Ⅷ. 繋がる右手と絡まる指先。そして逃げ出した先

 季節は巡り、凍てつく冬がようやく終わりを告げた。


 降り積もった雪が溶け、街全体を覆っていた白い絨毯は徐々に姿を消していく。


 公園の木々には桃色の小さな花が咲き誇り、風に舞って、あたり一帯を柔らかく染めていった。白と黒でしか見えなかった街並みが、とても鮮やかに見えた。


 私は、いつものように広場で踊る。軽やかにステップを踏み、優雅に見えるよう腕の動きを繰り返す。


 そしてとうとう私はずっと待ち望んだ姿を見つけた。


 広場の入り口で、コールライトが私に手を振っていたのだ。


 あぁ。ようやくまた出会えた。


 私の胸にある歯車が、今までにないほど大きく軋んだ。その軋みを不快ではなく、むしろ心地よく感じる。


 彼は、私のもとへと駆け寄ってきた。彼は少し焦ったような表情を浮かべている。そして踊り続ける私へ彼は声を荒げた。


「大変なことになったんだ。ここから逃げないといけない」


どうしたのだろうか。私が尋ねようとしても言葉は出ない。決められた言葉ではないからだ。


 コールライトは、私の手を取る。


 彼の掌から伝わる感覚は、私の手を通して情報として処理される。次第に温度を上げる私の手に、彼の温もりが確かに伝わってきた。同時に愛されているのだとわかった。


 私は彼に愛されている。愛されているに違いない。


 すると離れた場所から、老いた男が急足で私たちに向かってきた。以前見たことがある。私は必要がないといった老夫婦の片割れだった。私は表情を変えずに彼を見る。


 老齢の男は太い指で、コールライトの胸ぐらを掴む。


「馬鹿なことはよせ。そんなことをしたら軍に殺されてしまう。ワシはお前が役所で政府の人間に詰め寄っているところを見ていた。後を追ってきて正解だったよ。ドールと結婚なんて馬鹿な考えを止めろ。それにもうすぐ夜が来るから危ない。お前が死ぬにはまだ早すぎる。まだたくさん子を作れるだろう」


 私は首をかしげる。殺す。死ぬ。そんな言葉は私の中をいくら探しても見つからなかった。老齢の男が話している意味を理解できない。


 コールライトが、老齢の男を突き飛ばす。彼はよろめき、コールライトを睨みつけた。


「ワシらの使命を忘れたか?過去の争いで減ってしまった人間を増やすことが、人に与えられた使命だ。労働から解放される代わりに、家族を作り、子を産んで、夜通し慈しみ育てる。苦しないように働かず、あらん限りの知識を持って怠惰に生きることが、我々の栄誉であることも忘れたか! 優秀な人は怠惰に生きる代わりにその責務を与えられている。そして同じ優秀な遺伝子を増やして豊かな社会を作ることが、人類に課せられた使命だ」


コールライトは老人を睨み返し、叫ぶ。


「それがどうした! 勝手に争い人を減らした人間が自業自得なだけだろう! 子を産み育てる? そんなのは勝手にやっていろ。僕はドールと共に生きるんだ。美しくいつまでも朽ちない存在と共に生きる。悩む苦しみを知らないドールのような人形みたいに生きるんだ。いつまでも変わらない愛を築き続けるんだ。もう夜にドールを思い描きながら、ひとり寂しく過ごすことはしない。じゃぁな爺さん。もう夜が来る。僕はもう夜に引きこもることなんかしない。これでようやく自由だ 」


 私はコールライトの口から放たれた、人形となって生きる。という言葉に震える。

 彼の手を引いて一刻も早く駆け出したい。夜が来れば私も自由になれる。


 コールライトが私の手を引いて駆け出そうとする。しかし老人は懲りずに私たちの前に立ち塞がった。


「夜はいけない。夜になるとドールは自由になってしまう。ワシは一度見たことがある。遠い昔の夜に、人の死体を見ながら、嬉々として話す警備ドールと出会ったことがあるんだ。あいつらは夜になると意志を持つ。考えなおせ。お前は何も知らない」


