部(7槍)は、やはりこの浅瀬にはいないか。ヒカリの覚醒が進むまで、俺の『宿敵』としての役割は、しばらく『影の掃除人』に徹する必要がありそうだ」


夜のように静かなダンジョンの中間地点で、ナイトローグは一人、孤高の休息を取るのだった。彼の心は、ヒカリを覚醒させるという非情な使命の重さによって、冷たく凍てついている。

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