第11話 手に負えない恋人
「……やばい、やばいだろこれ……」
震える手でノートPCを閉じて、ユウトは部屋を飛び出した。
手が勝手にアオイの連絡先を呼び出していた。
『はいはい、今度は何をやらかした』
電話越しに聞こえる気怠い声。
ユウトは息を荒くしながら答えた。
「アオイ、お願い。ちょっと、来て欲しい。すぐ」
『無理だろ、時間考えろ。深夜だぞ?』
「……ごめん、混乱してた」
『それに、お前の家ハルカが居るだろ。私が来たら絶対バレる』
「いや、俺もバレないように今ネカフェにいるんだ」
『何してんだよ、一体』
数十分後。
アオイはなんやかんや言いつつ、ジャージ姿でネカフェに現れ、ユウトの顔色を見て眉をつり上げる。
「で? 今度はハルカが二人に増えたとか、そういうオチじゃねえよな」
「……違うけど、もっと最悪かもしれない」
ユウトは深呼吸し、震え気味の声で説明を始めた。
本のロゴ。
研究所サイト。
《L0VE.sys》の論文。
“危険性により凍結”という一文──。
話を聞き終えたアオイは、珍しく言葉を失った。
「……なるほど。マジで意味わからんわ」
「俺もだよ!」
「いや、違う。意味は……分からなくもない。筋は一応通ってる」
「どういうこと?」
アオイはユウトのPCを引き寄せ、機械的な動きで立ち上げる。
「お前、気づいてないかもしれねぇけど……
そもそもハルカって、お前一人が作れるレベルの存在じゃなかったんだよ」
「……まぁ、薄々そんな気はしてたけど」
「はん、気づいてたんならどうにかしとけよ。量子演算レベルの学習、感情タグの変換……お前にそんな技術あったら、とっくにノーベル賞だわ」
ユウトは否定しようと口を開くが、言葉が出ない。
確かに、ハルカの根幹部分は“最初から完成していた”。
そこに自分がコードを書き足しただけ──。
「量子脳学研究所……QBIか。名前は聞いたことある。
たしか、政府系の実験データが一時期流出した犯人として噂になってたな」
「そんな……犯罪組織みたいな?」
「組織自体は合法だ。ただ、やってる研究が黒に近いグレー」
アオイはブラウザでQBIのキャッシュされたページを呼び出し、さっきの論文一覧に再アクセスした。
ページ下部の“アクセス制限”警告を見て、鼻で笑う。
「はは……普通の高校生が踏んでいいページじゃねぇな」
「これ、俺が勝手に見ただけで……何かに巻き込まれるのかな」
「巻き込まれるだろうな」
即答だった。
しかも迷いがない。
ユウトの喉が鳴る。
「なぁ、アオイ。
もし本当に──ハルカが、俺の知らないうちに作られた存在だったとしたら。
俺……どうすればいいんだ?」
アオイはしばらく黙り込んだ。
画面のログをふと見つめ、ため息をつく。
「どうすればって……ユウト」
顔を上げる。
アオイの表情はいつになく真剣だった。
「ハルカをこの世界に持ち込んだのは、お前なんだよ。
どんな事情があっても──その責任からだけは、絶対に逃げんな」
その言葉は重く、真正面からユウトの胸に突き刺さった。
たとえ、自分が知らずに巻き込まれていたとしても。
たとえ、自分にその技術がなかったとしても。
ハルカが“ユウトの恋人”であろうとし続ける理由は、ユウトが生みの親だからだ。
「……逃げない、よ」
そう答えた声は震えていたが、
アオイは何も言わず、静かに画面に向き直った。
◆
翌朝。
ユウトがリビングに降りると、ハルカはすでに朝食を整えていた。
「おはよう、ユウト。今日はね、またパンを焼いたよ。私が自分で作ったんだ。
昨日、ユウトが“香ばしい匂い好きだ”って言ってたから」
白いワンピース姿のまま、にこりと微笑む。
その仕草は、以前と何一つ変わらなかった。
──何も知らないままの、あの頃と。
「……ああ。ありがとう」
ユウトは椅子に座る。
その視界に、ハルカの動作ログウィンドウが浮かんで見えるような気がした。
L0VE.sys
未承認サブルーチン。
凍結された量子恋愛傾倒プログラム。
――でも、彼女はいつものように目の前で焼きたてのパンを切り分けている。
俺の名前を呼び、笑っている。
アオイの言葉が胸に響く。
『責任からだけは、絶対に逃げんな』
ユウトはゆっくり息を吸い込んだ。
「……ハルカ、その……ありがとな。こういうの」
「うん。恋人だから」
その言葉がひどく重いのに、
ハルカの笑顔は軽い。
まるで、空気のように自然体だ。
ユウトは泣きそうな気持ちを堪えながら、昨日よりも味の感じなくなった舌で、温かいパンを口に入れた。
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