 老齢の男は胸に手を当てながら、声を荒げ言った。だがコールライトは老齢の男に目もくれず、むしろ私の手をさらに強く握りしめた。


「夢でも見たんじゃないか? 僕は今まで夜に何度も抜け出して、ドールに会おうとした。でも、そのたびに軍服を着た男たちに止められたよ。たった今その理由が理解できた。意志があるなら結構じゃないか。愛を語り合うことができる。きっと彼らは理解できないんだ。人とドールが愛を育むことができる。僕たちが証明するよ。 行こう。チャームドール。もう僕たちを誰も止めることはできない」


 コールライトの耳に老人の言葉が届いていないようだった。私は彼の驚く表情を思い浮かべて笑みをこぼす。口元が歪に歪んでいると我ながらに思った。


 老人が私を見て、表情は強張り、手足が震えている。見られてしまったと私は笑みを隠す。


 そしてコールライトは、私の手を引いたまま、広場の出口に向かって駆け出した。

強く手を引かれて、私の体はバランスを崩しそうになる。しかし、彼はしっかりと私の手を握り、私を引っ張るようにして走り続けた。


 私の目の端には、広場で動きを止めて私たちを見つめる他のドールたちの姿が映る。


 彼らの表情は、いつもの蔑みではなく、驚嘆と羨望に満ちているようだった。きっと警備ドールを見守った時の私と同じように、嫉妬を感じているのだろう。


 周りの雑多なドールたちの視線が私をさらに高揚させる。


「僕は君を愛している」


 走りながら、コールライトが叫ぶ。彼の声は、街の喧騒にかき消されそうになりながらも、私の内へしっかりと響いた。


「僕は君を、僕の家に向かい入れようとしたんだ。人は愛し合い結婚し、子供を育てながら生涯を共にする。人とドールだって結婚しても良いじゃないか。子供が産まれないだけで、許されないなんて馬鹿馬鹿しい」


 彼の手が、私の手を強く握りしめた。彼の指先が私の手の甲へ食い込んでいる。そして彼は走りながら、叫び続ける。


「だから、政府に打診した。ドールと結婚する権利があるはずだと。でも公共のドールを連れ出すなんて、政府の人間が許さなかったんだ。それどころかお前はバカだと罵った。多くの人の前でだ! 絶対に許さない!」


 彼は、さらに声を荒げた。


「馬鹿なのはあいつらの方だ。真実の愛を、何もわかってはいない!」


 真実の愛とは、言葉を交わさずとも、ふたりが幸福に満たされることなのだ。私はいつしか彼と並んで走り出していた。私の様子を見て、コールライトが満面の笑みを浮かべる。


「わかってくれたんだね。君もきっと僕を愛しているんだ。だから一緒に幸福になろう」


 コールライトは、私の手をさらに強く握り、私も彼の手を握り返して応える。


 そして私は、気が付いた。


 やはり今までの私の考えは、間違っていた。焦って人にならなくても良かったのだ。


 私がほしかったのは、彼の手から伝わる温もりだったのだ。


 彼が私を愛してくれることだった。そういえば、彼は人が嫌いだと言っていたではないか。もし私が人になったら、彼は私を嫌うかもしれない。


 危ういところだったと私は胸を撫で下ろす。そして彼を信じて良かったと胸の歯車が速度を増して回転を続ける。


 ドールのままで彼と暮らす今この時が、人になって彼と別れるはずだった未来よりも、はるかに素晴らしいことに気づいた。


 きっと私を馬鹿にしていたドールたちにはわかるまい。教えるなんてことも絶対にしない。私だけの幸福なのだから。


 私のほしかった未来が、今すぐ目の前にある。コールライトの声が高らかと私の耳へ響く。


「これから一緒に自由になろう。幸福な日々が僕たちを待っている」


 私は彼の指に自分の指を絡めながら、その温もりが消えることのないよう、何度も何度も確認し続けた。

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