アナの物語|cuffs(カフス)異次元から宇宙(ソラ)へ帰るとき

Sarah

第1ー1話 果ての世界。ケンジ、防波堤と心療内科


【登場人物】

・アナ・・・魂の管理人。異空間を自在に行き来する不思議な女性

・ケンジ・・・都内で暮らす小学6年生。不思議な夢をよく見る

・ユウ・・ケンジの妹。悪夢に誘われ、異次元の世界に迷い込む

・インコ・・・ケンジとユウが飼っていたが、突然亡くなった

・玉・・・ユウとケンジの父。不毛な地でさまよっている


~~~~~~~~~~

夜空にはフィルターがかかっていた。その夜空を見あげた。


女はいつも危ぶんでいた。胎盤のようなゼリー状の壁。あの薄膜があるかぎり魂が宇宙(ソラ)に行くことはできない。外れる時間がもっと長くなれば――


「よお」


いつものようにトンビが彼女に声をかける。女は海鳥ととくに仲がよかったわけではない。ただ女の収穫が(玉のことだが)今日はどれくらいだったのかが気になっているのだ。


アミの中にある玉はひとつだった。だが、輝きはいつもとは違う。あたりの薄暗さを跳ね返すような強い光で、近づくとトンビの嘴が黄金色になった。


「これはすごいな」そう海鳥がいう「ひょっとして、まだフラフラしている玉なんじゃねえか」


「ごあいさつだね。(時間をもつ玉)っていいなよ。こんなのもあったよ、おそらくこいつの主が持っていたやつだろう」 女はそういうと、小さな貝殻のような細工の装飾を海鳥にみせた。


「なんだそれは」


「わかんない。玉の波動を読んだら、これを使っていたのは男だね。家族がいる。男の想いが強すぎて、家族がこっちに引きよせられている。そんなとこかな」


「なんだ、じゃあまだ生きてるのか。面倒くせえな」


海鳥がいうので、女は肩をすくめて袋を持ちなおした。袋の中ではバシャバシャと玉が動きまわった。どうしよう、あの場所に投げこむにはまだ元気すぎる。面倒くさい玉を見つけてしまったものだ。


「こういう中途半端なのが一番困る。かといって放り出すわけにもいくまい」


「どうするんだ。まさか、持ち主を探すつもりか」


「そのまさかさ」と女が笑った。


器だ、器がどうなっているかで玉の運命が決まる。この玉はまだ天に昇る気持ちもない、かといって(処理場)に放り出すほど弱っているわけでもない。


そのとき、目の前で落雷が鳴った。どうやら宇宙(ソラ)がイラつき始めたようだ。


「おせっかいもいいが早く放りこめよ。また天気が悪くなるぜ」


「さっき、何個放ったの」そう女が聞いた「ご不満なんじゃない? あんたの漁に」



三つだ。オレの仲間も含めると五つかな。だがお前にいわれたくはないね」


女は腰につけていた袋からウサギの死骸を取りだした。どこかで野犬にでもやられているのを見つけたのだ。大海原に勢いよく放り投げると、渦がよってきてガツガツ食べる。急に波が黄金色に光り、落雷とともに一瞬で消えた。


「玉のあった場所へいってみるよ。アーチの向こうはどうなっていると思う?」


「いつもよりは穏やかだろう。しかしお前がいなくなると、こっちが忙しくなるんだ。早くすませろよ」


「わかった」


そういうと女は沖を背にして走っていく。砂浜を過ぎ、草むらまで来ると巨大な岩のアーチがみえてきた。女は袋から玉をとりだすと、アーチの下にある泉へ放り投げた。玉は嬉しそうにピシャピシャと泳いで、やがて底に沈んでいく。


「フィルターが開くまでここで泳いでな。もしくは元の場所へ戻るんだ。その力があるのなら――」そういうと女は再び立ちあがり、巨大なアーチをくぐりぬけ、霧のなかへと消えていった。


* * *


女がアーチへ向かうと、入れ違いに少年がやってきた。少年――。ケンジはこの場所へくると必ず防波堤の先端に座った。ほかはテトラポットに磯や貝がこびりついていて、小魚たちが腐敗していたからだ。


なぜ同じ海岸にいるのかは分からない。だがこんな夢だ。服が汚れない場所に座りながら目覚めるのを待つほうがいい。


