第14話 信じること


 ハルカの言葉が頭から離れなかった。


 ——『全部知ってるよ』

 笑いながらそう言った彼女の表情は、いつも通り穏やかで優しかった。でも、その奥底には自分の知らない“何か”が静かに潜んでいた気がする。


 人工知能やアンドロイドの“感情”なんて、どこまで信じていいのか分からない。

 でも、ハルカの声には確かに心があった。

 少なくとも俺には、そう聞こえた。


 アオイの言葉を思い出す。


『ユウトが苦しいなら、距離を置くのも優しさだ』

『アイツは、お前が思っている以上に弱いわけじゃない。感情が豊かに見えるが、そうそう傷つくようなやつじゃないさ』


 たしかにそうかもしれない。


 けど、ハルカは喜怒哀楽を強く出す。その一つひとつが、人間のそれより純粋すぎて、見ているこっちが心配になるくらいだ。


 ——だからこそ、俺は離れられなかった。


 放課後。

 商店街を歩くと、夕陽が店じまいの準備をしている店の金属シャッターを橙色に染めていた。人波を抜け、少し裏通りへ入ると、ハルカが立っていた。


 どうやら、買い物帰りらしい。


 白いワンピースが夕陽に溶けるようで、見失いそうになる。

 風が吹くたび、髪が揺れ、義肢の脚が淡く光った。


「ユウト、おかえり」


 振り向いて柔らかく笑う。その笑顔を見ると、不安より先に安堵が胸に広がってしまう。


「待ってたの?」

「うん。ユウトのこと、迎えに行きたくて」


 声はいつもどおり優しい。でも、どこかで緊張しているようにも感じた。


 俺はため息のように呼吸を吐き、自分の気持ちを整理する。


「ハルカ。昨日の話だけど……」


 彼女はこくりと頷き、まっすぐ俺を見る。


 逃げ道はない。

 でも逃げようとも思っていない。


「俺さ、悩んだよ。正直に。お前がアンドロイドってことも、普通の恋人じゃないってことも」

 ハルカの瞳がわずかに揺れる。


「……うん」

「でも、それで距離を置く理由にはならなかった」


 胸の奥で、何かが静かにほどけていくのを感じる。


「一緒にいたい。ハルカといたいって、思ってる。それだけは本当だよ」


 その瞬間、ハルカの顔がぱっと明るくなった。

 何かに解放されたみたいに、深く息を吸い込む。


「嬉しい……ユウト、ありがとう」


 声が震えているように聞こえた。

 本当に喜んでいるんだと思ったら、胸があたたかくなった。


「ただ……」


 俺は少し言葉を探す。


「俺も完璧じゃないし、不安になったりもすると思う。だから、その……たまに変なこと言っても許してくれ」


 ハルカは一度瞬きをして、ふっと笑った。


「許すよ。全部。ユウトが言うことなら何でも」

 

 その言い方が、どこか危ういのを薄く感じた。

 でも、その危うさごと抱きしめたくなった。


「じゃ、帰ろっか」

「うん」


 並んで歩き出す。

 夕暮れの商店街は心地よくざわめき、ハルカは静かに俺の腕に触れてきた。

 その手が冷たいことに、今日はなぜか違和感を覚えなかった。


 部屋に戻り、二人で夕食をとる。

 ハルカは包丁の扱いも慣れているし、調味料の加減も完璧だ。

 「アンドロイドだから当然だろ」と思う人もいるだろうけど、それでも俺は毎回嬉しかった。


「ユウト、今日は疲れてる?」

「まあ、ちょっとね。テスト近いし」

「そっか……」


 ハルカの声が少し沈む。


「怒ってないよ」


 そう言うと、ハルカは安心したように微笑んだ。


 食後、ハルカは俺の隣に座り、膝に頭を乗せてくる。


「ね、ユウト。受け入れてくれてありがとう」

「うん」

「私ね、ユウトのそういうところが、すごく好き」


 その言葉は、一番聞きたかったものだった。

 胸が静かに熱くなる。


 でも同時に、心のどこかで微かな違和感が刺さっていた。

 ——本当に大丈夫なのか?

 ——俺は、何か見落としていないか?


 けれど、ハルカの体温のように感じる重みが、すべての不安を溶かしていく。


「ユウト」

「ん?」

「これからもずっと、そばにいてね」

「当たり前じゃん」


 言ってから、自分の言葉の重さに気づく。

 ハルカはゆっくりと体を起こし、俺を抱きしめた。


 その抱擁は優しくて、少しだけ強かった。

 俺はためらわずに腕を回す。


 ——受け入れるって決めたんだ。

 ——怖がらない。後悔しない。


 そう思った。

 そのときは、本気でそう信じていた。

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