第4章 数値を超えて -2

2 痕跡



夜中2時、田村さんと私は、車に乗ってあの駅に向かった。

静かで、寒い夜。世界が凍りそうな空気の中を、私たちは静かに走る。


「きみが見たものは」

田村さんが呟く。

「ちゃんと『本物』にしなくちゃならないんだ。このまま消されてはいけない」

とても静かな声だ。

「だから、観なくちゃいけないんだね。きみの見た場所を」


「私が言ってること、信じてくれるの?」

彼の声は、それを確信しているようだった。

見てもいないものを、何故信じてくれるのだろう?


「うん、僕には、ちゃんときみが見えるから」

彼は、ミントタブレットを口に放り込みながら言った。

「食べる?」


見てくれているのか──


「ありがと」

彼からミントタブレットの缶を受け取りながら、ほんの小さく、呟いてみる。

「田村さんがいてくれて、良かった」


「え、あの」

あ、また照れてる。こういう時、彼は独特のどもり方をする。

「……うん」



駐車スペースにたどり着くと、向こうに室長の車を確認する。

「隣、空いてるな」

田村さんは、丁寧な手つきで車を停める。


「室長、お待たせしました」

彼は車から降りて、室長の車の窓を叩く。

室長は寝ていたらしい。

まぁ、夜中だし、寝るよね。

「ん、ああ、来たか」

そして車から出てくる。


私もシートベルトを外し、車の外に出た。

空気が痛いほど冷たい。鼻の先に氷柱ができそうな気分になる。

カーキ色のキャップを被り、ダウンのコートに埋もれるようにする。それでもすぐに体の芯まで冷え切る。

「寒いね」

田村さんが、身震いしながら私を見る。


「ふたりとも、なんかすみません……」

とっても申し訳ない気持ちになって、謝ってしまう。

室長は、私の背中をポンと叩いた。

「何言ってるんだ」

笑う。

「こういうのこそ俺達の仕事だろうが」

「うん」

田村さんも続ける。

「これはきみの妄言なんかではない。実際に起こっている事件だ」

「そうそう」

それを室長が引き取る。

「あとは、証拠を重ねるだけだ」


私たちを出迎えたのは、1体のアンドロイドだった。

「高槻さん、みなさん、こちらへどうぞ」

それは、秘書型アンドロイド。

うちの部署にいる、田村さんの昔からの秘書であるナナよりも、新しい型なのが分かる。

背筋を伸ばして綺麗なお辞儀をすると、私達をフェンスの扉に導く。

「ここから入ります」

そして、手をかざしてロックを解除する。


「私のボスが言っていました」

彼女は一帯をサーチライトで照らしながら案内を続けた。

「『高槻さん、今度飲みましょう』って」

そして線路の上を歩いて5分ほどして立ち止まった。

「ここが、おっしゃっていたポイントのあたりです」


──ここが。


冷え冷えとした空気が、足元のバラストから立ち昇ってくる。

じゃり、という足の裏の感覚。

手元のライトを照らすと、奥にうっすら駅の影。

確かにこの辺りだ。私が見た、事故現場。


何事もなかったように、静まり返っている。

線路は、よく見るとここだけつぎはぎした感じがある。でも、それが証拠とは言い難い。

呆然とする。ここに来たら何か分かると思っていた。何も分からない。


室長と田村さんも、それぞれライトをいろいろな方向に当てながら、物証を探していた。

何もないんだ。

きっと、何も。


室長は、線路の脇の枯れ草を、拾った木の棒でかき分けている。

「そっち、何かありそうですか?」

田村さんが室長に声をかける。

「枯れ草とゴミだな」

確かに、ゴミらしきものが見える。


「そこは『綺麗』になってないんですね」

田村さんもどこかから木の枝を拾ってくる。そして、枯れ草をかき分け始める。

「そんなとこ見てるの?」

何もないからって──


「ここだけ片付いてないんだ」

室長が呟く。

「痕跡があるなら、ここだと思う」


そう言われればそうかもしれない。

私もそれらしい棒を拾ってみる。

そして、彼らと同じように、草むらをつつく。


しばらくそんなことをしているうちに、室長がいくつか気になるものをピックアップしてまとめ始めた。

ボールペン、片方だけの靴、フリースのジャンパー。

「ゴミにしちゃ違和感があるだろ?」

そういうことか。

事故で車内から漏れ出したものの可能性がある。


同じように、田村さんもそういうものを集め始めた。

ひしゃげたメガネ、電源の入るスマートフォン。

「これなんか、誰のか分かりそうなものだ」


そして。

室長が掘り起こしたものに、私の目は釘付けになった。


フェルトのマスコットだった。

拙い手だが、手作り。サッカーボールの形をしている。

拾い上げてみる。


それには刺繍が施してあった。

Koh.Kase──


「これ」

私は、腰が砕けるかのようにして、冷たいバラストの上に座り込んだ。

「これ、私が作ったの」

それを、撫でる。

「これ、私が加瀬くんに作ったの。高校生の時」

涙が溢れ出てくる。

「まだ持っててくれてたんだ」


ふたりが私のところに集まってくる。

私の手から、そのマスコットをとって眺める。

私は、地面にうずくまった。

「加瀬くんの……加瀬航平くんのものなの」


慟哭。

「確かにここで、あの事故はあったんだ!」


田村さんがしゃがみ込んで、私の背中を撫でてくれる。

手袋をしていても分かる、優しい手。

私は、ミトンをした手のまま、顔を覆った。


「ごめんなさい、ごめんなさい、加瀬くん。あなたを助けられなかった──」


彼は確かに存在して、ここで命を落としたんだ。

誰も知らなくても、私だけが覚えている。

私だけが。


その時。

あの秘書アンドロイドが、私に近づいてきた。

「あなたの『幸福』のデータが見つかりません」

そして、


私の背中を撫でていた田村さんを突き倒し、

私の腕を、

後ろに捻り上げた。


「あなたは保護され、『幸福』についての調査を受ける必要があります。治療を兼ねますので、入院となりま」


ピシューン。

田村さんの手元で、何かが光った。

秘書アンドロイドは、言葉を途中で失った。

私の腕にかけていた力も抜ける。


田村さんが彼女にむけていたのは、電子銃だった。

「こんなことだろうと思ってた」


「おいおい」

室長がタバコを吸い始める。

「壊すなよ、友人の秘書だ」

「大丈夫です、しばらくすれば復活する程度の出力で撃ちました」


突然のことに震えている私を、田村さんがまたしゃがみ込んで撫でる。

私は、贖罪と恐怖で、顔をぐちゃぐちゃにしていた。涙と、鼻水。


「うう……」

言葉にすらならなかった。


「こんなところで座ってたら、冷えちゃうよ」

田村さんは、私の腕を取って、支えるようにして立ち上がらせる。

寒いという感覚すら忘れていた。


気づくと、体の中に氷の芯ができたように感じる。痛みすら覚える。


「とりあえず物証は出てきた。その事故は、本当にあったんだ」

室長が、秘書アンドロイドを線路脇に運んだ。線路の上に置いておいては、また脱線事故が起きてしまう。


そして、

「帰るぞ」

と、言った。

「もうすぐ夜明けだ。俺は半休を取って寝る。お前さん達もそうしていい」

「そうします」

田村さんは、まだ涙を流している私の肩を支えながら、返事をした。


夜明け前が一番暗い。

そんな時間だった。

線路の上は音も無く、肌を過ぎる風だけが私の実在を確認させてくれた。

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