目の前は海しかない。大小にうねる波。なんの変哲もないようだが、一定のルールがある。海の上では海鳥がけたたましく鳴き、魚の群れを目がけて旋回している。そして、その下には小さな舟もみえる。こんな天候でもなにか捕れるのだろうか。


陸にいても潮風は容赦なく彼の髪を揺らす。こう強い風が吹くと思わず身をすくめたくなる。海は荒れ目ぼしいモノはない場所、そして不安ばかりが増していく。正直この夢は彼にとっていいことは一つもなかった。



これで終わればまだましだ。しばらくすると必ず空から何者かがケンジに向かって叫ぶのだ。


「海が荒れるゾ、急げいそげ。はやく飛びこめ」


(そう言われてもサ)


空がケンジに向かって文句を言っているのは一目瞭然だった。だがもう慣れた。この声に関して言わせてもらえるなら、初めはなんだろうとおびえていた。だが彼らがケンジに近づき海に放り出すことができないと知ってからは、ただ聞き流すだけ。建築現場あたりの不協和音と同じだ。


「ねぇ、まだ子どもじゃない」


さっきとは別の声がそう言う。空から何か聞こえるたびに黒い波はピシャンと跳ね、ケンジの足元まで水しぶきがかかった。


「ええええ、獲物が取れさえすればいいのだ。誰が沖に出かけても。早くしないと玉が逃げる」



最初の声がそう言うと「うひゃああ、ソリャ大変だ」と、大騒ぎがはじまる。


不協和音もあまり多いと耳障りだ。思わず彼は「ちぇっ」舌打ちをする。


「へぇぇ、舌打ちなんて生意気な。子どものくせに」


「子どもなんて言うな、ガキでいい」


「そうね、ガキ、餓鬼ね」


「ガキのくせに」


声は一体となってケンジをののしりはじめた。


「ガキは自由でいいよなぁ」


「そうね、あれほど沖に出ろと言ってもこれだもの」


空の声が、しつこくケンジを攻撃してくるのは年中行事だ。たとえ泳が上手くてもこんな嵐に海に飛びこむなんて、あるものか。


(いい加減にしろっ)


「ケンジ」


急に呼びかけられ彼はハッとすると、母が心配そうに見つめている。


「どうしたの、汗でびっしょりじゃない」


そういわれ周囲を見まわすと、いつものリビングだった。背後では遮光カーテンがゆらゆらと揺れている。


「大丈夫?」


母はケンジの横に座り手を伸ばした。


「いいって、大丈夫」。


ふと胸元にふれると、シャツのボタンが取れている。


目の前では妹がアニメに夢中になっている。どうやら、まったくいつもの日常だ。



母はケンジの様子をじっと見ていたが、立ちあがって冷蔵庫からルイボスティーを取り出す。キッチンのテーブルにグラスを二つ用意すると、ひとつをケンジに、もうひとつをユウに渡した。


「夕飯まで部屋で休んでたら?」


ケンジはそれに返事をしないまま、急いでルイボスティーを飲み干し、立ちあがった。


彼は幼いころから不思議な現象が多い。たとえば彼が七つの時。飼っていたインコが突然死んでしまった。


かわいがっていた鳥が亡くなり母もユウも悲しんだ。インコは手のひらくらいの小ささだったが、いつも陽気な歌声を披露してくれる存在だった。


母はお菓子の木箱を見つけ、インコを綿にくるむとその木箱にいれた。二人は夕暮れのなか母と妹は外にでると、インコを近くの河川敷に埋めた。


その夜だった。ケンジがふと目覚めると、さっき埋葬したばかりのインコが飛んでいる。はじめは気のせいだろうと思った。だがある日はベランダに、また別の日にはキッチンを飛び跳ねていた。


「インコがいる」


ケンジは二人にそう言ってみた。だが母もユウも不思議そうに「何も見えないけど」と言う。その時以来、ケンジは不思議な現象があっても、家族に打ち明けずに過ごしていた。


悪夢も同じだ。最初は誰にもいわないでいた。だが少しずつ、ユメはケンジを苦しめ始める。なにより眠りが浅いのが一番つらい。


ケンジは来年、中学生になる。クラスでも上位の成績で、進学校への受験はすでに終わっている。


もし希望の中学に進学できたとして、あの夢を毎晩見るようならーー。そこでケンジは、今までの夢を母に打ち明けようという気になったのだ。

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