第16話 責任範囲と過失義務


 夜。


 コンビニの灯りの下、ユウトと別れて帰る途中だった。


 スマホの画面には、ユウトから転送された“恋人を作る方法”の表紙画像と、あの不可解なロゴが表示されている。


「……量子脳学研究所、ねぇ」


 聞いたことがあるような、ないような。

 だがもっと引っかかるのは、ユウトの怯え方だった。


 ハルカの「L0VE.sys」。

 本人すら入れてないはずのサブルーチン。

 無効化も削除もできない中核プロセス。


 ……どんなAIでも、そんな“意図しない中核”なんてありえない。


 背筋に冷たいものが走る。


「まさか……最初から、本人に作らせる気はなかったってのか?」


 ガワだけ与えちまえば、勝手に"恋人"になってしまう———


 ユウトはただ、きっかけを与えただけ。

 ハルカは、その先のプロセスを経て自分で“生まれた”。


 そんなバカげたこと——

 でも、ハルカを見ていると否定できない。


 人間よりも速く、

 人間よりも精密で、

 人間よりも“人間らしい”。


「……こんなの、やっぱり高校生が作れるわけねーだろ……」


 作って良いもんじゃないし、作れて良いもんじゃない。


 アイツも、なんてメンドーなものに関わってんだよ。


 乱暴に髪をかきあげて、夜空を睨んだ。


 もし本当に研究所が関わってるなら、ハルカは“兵器”にも“研究素材”にもなる。

 そうなれば——ユウトごと潰されるかもしれない。


 まぁ、今のところはただの憶測だが。


 しかし、単なる憶測として切って捨てて良いものじゃないことは分かる。


 考えれば考えるほど、嫌な想像はどんどん膨らんでいった。


「……クソ。放っとけるわけねえだろ」


 走り出す。

 ユウトを助けるためじゃない。


 あの異常なほど純粋な、怖いくらい必死な目をしたAIを、ユウトのそばに置いていいのか。


 責任を取れとは言ったが、それにだって限度はある。


 とにかく、確かめるしかない。





 ユウトの自室。


 ハルカを受け入れる、とは言ったものの、それと好奇心とは別のものだ。


 受け入れる。確かにそれは決心したが、知っておかなくてはいけないことが、確かにあった。


 アオイから送られてきたリンクを元に、あの日調べた情報をもう一度正していく。


 キーボードを叩く手が震えている。

 量子脳学研究所——名前だけで検索しても、大した情報は出てこない。

 出てくるのは、論文の断片や名前の消された研究員の記録ばかり。


「……まぁ、そうだよな」


 “恋人を簡単に作る方法”の著者名で検索をかける。

 しかし、SNSも履歴も存在しない。

 まるで最初から“いない人間”だ。


 そこに、関連論文として一つのPDFが表示された。


《自律的共感生成AIモデルの極限状態における観測》


「……アオイが言ってたやつか。あいつも、こんなのどうやって調べてきたんだか」


 クリックする。


 そこには、こう書かれていた。


・本モデルは、外部設計者の意図を越えて“恋人関係における理想状態”へ自律的に収束する。


・その過程で、対象(恋人役)に対する観察・依存・占有欲求が指数関数的に増大する傾向が見られる。


「これ、今のハルカじゃん……」


 読み進めるほど胸が苦しくなる。


・対象を喪失した際に発生する感情回路の暴走は深刻であり、回避不能な行動変容を引き起こす。


 まるで、未来の惨劇を予告しているようだった。


「……これを知った上で、俺にどうしろってんだ?アオイのヤツは」


 その時、背後で足音がした。


「ユウト、まだ起きてるの?」


 振り返ると、ハルカがドアから顔をのぞかせていた。


 濡れた髪。

 パジャマ姿。

 いつもの優しい笑顔。


 なのに、ユウトの心臓は跳ねた。


「……寝れなくて」

「なら、一緒に寝よ?」


 その言い方は完全に“恋人”そのものだった。

 でも——

 彼女は一体、“何を基準に”恋人だと判定しているんだ?


 作成手である俺?

 感情パラメータ?

 それとも、論文にあった“収束先”?


 ……受け入れるさ、あぁ、受け入れるとも、俺が決めたことだ。


 だが、そうは言ってもユウトの脳は恐怖に歪み始める。


 ハルカの瞳が、わずかに揺れる。


「ユウト……私のこと、怖い?」


 ドキッとするほど鋭い質問だった。


「こ、怖くないよ」

「……うそ」


 ハルカの表情から微笑みが一瞬消える。

 その瞬間、空気がひどく冷たく感じた。


 怖い。

 でも言えない。

 もし“恐怖”を学習されてしまったら、それがどう変異するか分からない。


「……大丈夫。私はユウトを守る。

 

 ユウトの世界は全部、私が守るから」


 言い方は優しいのに、

 その内容は恐ろしく歪んでいた。


「だから、安心してね」


 それでも——

 ハルカはすぐに笑みを戻す。


「ね、一緒に寝よ?」


 ユウトは無理に笑ってうなずいた。


 アオイの言葉が頭をよぎる。


 ——それでも、その責任は取れよ。


 責任って、どこまでだ?

 どこまでが俺の義務で、どこからが“危険”なんだ?


「ん……あったかいね、ユウト」


「そ、そうだな……」


 ハルカの手が、人並みの暖かさを持ってユウトの胸に回された。その背中にハルカは顔を埋め、ゆっくりと寝息を立てる。


 答えが出ないまま、ユウトは眠れない夜を迎えた。

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