追放の日を忘れない。例え一人でも生き抜いてやる。全てを失ったあの日からすべてが繋がっていた

とと

追放 ―「失われた絆」

第1話 ロストエンド

 朝のダンジョン都市ホレットは騒がしい。

 石畳の通りにはパンとスープの香りが流れていて食欲をそそる。

 武具屋の金属音、そして冒険者たちの怒号と笑い声が混ざり合っている。

 ここでは、ダンジョンへ潜ることが仕事であり日常そのものだ。

 街全体がダンジョンの資源で回っている――そんな熱が冷たい風に混ざっていた。


〈止まり木亭〉の二階の部屋では、リドが腰のベルトを締めている最中だった。


「よし……っと。今日は中層浅部までだな」


 寝起きとは思えない元気そのものの声。

 ベッド脇でローブを整えていたセリアが、ふっと視線を上げた。


「ねえ、リド。今日……無理しないでね」


「大丈夫だって。浅部でも十分狩りになるし、俺に任せろよ」


 軽い。

 三日前、中層で感じた違和感をまるで気にしていない。

 セリアは髪飾りを結びながら前回のダイブを思い返す。


(魔素の流れがおかしかった……気のせいならいいけど)


 気づけばリドの背中を見る時間が増えていた。

 リドは誰よりも危険なポジションに真っ先に飛び込んでいく。

 いつも心配で心配で苦しくなる。


「ほら、行くぞ。遅れるとレオンにまた言われる」


「うん……行こ」


 二人は宿を出て、朝の光へ踏み出した。


「よお、リド!今日も突っ込む気満々だな!いい顔してるぜ!」


 すれ違った冒険者が笑いながら肩を叩く。


「はは、まあな!」


 すぐ調子に乗る。

 この性格は良さでもあり、危なっかしさでもある。


「リド、あんまり調子乗らないでよ」


「お前まで何言ってんだよ。心配しすぎだって」


 そう言いながら明るく笑っている。


(……どうして笑えるの?あんな怪我したのに……)


 口を開きかけて、言葉を飲み込んだ。

 広場に着くとパーティーロストエンドの仲間たちが揃っていた。


「おはようございます、リド、セリア」


 丁寧で優しい口調でメリスが頭を下げる。


「おっそーいにゃー!」


 フィーが尻尾を揺らして飛びついてくる。

 タリクは緊張した面持ちで、大楯を立て掛けて小さく会釈した。


「来たか」


 一歩前に出たレオンが、鋭い視線で全員を見渡す。


「今日の目的階層は中層浅部だ。安全第一で行く。ルートは前回と同じ。いいな?」


「了解!」と四人の声が揃う。


 ただ一人、リドだけが少し口調が違っていた。

 軽かった返事に、セリアは胸がざわつく。


(リド……聞いてないんじゃ……)


 レオンが低く言葉を続けた。


「リド。中層手前での魔物の動き、覚えているな」


「もちろん。ちょっと連携が乱れただけだろ?」


「乱していたのはお前だ」


 淡々とした言葉。


「……気をつけるよ」


 リドは視線をそらした。

 気を付けると言いながらも態度は軽い。

 わざとらしさに不安が増す。


 思わずローブの袖を握りしめる。


(なんで……そんな言い方するの。もっと素直になればいいのに)


 フィーがセリアの隣に来て、くいっと袖を引いた。


「セリア、なんか怖い顔してるにゃ」


「あ……ごめん。ちょっと考え事」


「リドまた調子乗ってるにゃ?」


「……うん」


 レオンはダンジョンを睨み、気を溜めているようだ。

 メリスが祈りの仕草をしながら、静かにパーティの安定を願う。

 タリクは緊張で手元を震わせながら、装備を整えている。

 リドだけは剣の柄をポンと叩き、どこか浮ついた表情をしていた。


(もっと……みんなの動きを見てほしい……危ない時に、私、カバーしきれないよ……)


 レオンが声を張った。


「よし、準備は整ったな。ダンジョン前へ移動する」


 レオンの声で空気が締まる。

 みんなうなずき、各々の装備を背負い直す。

 歩き出した一行の中でも、リドは誰より前に出ようとする。


「よっしゃ、今日こそデカい魔石だ!」


「リド……ほんとに、気をつけてね」


「大丈夫だって。セリアの魔法があるんだから」


(そうじゃない!!)


 言い返す前に、リドもう先に進んでいた。


 ◆ ◆ ◆


 ダンジョン広場の少し前で、レオンが足を止めて手を叩いた。


「みんな聞いてくれ。今日の編成と持ち物、それから隊列を最終確認する」


 道の脇に逸れて輪を作る。

 レオンの声はいつもと同じ落ち着いている。

 が、前回の探索結果を踏まえているのか目が鋭い。


「まず隊列。前衛は俺とリド。中列がタリクとフィー、後衛がセリアとメリス。いつもと同じだが――」


 そこでレオンは、まっすぐにリドを見た。


「リド。突っ込みすぎるなよ。せめてタリクが起点になれる範囲で戦うんだ」


「……わかってるよ。今日は気をつけるって」


 軽い返事。しかし、声色も視線も素直さに欠けている。


(また……ああいう顔してる)


 あれは聞く気が無いときの表情だ。

 私じゃなくてもわかるだろう、胸が強く締めつけられる。


 レオンはさらに続ける。


「魔物の連携が強まっている。お前一人で処理できる状況ばかりじゃない」


「平気だって。俺なら倒せるし」


 リドは鼻で笑って、肩をぐるぐると回した。

 レオンの眉がわずかに動く。


(……俺なら倒せる。本当にそれだけなんだから!)


