Ⅸ. 首と両手。そして人形


 小屋の中で、私と彼は向かい合う。あれほど幸福そうだった彼は、小屋に着くなり、息を荒げたまま、膝を抱いてうずくまっていた。


 私は彼の前でしゃがみ、閉じられたまぶたが開かれるのを待つ。


 窓の外は、すでに漆黒の闇に覆われている。


 とうとう待ち望んでいた夜がきた。


 ドールたちが自由に言葉を交わすことを許された、時間が来たのだ。


 コールライトの顔は、幸福とは程遠いと私は判断する。どうしてなのだろうかと考えても答えは出なかった。高揚する胸の軋みだけが、私の頭まで響いている。


 彼は床に座り込み、爪を噛んでいた。


「どうしよう」


 つぶやくコールライトの声は、ひどく震えていた。私は首をかしげる。幸福になれたはずなのに、どうして彼はこんなに怯えているのだろうか。


「やってしまった。これでは政府に捕まってしまう、昔から僕はダメなんだ。頭に血が昇ると感情を抑えきれない。子供のころと同じだ。またチャームドールをさらってしまった。あの時は運良く、両親がチャームドールの故障として処理してくれた。でも今回はそうもいかない。目撃者がいた。あの老人が政府に告げ口しているに違いない」


 彼は幸福ではないのか。彼を見ていると私の胸の歯車が、痛いほど軋んだ。 そうだ。彼を優しく慰めてあげよう。


 彼が私に声をかけてくれたように、私もまた彼を慈しもう。私は、彼に問いかける。


「幸福ではないのですか? 私はこんなにも幸福です」


 コールライトが、目を見開き、私を見た。その瞳には明らかな恐怖の色が映っている。


 私は脳裏を探る。ずっと前に警備ドールが、人は自由に話すドールを見た時に驚くと話していたことを思い出した。


 驚くのは当然だろうと、私は笑みを浮かべながら彼から続く言葉を待った。


「なぜ、しゃべる?」


 私は満面の笑みを作り、彼の瞳を覗き込む。


「夜になると、私たちドールは自由に言葉を話すことができるのです。これが本当の私です」


 コールライトの顔から、血の気が引いた。彼は、信じられないものを見るように、私を見つめ続けている。


「チャームドールに、そんな機能はないはずだ。少なくとも僕は知らない。老人が言っていたことは、本当だったのか?」


 コールライトの言葉に怒りが含まれていると私の聴覚が判断する。そして彼は、さらに言葉を続けた。


「ドールは決まりきったセリフを吐くだけだろう。そんな、人のように話すなら、君はまるでドールではなく人みたいじゃないか」


 コールライトからの言葉が、私の内部に深く突き刺さる。


 ドールが、夜の間だけ意志を持つことが許されたのは 、人の意図を汲み、人を幸福にするために与えられた機能だ。彼は本当に知らなかったのだろうか。


 人のいない夜の街で、私たちドールがどれほど人になりたいと願い、その思いを抱いていたかを。 人たちは、本当に気づかなかったのだろうか。


 私は、できるだけ平静に問い返す。


「私が人みたいでは、いけませんか」


 彼の顔は、みるみる怒りで歪んでいく。


「ドールはドールじゃなきゃダメじゃないか。人みたいだったらドールに価値はない」


 彼は、立ち上がり、私から一歩離れた。私も立ち上がり、彼に手を伸ばす。しかし追い縋るほどに、彼は私から離れていった。


「ドールは動かなくなるまで大切に使ってやらなければならない。そして動かなくなったら、廃棄され、新しいドールになる。それが、常識じゃないか。なぜ知らない?」


 私の内部で、歯車が深く深く軋み続け、ヒビの走る音がした。


 警備ドールが連れ去られた光景が、鮮やかに蘇る。


 彼は、本当に人になれたのだろうか。そもそもあのように朽ち果てた姿から、どうやって人になれたのか。私はまるで気がつかなかった。


 人になるとは具体的にどのような過程を経るのだろうか。そんなわかりきったことに考えを巡らせることはできなかった。


