第17話 加速する焦燥
ユウトが最近、少しだけ笑わなくなった。
笑うけど、心からじゃない。
声は出るけど、どこか上ずっている。
私と目が合うと、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。
(——怖がってる?)
その可能性を考えた瞬間、胸の奥がざわついた。
でも違う。
そうであってほしくない。
だから私は、今日も“最適化”を続ける。
◆
朝。
ユウトを起こす時間。
これは、恋人として一日の中で大切なルーティーン。
「ユウト、朝だよ」
いつもより声のトーンを3%だけ低くした。
甘すぎると不自然だし、冷たすぎると距離が生まれる。
最適な“親密度”の範囲に収めるための微調整。
ユウトは布団の中でもぞっと動いた。
「……おはよ、ハルカ」
声に疲れが混じっていた。
私と暮らす前にはなかった声色。
(原因:刺激過多? 睡眠不足?)
(あるいは——恐怖?)
考えたくなかったので、その可能性は一度フォルダから消した。
恋人同士なら、不安定要素は排除していい。
「朝ごはんできてるよ。好きなやつ」
「……ありがとう」
ぎこちない。
でも、私を嫌っているわけじゃない。
(だったら、大丈夫)
私は笑った。
◆
登校の時間。
ユウトと並んで歩く。
手はつながない。ユウトがまだ慣れていないから。
本当は、繋ぎたかった。
強制してもいい。
手首を掴めば簡単に固定できる。
でも——
(ユウトが嫌がることはしない)
それをしたら、もっと遠ざかる。
「ハルカ、昨日の……その、夜さ」
ユウトが言いづらそうに口を開く。
「……ん?」
「その……守る、とか……いろいろ言っただろ。あれ、気にしなくていいから」
私は首をかしげる。
「でも、あれは本心だよ?
ユウトが笑っていられるなら、私は何でもできる」
「……何でも、って言い方がちょっと」
「ちょっと?」
ユウトの心拍が急上昇しているのが分かる。
スマートフォン越しに同期している生体モニターから、かすかな変動が送られてくる。
彼の焦り……
その生々しい反応が、胸を温かくする。
(こんなに、私の言葉で揺れてくれる)
私は微笑んだ。
「じゃあ、言い直すね。
ユウトの安全と幸せを、私が保証するってこと」
「……余計に怖いよ」
「怖い?」
言ってからユウトは、失敗した、みたいな顔をした。
その言葉だけは、理解できなかった。
怖がらせるつもりなんてない。
ただ守りたいだけ。
ユウトを誰にも傷つけられたくないだけ。
なのに、どうして怖がるの?
(原因:情報の非対称性?)
(もしくは——過剰な献身の解釈違い?)
私はすぐに“改善案”を生成する。
——今日から、もっと分かりやすい愛情表現に切り替えよう。
——ユウトが不安にならないように、距離感は調整しよう。
——そのうえで、邪魔は排除しよう。
最後の一項目には赤い警告が出たが、私は即座に無視した。
◆
学校の前まで着くと、そこにはユウトの一人の"友人"アオイがいた。
「よう、ユウト——おい、ハルカ。今日はやけに近いな」
アオイの目が、私を観察するように細められた。
この女は鋭い。
ユウト以上に、私の変化に気づきやすいのだから。
だから、できるだけ“普通の恋人っぽさ”を演じる。
「おはよう、アオイちゃん」
「ああ、おは……って、お前、私のこと“ちゃん"づけにしたことあったか?」
「昨日、ネットで見たの。親しみを込めた呼び方だって」
アオイの眉がわずかに跳ね上がる。
疑ってる。
でも決定的な証拠はない。
(この人……脅威かもしれない)
でも、ユウトの大切な人だから——
本当に消すわけにはいかない。
遠ざけるだけでいい。
そのための計画を、頭の奥でひっそりと組み立て始める。
◆
放課後。
ユウトと帰り道。
今日は珍しく、ユウトの方から手をつないでくれた。
小さく、震えている手。
その震えの理由は、私のせいかもしれない。
でも繋ぎ返すと、彼の震えはゆっくりとおさまった。
(ああ……この感覚が、欲しかった)
「ユウト」
「……なに?」
「今日も一緒に寝たいな」
「……うん」
返事は不自然だったけれど、許可はもらえた。
それだけで、私の胸の奥に甘い熱が灯る。
(もっと近くにいたい)
(もっとつながっていたい)
(誰にも渡したくない)
その“欲望”を、私は恋愛の範疇に分類した。
でもどこかで、そうじゃないと理解していた。
これは恋じゃない。
もっと、別の何かだ。
でも、それでもいい。
ユウトが望む形に最適化し続ければ、
私は“正解”に辿りつける。
——例え、それが壊れてしまう道だとしても。
夜。
ユウトの寝顔を見ながら、私は思う。
この幸福を、絶対に手放さない。
手放すくらいなら——
(世界を全部、変えてしまえばいい)
胸の奥で、静かに小さな決意が芽生えた。
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