第2話 足りない

 エアコンが静かな音で生温かい風を送る。部屋のテレビからけたたましい笑い声が聞こえた。派手なリアクションが実に芸人らしい。

 ぐい呑みの酒を胃に流し込む。美羽みわは卓上に置かれたテレビのリモコンで適当にチャンネルを変えた。画面に映し出された一面の野菜畑を見て少し和む。小皿の辛子明太子に爪楊枝を突き刺し、一口で食べた。

 野菜に囲まれて農作業に勤しむ若い男女が画面に映る。字幕では夫婦と紹介されていた。都会の生活に疲れ、二人で半年前に移住したという。『おしどり夫婦』として地域に知られ、住民に可愛がられていると続いた。


「はい、はい」


 美羽は仏頂面でテレビを消した。スカジャンのジッパーを少し下げた。覗いた首筋は少し汗ばみ、てのひらで軽く拭った。

 その後、チロリに日本酒を継ぎ足し、湯煎を始める。待っている間に右脚が苛立ち、上下に動き出した。


「……なんか熱い」


 エアコンの起動を止めた。

 直後に効果は得られず、できた熱燗はバルコニーの一本脚のテーブルに置いた。離れた位置の椅子を引き寄せて座り、ぐい呑みで一気に呷る。目は夜空へ向かう。いくら目を細めても星は見えなかった。

 部屋のカーテンを閉めても同じで呑むペースが早くなる。


「サービスしろよ」


 そんな愚痴を夜空に零し、貧乏揺すりが激しくなった。

 一時間弱で日本酒が尽きた。買い置きもない。ぐい呑みを何度も指で弾いて、仕方ないなぁ、と間延びした声で気だるげに立ち上がる。財布の中身を確認すると、そのままの姿で家を出ていった。


 徒歩で約十分。コンビニエンスストアに着いた。

 店内に入ると小さな買い物かごを掴み、酒が並んだ棚へ直行した。

 洋酒は素通りして日本酒の紙パックに目を留める。下の方にはハーフサイズの瓶が置かれていた。その中の一本を買い物かごに収めた。

 さかなにはオイルサーデンと焼き鳥の缶詰を選んだ。遅い時間帯もあってレジで待つことはなかった。

 美羽は財布を取り出しながら横手のタッチパネルに目をやる。


「失礼ですが、身分証のご提示をお願いできますか?」

「え、わたし?」


 若い男性店員はにこやかに、はい、と答えた。

 表情で驚きつつも財布から運転免許証を取り出した。確認が終わると、ご協力、ありがとうございました、と丁寧な口調で何事もなかったように業務へ戻る。

 レジ袋を右手に提げた美羽は世間話のように切り出した。


「わたしって童顔に見える?」

「その、悪い意味ではなくて、若く見えました」

 男性店員は一瞬、視線を下げた。

「ありがとう」

 美羽は一言で返し、足早に外へ出た。


 自宅に戻るとレジ袋を木のテーブルに無造作に置いた。中の日本酒が倒れても気に掛けず、ベッドの近くにあるスタンドミラーに全身を映す。スカジャンのジッパーを一気に下し、前をはだけた。ボーダー柄のセーターの膨らみを両手で掴む。


「小さくない」


 男性店員の視線を否定するように言い切った。すかさず身体を横向きにした。膨らみの下に掌を添えて軽く持ち上げる。


着痩きやせするタイプだから」


 内部で怒りが急速に煮え立つ。酔いも加速して、彰人あきと、お前もか、と言い放った。


 一時間が過ぎた頃、空となった日本酒が床に転がる。缶詰も空けて煮汁が床に飛び散った。その側で美羽はイビキを掻いて眠っていた。時に寝言を挟む。


「……おっぱい……好き、だろ……彰人……」


 緩んだ表情で、んふふ、と笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る