第4話 聖堂教の包囲網


 私が意識を取り戻したことは教会にも伝わっているだろう。

 すでに荷物は届いたし……そろそろか。

 結局ヒロインが心配で来てしまうのよね、彼。

 柔らかな物腰の司祭は、女神至上主義なのでまだ可能性はある。

 ――そう、彼のフラグ潰しの可能性だ。


「頭の固い人ではないものね」


 教会の体面より信仰を重んじる人だから、話し合いの余地はあるはずだ。

 中性的でたおやかな彼の姿を思い浮かべ、軽く息を吐く。


「どうかされましたか?」


 ミラの言葉に私はなんでもないと微笑み、一報を待つ。

 間もなくしてノックの音が聞こえてきた。

 相手が侍女長だと知ると、ミラは急いで扉を開けた。


「殿下。聖堂教の司祭、セラフィナ様がいらっしゃいました。殿下の体調に問題なければ、一目でもお目通りしたいとのことですが、いかがなさいますか?」


 侍女長の言葉に、私は表情を取り繕いながらも内心で重いため息をつく。

 上半身だけ起き上がれるようになったばかりなんだけどねー、私。

 こういう場合、普通なら誰も通さないはずだけど、教会の代表として来ているのだろう。

 私の師でもあるわけだし、従順な女神の聖女であるアリアが彼の来訪を喜ばないはずがないと思われているようだ。


「わざわざおいでくださったのですもの。お通しして」


 そう伝えると、私は夜着にガウンを羽織った姿でセラフィナを待ち構える。

 これから泣かせちゃうかもと思うとちょっとだけ胸が痛む。

 ごめん、セラフィナ。

 あなたが悪いわけではないの。

 でも、このままでは負の連鎖が起きるだけ。

 私はそれを断ち切りたい。


 部屋に通されたセラフィナは、ゲームのパッケージそのままの麗人だった。

 明るく艶やかな栗色の髪に淡い緑色の瞳。

 はかなげな容姿で、白を基調とした司祭服がとても良く似合っている。

 最初見たときは、女性かと思ったものだ。


「アリア、倒れたと聞いて心配したのですよ。ベッドから身を起こすまでには回復したのですね。本当に良かった」


 セラフィナがベッド際に来て、私の顔色を確認する。

 贈られてきた白いバラと同じ香りが彼からもほのかにただよい、胸の奥がくすぐられる。


「えぇ、ゆっくり休めましたので体力もだいぶ回復してきました。明日にはベッドから完全に起き上がれると思います」


 私の言葉にセラフィナが微笑む。


「これも女神様のご加護でしょう。あなたは、敬虔な聖女ですから」


 果たして本当に敬虔だったのか。

 義務感からだったのか。

 今の私にはアリアの記憶はあっても彼女の感情は不明。

 私、桃山りなが体の主導権を握っているせいか、アリアの考えは推測するしかないのだ。

 なお、アリアは聖女として目覚めてから、聖堂教や女神について、セラフィナに師事していた。

 教会本部の司祭の中では、彼が一番年が近かったからだ。

 そのため、セラフィナに対して敬意はあるが、立場は王女であり次期女王であるアリアの方が上である。

 結果的に、公的な場以外は互いに呼び捨てとなったらしい。


「セラフィナに今一度、教えを請いたいのですがよろしいでしょうか?」

「もちろんです。あなたの体調を考えると長居はできませんが、それでもよろしければ、ぜひ」


 彼は、本当に良い教師だった。

 聖女の資質に目覚めた私に、根気よく女神の教えや教会の意義を教えてくれた。

 そんな彼に、こんなことを言うのは忍ばれるのだが……。


「セラフィナ、あなたは私に以前教えてくれました。女神様は天から常に私たちを見守り支えてくださっていると」

「えぇ、その通りです。女神様は常に我々を見守ってくださっています」


 優しい眼差しが私に向けられる。

 生徒の成長を喜んでいる師の姿そのものだ。


「ならば、私が祈るのは教会でなくても良いはずです。城の礼拝堂で祈ってもこの私室で祈っても、私の祈りは女神様に届くと思いませんか?」

「それは……ですが、女神様の言葉を初代の聖女が聞いた場所こそが今の王都にある教会の礼拝堂です。いわば、この世界の聖地。そこであなたが毎日女神様に祈っていたからこそ、世界は平和に満ちているのです」