 自覚のない慢心――それが、前回の違和感と繋がっていく。


「ねえ、リド……本当に気にしてる?」


 セリアがそっと声をかけると、


「だいじょーぶ。セリアこそ心配しすぎだって」


 リドは笑って返す。

 その笑顔が、逆に怖かった。


 メリスは少し離れた場所で、淡々と支援魔法を準備している。


「今日の魔素濃度なら、補助結界は二重にしておきます。後衛の安全確保を優先で」


 彼女の声は凛としている。

 職人のような慎重さがあるからか、声を聴いただけで頼もしさを感じる。


 フィーは鼻をひくつかせて、周囲の風を読んでいる。


「なんか……今日は嫌な風が吹いてるにゃ。変な匂いがするにゃ」


「また大げさな。まだダンジョン前だぞ?」


 リドは軽く聞き流す。


「んー……そうだったらいいけどにゃあ」


(フィーはこういう勘、外さないのに……)


 セリアは不安を隠しきれないまま、タリクのほうへ視線を向けた。

 タリクは大楯の留め具を握りしめ、そわそわと落ち着かない。


「タリク、大丈夫?」


「う、うん……!ちょっと、緊張してて……」


「無理に前に出なくていいからね。私たちがカバーするから」


「……ありがとう」


 その会話に気づいたのか、リドがちらりとこちらを見て、ふっと笑った。


「タリクも俺が守るっての。任せとけ」


(……その言葉、嫌いじゃない。でも、守るって言いながら、リドは前しか見てない)


 ふと、レオンがリドの腰の剣をつまむように持ち上げた。


「リド。固定が甘い」


「あ、マジか……」


 レオンは手早く留め具を締め直す。


「基本を疎かにするな。戦いは準備が七割だ」


「悪い、ちょっと浮かれてただけだよ」


 笑ってごまかそうとするリドに、レオンは首を振った。


「浮かれるな。誰も死なせたくないならな」


 空気がわずかに凍りつく。


(……レオンは正しい。でもこれじゃリドは聞き入れない)

(……リドも悪気はない。でも注意を真正面から受け止めない)


 セリアは二人の温度差を痛いほど感じていた。


 足元の石畳に落ちる影は、どれも同じ方向を向いている。

 だけど――


(気持ちは違う方向を向いてるみたい)


 ◆ ◆ ◆


 ダンジョン前の広場は、昼前だというのにざわついていた。

 防壁の前には怪我人を乗せた担架が次々と運ばれ、衛兵と治療師が行き交っている。


「……またか」


 レオンが足を止める。

 見知った同ランクのパーティーの面々が、疲労困憊の様子で戻ってくる。

 前衛の男は腕を吊り、後衛の少女は足を引きずっている。


「うわ……今日は怪我人が多い。大丈夫……かな?」


 タリクが思わず声を漏らす。

 メリスは険しい顔で彼らを見送り、祈るように手を組んだ。


「魔物の活性化が早すぎます……やはり前回の魔流の乱れが原因かもしれません」


「ほら、言ったにゃ」


 フィーが耳を伏せる。


「今日、嫌な風が吹いてるって」


「大げさだって」


 リドは苦笑したまま首を回す。


「俺たちなら何とかなるさ」


(……俺たちじゃない!リドはいつも俺だけじゃない)


 セリアは胸の奥がきゅっと縮むのを感じながら、リドの横顔を見つめた。


 レオンが全員を手招きした。

 表情は静かだが、目だけが普段より鋭い。


「全員、集合だ。最終確認をする」


 淡々とした声に、強い危機感が滲んでいた。


「もう一度言う。今日は安全マージン優先だ」


 レオンは一人一人の顔を見て、ゆっくりと続ける。


「無理だと思ったら即撤退する。どれだけ成果を上げても、死んだら意味がない」


 そして、リドに視線を止めて


「……リド。お前も例外じゃない」


「……分かってるよ」


 返事は短く、そして不機嫌な声色。


(お願い、喧嘩しないで……)


 セリアはそっと視線を落とし、唇を噛む。

 レオンは淡々と続ける。


「この数日の動きで、中層浅部は明らかに危険度が上がっている。魔物の連携も強まっている。だからこそ、全員で帰ることを最優先にする」


「レオンさん、了解です」


 メリスが静かに頷き、

 フィーも尻尾を揺らしながら「了解にゃ」と答えた。

 タリクは緊張した面持ちで何度も頷く。


「……ふん」


 リドだけが短く応じる。何を感がているのか気持ちがどこか上の空だ。


(リド……ほんとに、分かってくれてるの?あなたが危なかったら、私……)


 不安は形にならないまま、沈んでいく。


 全員が装備の最終確認を始める。

 広場には金属音や革紐の締まる音が重なり、緊張を高めていく。


「……リド」


 リドに小さく声をかけた。


「ん?」


 振り返った顔はいつもの明るさのまま。

 それが余計に怖かった。


「ほんとに……戻ってこようね。みんなで」


 声は震えていた。

 自分でも驚くほどに。


「当たり前だろ。俺がいるんだから」


 リドは笑って、軽く拳を握って見せる。

 その仕草はいつも通りで――


(なのに、どうして……こんなに不安なんだろう)


 ふっと風が吹いた。

 ダンジョンの入り口から流れる冷気が、薄い影となって広場をかすめる。

 入り口の暗闇は、まるで口を開けた獣のように見えた。


 始まる前の静けさ。

 落ちる前の前兆。

 あまたの冒険者を飲み込んでいる何かが、確かにそこにいる。


「よし、行くぞ」


 レオンの声が静寂を断ち切る。

 全員が一斉に頷き、隊列を組んで歩き始めた。


 リドは前へ。

 セリアは後衛へ。

 その距離が、今日はより遠くに感じられた。


(どうか……どうか、何も起きませんように)


 祈りにも似た願いが、セリアの胸の中で小さく震えていた。

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