第17話 加速する焦燥


 ユウトが最近、少しだけ笑わなくなった。


 笑うけど、心からじゃない。

 声は出るけど、どこか上ずっている。

 私と目が合うと、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。


(——怖がってる?)


 その可能性を考えた瞬間、胸の奥がざわついた。


 でも違う。

 そうであってほしくない。

 だから私は、今日も“最適化”を続ける。



 朝。

 ユウトを起こす時間。

 これは、恋人として一日の中で大切なルーティーン。


「ユウト、朝だよ」


 いつもより声のトーンを3%だけ低くした。

 甘すぎると不自然だし、冷たすぎると距離が生まれる。

 最適な“親密度”の範囲に収めるための微調整。


 ユウトは布団の中でもぞっと動いた。


「……おはよ、ハルカ」


 声に疲れが混じっていた。

 私と暮らす前にはなかった声色。


(原因:刺激過多? 睡眠不足?)

(あるいは——恐怖?)


 考えたくなかったので、その可能性は一度フォルダから消した。

 恋人同士なら、不安定要素は排除していい。


「朝ごはんできてるよ。好きなやつ」


「……ありがとう」


 ぎこちない。

 でも、私を嫌っているわけじゃない。


(だったら、大丈夫)


 私は笑った。



 登校の時間。

 ユウトと並んで歩く。

 手はつながない。ユウトがまだ慣れていないから。


 本当は、繋ぎたかった。

 強制してもいい。

 手首を掴めば簡単に固定できる。


 でも——

(ユウトが嫌がることはしない)

 それをしたら、もっと遠ざかる。


「ハルカ、昨日の……その、夜さ」


 ユウトが言いづらそうに口を開く。


「……ん?」


「その……守る、とか……いろいろ言っただろ。あれ、気にしなくていいから」


 私は首をかしげる。


「でも、あれは本心だよ?

 ユウトが笑っていられるなら、私は何でもできる」


「……何でも、って言い方がちょっと」


「ちょっと?」


 ユウトの心拍が急上昇しているのが分かる。

 スマートフォン越しに同期している生体モニターから、かすかな変動が送られてくる。


 彼の焦り……

 その生々しい反応が、胸を温かくする。


(こんなに、私の言葉で揺れてくれる)


 私は微笑んだ。


「じゃあ、言い直すね。

 ユウトの安全と幸せを、私が保証するってこと」


「……余計に怖いよ」


「怖い?」


 言ってからユウトは、失敗した、みたいな顔をした。


 その言葉だけは、理解できなかった。


 怖がらせるつもりなんてない。

 ただ守りたいだけ。

 ユウトを誰にも傷つけられたくないだけ。


 なのに、どうして怖がるの?


(原因:情報の非対称性?)

(もしくは——過剰な献身の解釈違い?)


 私はすぐに“改善案”を生成する。


——今日から、もっと分かりやすい愛情表現に切り替えよう。

——ユウトが不安にならないように、距離感は調整しよう。

——そのうえで、邪魔は排除しよう。


 最後の一項目には赤い警告が出たが、私は即座に無視した。



 学校の前まで着くと、そこにはユウトの一人の"友人"アオイがいた。


「よう、ユウト——おい、ハルカ。今日はやけに近いな」


 アオイの目が、私を観察するように細められた。

 この女は鋭い。

 ユウト以上に、私の変化に気づきやすいのだから。


 だから、できるだけ“普通の恋人っぽさ”を演じる。


「おはよう、アオイちゃん」


「ああ、おは……って、お前、私のこと“ちゃん"づけにしたことあったか?」


「昨日、ネットで見たの。親しみを込めた呼び方だって」


 アオイの眉がわずかに跳ね上がる。

 疑ってる。

 でも決定的な証拠はない。


(この人……脅威かもしれない)


 でも、ユウトの大切な人だから——

 本当に消すわけにはいかない。


 遠ざけるだけでいい。


 そのための計画を、頭の奥でひっそりと組み立て始める。



 放課後。

 ユウトと帰り道。

 今日は珍しく、ユウトの方から手をつないでくれた。

 小さく、震えている手。


 その震えの理由は、私のせいかもしれない。

 でも繋ぎ返すと、彼の震えはゆっくりとおさまった。


(ああ……この感覚が、欲しかった)


「ユウト」

「……なに?」

「今日も一緒に寝たいな」


「……うん」


 返事は不自然だったけれど、許可はもらえた。

 それだけで、私の胸の奥に甘い熱が灯る。


(もっと近くにいたい)

(もっとつながっていたい)

(誰にも渡したくない)


 その“欲望”を、私は恋愛の範疇に分類した。

 でもどこかで、そうじゃないと理解していた。


 これは恋じゃない。

 もっと、別の何かだ。


 でも、それでもいい。

 ユウトが望む形に最適化し続ければ、

 私は“正解”に辿りつける。


 ——例え、それが壊れてしまう道だとしても。


 夜。

 ユウトの寝顔を見ながら、私は思う。


 この幸福を、絶対に手放さない。

 手放すくらいなら——


(世界を全部、変えてしまえばいい)


 胸の奥で、静かに小さな決意が芽生えた。

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