エルヴェ・アタナーズのシスコンを侮ってはいけない
色葉充音
お兄様のシスコンを侮ってはいけない
うちのお兄様はシスコンである。それも、王女殿下との婚約を蹴るくらいのシスコンだ。
正しく言うなら、想い人がいる王女殿下を「応援」した結果その婚約話はなかったことになった、となるが、私は知っている。
お父様が持ってきた話を聞くなり表情を消して「お断りします」と答えたお兄様の姿を。あれは完全に怒っていた。
その三日後にはとても素敵な笑顔で、婚約の話はなくなったのだと教えてくれた。曰く、「俺には最愛のエステルっていう子がいるからね」だそうだ——この時、こっそり安堵の息を吐いたのは秘密である。
どれだけ
そんなお兄様に、私が婚約するなんて伝えられるわけがなかった。
お父様からこの話を聞いたのはおよそ三ヶ月前のこと。養子とはいえ、私もアタナーズ公爵家の娘だ。十五歳の今までそんな話がなかった方がおかしいだろう。
お相手はこの王国の第二王子シャルル・デュ・フェイエッテ殿下。物腰のやわらかい、三つ年上の黒髪と金色の瞳が綺麗な方で、お兄様とも交流があるそうだ。
風属性魔法〈最上級〉と剣術〈上級〉の資格を持っており、婚約者としてもパートナーとしても申し分ない相手だと思う。
お父様たちからは、この婚約について絶対にお兄様へ伝えてはいけないと言われていた。顔合わせだったり婚約式に向けた準備だったり、全てお兄様が不在の間にあったから、きっとお父様たちは本気なのだろう。
私の十六歳の誕生日にある婚約式まで残り三日。本当に、このまま何も言わずにいて良いのか?
……お兄様と離れるのは嫌だ。お兄様以外の人と生きるのは嫌だ。こんなことを考える理由は分からないし、直接の血のつながりはないとしても兄妹なのは変わらない。
だけど、私が抱いているこれもお兄様から向けられているものも、どちらも「兄妹」では説明がつかないものなのではないだろうか?
「お兄様」へ向けるには、この気持ちは角度が違う。
「——憂い顔も可愛いね、エステル? 何かあった?」
思わず肩を揺らして自分の部屋の入り口の方に視線を向けると、白金の長髪を緩く結び、マリンブルーの瞳を柔らかく細めたお兄様が立っていた。
「い、いつの間に来たのですか?」
ノックの音や足音は全く聞こえなかったはず。お兄様はゆったりとした足取りで近づいて、私のとなりに腰掛ける。ソファーのスプリングが小さくきしんだ。
「ついさっきだよ。随分と考え事に集中していたみたいだね?」
「そう、ですね」
お兄様の目が見られない。今視線を合わせたら簡単にあふれてしまいそうだ。ふっと私は顔を逸らした。
「エステル」
子どもを窘めるようにして呼ばれる。
「……エステル」
仕方のない子だという風に呼ばれる。
「こちらを向いて」
そっと頬に触れてきた手は私のそれよりも一回りか二回りほど大きくて、とても優しいものだった。そんな風にされたら虚勢なんて簡単に崩れ落ちた。結局私は言われるがままお兄様と視線を合わせる。
「どうしたの、俺に話せないようなこと?」
全てを見透かされてしまいそうなマリンブルーに囚われた。
「……婚約、することになりました」
魔法でもかけられたように、ぽろりと出てきた言葉は止まることを知らない。
闇属性魔法〈伝説級〉の資格を持っているお兄様であれば実際に魔法を使うことは簡単だろう。だけど、それをすることはないはずだ。そこまでせずとも、こうして私はお兄様に話してしまうから。
「お相手は、第二王子シャルル・デュ・フェイエッテ殿下です」
半ば現実逃避をしていたせいかお兄様の「無反応」に気づくのが遅れた。
驚きの声もなく、問い詰めることもなく、ただただお兄様は——笑っていた。
「少し、王城に行って『お話』してくるね」
「お話」がお話で終わらないのは分かりきったことだろう。だけど、私にそれを止める資格はない。……止める気もないのかもしれない。
突然、視界を暖かい手におおわれる。ぞわりと魔力の動く気配がする。
「全て終わったら起こすから。それまで眠っていて」
影が体にまとわりつく。視界が、思考が、意識が闇に落ちていく。
「俺の——……。……————、——……」
魔法に沈む直前、お兄様が何か呟いたような気がした。
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