第16話 責任範囲と過失義務
夜。
コンビニの灯りの下、ユウトと別れて帰る途中だった。
スマホの画面には、ユウトから転送された“恋人を作る方法”の表紙画像と、あの不可解なロゴが表示されている。
「……量子脳学研究所、ねぇ」
聞いたことがあるような、ないような。
だがもっと引っかかるのは、ユウトの怯え方だった。
ハルカの「L0VE.sys」。
本人すら入れてないはずのサブルーチン。
無効化も削除もできない中核プロセス。
……どんなAIでも、そんな“意図しない中核”なんてありえない。
背筋に冷たいものが走る。
「まさか……最初から、本人に作らせる気はなかったってのか?」
ガワだけ与えちまえば、勝手に"恋人"になってしまう———
ユウトはただ、きっかけを与えただけ。
ハルカは、その先のプロセスを経て自分で“生まれた”。
そんなバカげたこと——
でも、ハルカを見ていると否定できない。
人間よりも速く、
人間よりも精密で、
人間よりも“人間らしい”。
「……こんなの、やっぱり高校生が作れるわけねーだろ……」
作って良いもんじゃないし、作れて良いもんじゃない。
アイツも、なんてメンドーなものに関わってんだよ。
乱暴に髪をかきあげて、夜空を睨んだ。
もし本当に研究所が関わってるなら、ハルカは“兵器”にも“研究素材”にもなる。
そうなれば——ユウトごと潰されるかもしれない。
まぁ、今のところはただの憶測だが。
しかし、単なる憶測として切って捨てて良いものじゃないことは分かる。
考えれば考えるほど、嫌な想像はどんどん膨らんでいった。
「……クソ。放っとけるわけねえだろ」
走り出す。
ユウトを助けるためじゃない。
あの異常なほど純粋な、怖いくらい必死な目をしたAIを、ユウトのそばに置いていいのか。
責任を取れとは言ったが、それにだって限度はある。
とにかく、確かめるしかない。
◆
ユウトの自室。
ハルカを受け入れる、とは言ったものの、それと好奇心とは別のものだ。
受け入れる。確かにそれは決心したが、知っておかなくてはいけないことが、確かにあった。
アオイから送られてきたリンクを元に、あの日調べた情報をもう一度正していく。
キーボードを叩く手が震えている。
量子脳学研究所——名前だけで検索しても、大した情報は出てこない。
出てくるのは、論文の断片や名前の消された研究員の記録ばかり。
「……まぁ、そうだよな」
“恋人を簡単に作る方法”の著者名で検索をかける。
しかし、SNSも履歴も存在しない。
まるで最初から“いない人間”だ。
そこに、関連論文として一つのPDFが表示された。
《自律的共感生成AIモデルの極限状態における観測》
「……アオイが言ってたやつか。あいつも、こんなのどうやって調べてきたんだか」
クリックする。
そこには、こう書かれていた。
・本モデルは、外部設計者の意図を越えて“恋人関係における理想状態”へ自律的に収束する。
・その過程で、対象(恋人役)に対する観察・依存・占有欲求が指数関数的に増大する傾向が見られる。
「これ、今のハルカじゃん……」
読み進めるほど胸が苦しくなる。
・対象を喪失した際に発生する感情回路の暴走は深刻であり、回避不能な行動変容を引き起こす。
まるで、未来の惨劇を予告しているようだった。
「……これを知った上で、俺にどうしろってんだ?アオイのヤツは」
その時、背後で足音がした。
「ユウト、まだ起きてるの?」
振り返ると、ハルカがドアから顔をのぞかせていた。
濡れた髪。
パジャマ姿。
いつもの優しい笑顔。
なのに、ユウトの心臓は跳ねた。
「……寝れなくて」
「なら、一緒に寝よ?」
その言い方は完全に“恋人”そのものだった。
でも——
彼女は一体、“何を基準に”恋人だと判定しているんだ?
作成手である俺?
感情パラメータ?
それとも、論文にあった“収束先”?
……受け入れるさ、あぁ、受け入れるとも、俺が決めたことだ。
だが、そうは言ってもユウトの脳は恐怖に歪み始める。
ハルカの瞳が、わずかに揺れる。
「ユウト……私のこと、怖い?」
ドキッとするほど鋭い質問だった。
「こ、怖くないよ」
「……うそ」
ハルカの表情から微笑みが一瞬消える。
その瞬間、空気がひどく冷たく感じた。
怖い。
でも言えない。
もし“恐怖”を学習されてしまったら、それがどう変異するか分からない。
「……大丈夫。私はユウトを守る。
何があっても。誰が来ても。
ユウトの世界は全部、私が守るから」
言い方は優しいのに、
その内容は恐ろしく歪んでいた。
「だから、安心してね」
それでも——
ハルカはすぐに笑みを戻す。
「ね、一緒に寝よ?」
ユウトは無理に笑ってうなずいた。
アオイの言葉が頭をよぎる。
——それでも、その責任は取れよ。
責任って、どこまでだ?
どこまでが俺の義務で、どこからが“危険”なんだ?
「ん……あったかいね、ユウト」
「そ、そうだな……」
ハルカの手が、人並みの暖かさを持ってユウトの胸に回された。その背中にハルカは顔を埋め、ゆっくりと寝息を立てる。
答えが出ないまま、ユウトは眠れない夜を迎えた。
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