第9話 水が戻った畑と、沈黙する土壌
水路の復旧から二日後。
俺たちはアーリ村の畑を見に行くことにした。
水が戻ったという報告はすでに聞いている。
だが、実際に目で見るのとでは違う。
畑の前に立った瞬間、
土の匂いが前より濃くなったことに気づいた。
マリアが驚いた声を漏らす。
「……本当に、水が行き渡っています。
乾ききってひび割れていた畑なのに」
アズベルもうなずいた。
「これなら、今年の飢えは避けられるだろう」
視界の文字がゆっくりと浮かぶ。
『水分回復:標準値
農地復旧率:五割』
五割。
水は戻った。
だが、そこで終わりではない。
土を手に取る。
湿り気はあるが、柔らかさがない。
握っても崩れず、塊がそのまま残る。
セラが口を開いた。
「……やっぱり、硬いままですね」
彼女は畑に膝をつき、
指で土を掘り、匂いを確かめている。
「水が戻れば柔らかくなる土もありますけど……
グレイスの土は、長い間“死んでいた”んです」
死んでいた、という言葉は重かった。
だが、的を射ている。
視界に淡い表示が出る。
『問題:土壌硬化
原因:水分不足による栄養流出
改善:木灰・堆肥・空気の混入』
セラが顔を上げた。
彼女の言葉と、視界の表示が一致する。
「木を燃やしてできる灰……あれを混ぜるといいです。
この土、酸が強すぎるから」
ドランが感心した顔で言う。
「ほう……昔、同じやり方が記録にあったな。
四十年前の豊作期だ。
香り麦の黄金色で村が埋まっていた頃よ」
香り麦。
数日前、セラが口にしていた名前だ。
「昔は、この土地……“香り麦”が特産だったんです」
セラは小さく続けた。
「風に流れると、ほんのり甘い香りがする麦です。
だから、グレイスは交易の中心だったと聞いています」
視界に文字が浮かぶ。
『特産候補:香り麦
再生可能性:中』
この領地の未来の軸になる可能性がある。
その気配が数字となって現れている。
俺は早速指示を出した。
「マリア。村の者に伝えてくれ。
木灰を集め、畑の区画ごとに混ぜる準備を始める」
「すぐに取りまとめます」
「ドランは、昔の農法が書かれた記録をもう一度確認してほしい。
水路が戻った今、過去の成功例が役に立つ」
「任せろ。古倉庫も念入りに探してみよう」
セラは不安そうに聞いていた。
「……でも、木灰を混ぜて、
畑を一度耕し直すのは大変です。
皆、疲れていますし……」
アズベルが静かに答えた。
「だがな、セラ。
水が戻っただけで、皆の顔色は変わった。
今なら、やれる」
その言葉に、セラの表情がようやく晴れた。
◇
村人たちが集まると、全体に向けて説明を行った。
木灰の効果。
土壌の硬化。
これから必要な作業。
村人の表情には疲れも見えたが、
その奥に“期待”が確かに宿っていた。
視界に表示が浮かぶ。
『領民感情:期待 → 行動への移行』
ようやく、土を動かせる段階に来た。
◇
夕方。
畑の端で、セラが残った土をいじりながら言った。
「レオン様。
もし、この土が柔らかく戻ったら……
香り麦を、もう一度育てたいです」
「できるか?」
「……分かりません」
セラは正直に答える。
「昔の種はもうほとんど残っていませんし。
でも、少しだけ……
祖母が“どこかにしまったはず”って言ってました」
視界に文字が淡く残る。
『香り麦の種:存在可能性 “低だが有り”』
低い。
だが、ゼロではない。
「探そう」
俺は言った。
「特産品があれば、交易が戻る。
交易が戻れば、黒字化は早まる。
この領地の再生には、必要な柱だ」
セラは強く頷いた。
「はい!」
水路が戻り、畑に水が入った。
だが、土はまだ生き返っていない。
水の次は“土”だ。
その土の奥に眠る可能性が、
ゆっくりと目を覚まし始めていた。
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