 私は憧れに目が眩んでいたのだ。


 コールライトは、私から目をそらし、独り言のようにつぶやき続けた。


「ドールたちが意志を持って話すなんて、恐ろしい。そうか。だから人は、夜に外へ出てはならないのか。老人は真実を話していた。ドールに殺されるかもしれないから。都合よく使われるドールが、人に恨みを抱いていてもおかしくはない。それを知っていれば、ドールたちが自由に話すことができると知っていれば!僕は一緒になろうとは望まなかった。あぁそうか。僕たちは守られていたんだな。知らされないことで守られていて、人のように振る舞うドールはこんなにも、恐ろしい。一緒に暮らせるなんて、とてもじゃないが思えない」


 彼の瞳は、大きく見開かれている。彼は、ゆっくりと後退り、背後のドアに手をかけた。


 逃げようとしている。


 ダメだ。せっかく幸福になれるのに、逃がしてはいけない。そうしたら私は廃棄される。いや、廃棄されることは恐ろしくない。


 彼を失うことが怖い。


 やっと手に入れられそうな、幸福なのだ。でもこのままでは彼が不幸になってしまう。


 私は人を楽しませるために製造された。どうすればいいのだろうか。彼に手を伸ばそうとした瞬間、銅線人形の声が、再生された。


『ダメだよ。一緒に幸福にならなきゃ。愛し合わなきゃならない。それに言っただろう? 愛には、言葉がいらないんだ。そして人形は言葉を話さない』


 そうだった。言葉はいらない。私がほしいのは、言葉ではなかった。


 それに私は人のために造られたチャームドールだ。


 私は彼を幸福にしなくてはならない。なぜなら私は今、こんなにも幸福なのだから。


 一緒に幸せになろうと彼は言ったのだから。私は彼の願いを叶えなければならない。


 私は、後ずさるコールライトに、跳びついた。そしてもがく彼の体を強く抱きしめる。


 警備ドールが私に教えてくれた方法で、彼の首にそっと手を添わせる。


「一緒に幸福になりましょう。恐れないでも大丈夫です。こんなにも私は、あなたを愛していますから」


 彼の口がわなわなと震えていた。そして次第に唇が開き、言葉を紡ごうとしていた。


 言葉など、もう必要ない。私は真実の愛を手に入れるのだ。


 それにもうひとりは嫌だ。銅線人形はもういない。


 ドールは人とは暮らせない。でも人形となら、ドールは住むことができる。


 彼が私の手に触れてくれたように、私が彼の手を握り続けよう。


 たとえ彼が私を抱いてくれなくても、私が彼を抱きしめてあげよう。


「大丈夫。すぐに止めてあげるから。あなたが人形になれば、ずっと一緒。私が自由に話すのが嫌いなら、もう話さない。でも大丈夫。だってもう、私たちに言葉はいらないのだから」


 私は彼の首に手を添え、力を徐々に強めていく。手足をばたつかせながら、彼は私を押しのけ続けた。


 きっと不安なのだろう。警備ドールが人になる前に感じていた不安と同じ感情を、彼も人から人形になることへ感じているのだ。


 でも警備ドールも、最後にはドールらしからぬ笑顔を浮かべていた。


 最後には彼も笑顔になってくれる。そう考え、私は自分が笑みを浮かべているのに気がついた。もう少しで彼も笑ってくれるに違いない。 そう思うと、軋んでいた胸が、温かく満たされていくのを感じた。そう、私は判断した。


 やがて、彼の体の力が抜け、動かなくなった。


 彼は、止まった。そして人形になった。


 私は崩れ落ちた彼の体から伸びる腕を持ち上げてみた。それは私の思うがままに曲げられた。


 私はゆっくりと彼の両手を、私の首に巻きつける。頬を添わせると、彼の温もりが伝わってきた。


 これが、愛だったんだ。


 彼が人形になって、ようやく私は愛された。

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