 確かに初心者向けに書かれた聖典にも、初代聖女と女神エリュシオンとの邂逅は聖堂教の聖典の中でも重要な場面として描かれている。

 だが、私も含めその後の聖女は教会の礼拝堂以外でもお告げを聞いているし、そもそも聖女自体、下町の孤児院出身だったり高位貴族だったり様々だ。


「そうでしょうか? 現に私は、本日教会の礼拝堂で祈っておりませんのに」


「そうですね。こういった時のためにも、聖女であるあなたには教会で過ごしてもらいたいのですが、それは叶わなかった。歴代聖女の中でもあなたは『特例』なのです」


 セラフィナは気づいていない。

 彼自身の言葉に矛盾があることを。

 これは本当に泣かせちゃいそうだなーと、私は少々気が滅入りながら言葉を続ける。

 美人さんの涙には弱いんだけどな、私。


「司祭セラフィナよ。あなたは、今『特例』と言いましたか?」

「えぇ。あなたが王位継承者であるがゆえに、教会があなたの立場を慮って譲歩した結果です。よく知っているでしょう?」


 優しい響きに、私は頷く。


「『特例』があっても、この世界には天変地異など起こることもなく、安寧がもたらされているように感じます」

「それもあなたが聖女として、毎日女神様に祈りを捧げているからでしょう」

「あら? 私の体調が回復するまで教会へは向かえませんよ? だって私、過労で倒れたのですもの」


 私の言葉に、セラフィナは一瞬目を丸くする。

そして、痛ましそうに私――アリア――を見つめる。


「それは……」


 セラフィナは沈黙してしまった。

 彼も理解したのだろう。

 いくら聖堂教が国教でも、次期女王である私の健康を損ねてまで礼拝堂で祈るような無理強いはできないと。


「私の経験上、聖女は教会の庇護がなくても、女神の言葉を聞くことができると私は確信しています。私が初めて女神様のお告げを聞いたのもこの城の庭園でした。女神様はどこにいようと、どんな者であろうと見守ってくださり、小さな声にも耳を傾けてくださっているはずです。そうあなたが教えてくださったではありませんか」

「……あなたは、聖女にとって教会は不要と言いたいのですか?」


 窓から差し込む光を受けて、衣の白さはいっそう際立ち、セラフィナの姿がより明るく映る。

 その輝きとは対照的に、彼の表情には翳りが差していた。


 あーあ、そんな顔をさせたいわけじゃないんだけどなー。

 でも、ここで私が折れるわけにはいかないのだ。


 私の今後のスローライフのためにも。


「いいえ。女神様からのお告げをお伝えし、国の重鎮や信者たちに伝えるためには必要です。ですが私は、聖女自身は祈る場所を選ばないとお伝えしたいのです」

 ミラが私たちの会話中に静かに淹れてくれたお茶を口に運ぶ。

 ハーブティーらしく、すがすがしい香りが心地よい。

 白いバラの香りは、私には芳醇すぎたようだ。


「聖女が急に礼拝に来なくなったのでは、教会も困るでしょう。ですから週に一度、私は聖女として教会の礼拝堂で祈りを捧げます。誤解のないようお伝えしますが、私は信仰に疑問を持っているわけではありません。むしろ、女神様への仰心が篤くなったからこそ、以前にも増して御心に寄り添えるようになったのだと思っています」


 どれくらい経っただろう。

 部屋には、痛いほどの沈黙が広がっていた。

 私はセラフィナを見つめ、セラフィナも淡い緑色の瞳をまっすぐに私に向けている。


「……あなたの考えはよくわかりました。ですが、これは私一人の判断で決められるものではありません。教会でも議論が紛糾するでしょう」


 私の脳裏に、教会本部で甘い蜜を吸っている長老たちの顔が浮かぶ。


「かもしれませんね」

「ですが、私はあなたの意見を尊重したいと考えています。皆、女神様の元では平等であり、大きな愛に包まれている。確かに、信仰には場所も姿も関係ないのかもしれません」

「私は、そう考えております」


 沈痛な表情をしていたセラフィナは、一転して穏やかな笑みを浮かべた。

 私がゲームでよく見た、女神様のことを説いてくれているときの顔だ。


 セラフィナはもう大丈夫。

 彼の信仰は揺らぐことはない。


 セラフィナの支持者は王家や貴族の中にも多く、彼の説得があれば私の要望も通るはずだ。

 何より、私は週に一度しか教会に足を運ぶつもりはない。


「思わず長居してしまいました。あなたの体調も考えず申し訳ありません」

「いえ、私のほうこそ私の話に耳を傾けてくださった師に感謝しております」


 急ぎの用ができましたので、失礼しますね……と、背を向けるセラフィナを私は見送った。

 いつもより大きく見える背中は頼もしく、今後の展望も明るい。


 これでセラフィナルート『潰し』も成功間違いなし!

 私は心の中でガッツポーズをしたのだった。


 残るは隣国の第二王子、アレクセイ・ヴァルグレーヌただ一人。

 王道中の王道を行く彼がなかなかやっかいなのだが……。

 私は、ベッドに横になりながら気力を奮い立たせるのだった。


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