刺激が欲しいならくれてやる

黒羽カラス

第1話 約束通り

 商店街の一角にある古着屋は閉店時間の午後八時を迎えた。その三十分後、清掃を終えた平尾ひらお美羽みわは店舗のシャッターを閉めた。

 師走しわすに入って急に寒さが強まる。美羽は対抗するように厚みのある白いスカジャンを選んだ。背中には両翼を広げたハクトウワシが刺繍されていた。逆にボトムスは寒々しい。ビンテージジーンズの生地は薄く部分的に肌が露出していた。

 実際、冷たい風に吹かれた美羽はブルッと身体を震わせて早々に後ろを振り返る。目を凝らしても赤い提灯が見当たらない。その状況を納得したように、そっか、と呟いた。

 ほとんどの店舗がシャッターを下ろし、『貸店舗』や『テナント募集』の貼り紙が目立つ。美羽が求めた立ち飲みも、その仲間入りを果たしていた。

 風の影響も加わって寒さが身に染みる。白い息を吐くと足早に商店街を離れた。

 一戸建てに挟まれた道をゆく。家々からは暖色系の明かりが漏れていた。美羽は歩きながら深く息を吸い込む。揚げ物やカレーの匂いで胸の中が満たされた。

 右側にメゾネットタイプの三角屋根が見えてきた。美羽は一番、左端の敷地に立ち入り、レトロな赤い円筒形のポストの裏側に回る。小さな扉を開けて細々とした物を一掴みにした。その場で目を通さず、レモンイエローの軽自動車の横を通って家の中に入っていった。


「ただいま……」


 声が尻すぼみとなった。薄暗い中、視線は下へ向かう。厚底のサンダルはあるが革靴がなかった。


彰人あきと、いるよね?」


 呼び掛けても返事がない。

 暗がりでバスケットシューズを脱ぎ、壁のスイッチを押した。照明が点いても状況は変わらない。

 横手の階段にちらりと目をやる。二階は古着の倉庫に使っていたので無視してトイレと浴室を当たるがいなかった。

 美羽は首を傾げて突き当りの引き戸を開けた。迎え入れる温かい言葉がないまま壁のスイッチを押した。照明の白い光は部屋全体を映し出す。

 フローリングでアンティーク家具がバランスよく配置されていた。中心にはミントグリーンの絨毯じゅうたんが敷かれ、脚の太い木製の丸テーブルがどっしりと構える。その卓上に合鍵と一枚の紙を見つけた。


『約束通り、出ていく』


 彰人の肉筆に、はぁ? と疑問の声が漏れた。思い当たることがないのか。渋い表情で目を閉じて気だるげに首を回す。

 動作が止まり、目を見開いた。驚いたような表情はすぐに苦笑に変わる。

 三年前、引っ越してきた当時の彰人が脳裏に浮かぶ。


「依存するような同棲はしたくない。刺激がなくなった時点で俺は出ていく」

「それでいいよ。古着屋の店舗も格安で見つかったし、本場、アメリカへの買い出しにも付き合って貰う。刺激が足りないなんて、絶対、言わせないから」


 荷解きの合間に交わした他愛のない会話だった。その時の口約束が前触れなく身に降り掛かる。

 美羽はスカジャンのポケットからスマートフォンを取り出し、彰人に電話を掛けようとした。指はタップを躊躇ためらい、迷いながらも電源を切った。同意した過去の自分が邪魔をした。


「なんだかなぁ」


 気の抜けたような声を出す。近くのクッションに腰を下ろし、両膝を曲げた。その頂点に額を置いて数分の時を過ごす。

 急に上体を起こした。何かを断ち切るように立ち上がるとオープンキッチンの横にある冷蔵庫へ向かう。扉を開けて横倒しとなった日本酒の一升瓶を引っ張り出した。さかなには辛子明太子を選び、小皿の上で等間隔に切って上からマヨネーズを掛けた。

 続いてキッチンの収納スペースを漁り、すずのチロリを取り出す。一度、手にしたお猪口は元に戻し、無骨なぐい呑みを掴んだ。

 手早く湯煎を始めた。チロリにたっぷりと注いだ日本酒に小さな気泡が沸き起こる。ぼんやり眺めていた美羽はふつふつと怒りが湧いて、なんでだよ、と何度も吐き捨てた。

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