第3話 水路の現状と最初の作戦

翌朝、まだ日が昇りきらない時間に館の前へ出ると、

すでに数名の村人と兵が集まっていた。


顔ぶれは様々だが、誰もがこちらの出方を探っている。

不安と、わずかな期待。その比率はまだ不均衡だ。


マリアが駆け寄ってきた。


「レオン様、地図をお持ちしました。ですが……かなり古いもので」


受け取った地図は、羊皮紙が黄ばみ、端が欠けている。

描線は薄れ、地形の正確性にも不安があった。


だが、視界が反応する。


『主水路:現在もおおむね地図通り

 副水路:形状変化大

 上流三箇所が主要な詰まりの原因』


おおまかな構造は変わっていないらしい。

使える。


レオンは村人と兵たちの前に立った。


「今日から水路の修復に入る。最初に行うのは、上流の土砂撤去だ」


村人たちがざわつく。


「上流……あそこは崩れやすくて危ない場所ですが……」

「人手が足りるのか?」


不安の声が自然に漏れる。


レオンは地図を広げ、その上に指を置いた。


「ここだ。三箇所だけ土砂を撤去すれば、主水路の流れが七割は戻る。

 副水路は後回しでいい」


視界に表示されている“改善”と同じ内容だ。


村人の一人が、疑わしげに手を挙げた。


「七割? 本当にそこを掘るだけで……?」


レオンは迷わず答える。


「原因がそこにあるからだ」


断言口調に村人たちが息を呑む。


「土砂の堆積が水の流れをせき止め、下流への供給が途絶えている。

 逆に言えば、流れさえ戻れば、農地はある程度回復する」


「で、できるんでしょうか……?」


「できる。必要なのは、十名から十五名の人員と三日間だ」


レオンは視界で確認した数字をそのまま伝える。


村人たちが互いに顔を見合わせる。

その中で、年配の男が口を開いた。


「三日……本当に三日でやれるなら、やる価値はあるな」


聞き覚えのある声。

出てきたのは、昨晩広場の端でこちらを観察していた人物だ。


レオンは彼に向き直る。


「あなたの名前を聞いていなかった」


「ドランだ。村の古い役人みたいなもんだ。力仕事も一通りできる」


年齢は五十を超えていそうだが、背筋は伸びている。

地元の事情にも詳しそうだ。


『協力姿勢:中立 → 少し前向き』


視界に淡い文字が浮かぶ。


「ではドラン。上流までの道案内を頼む」


「……分かった。あそこは俺も何度か通った」


マリアが小さく息をついた。


「ありがとうございます、ドランさん。皆、準備を!」


兵と村人たちが各々、鎌、つるはし、縄、簡易の板などを手にする。

装備は簡素だが、必要最低限は揃っている。


レオンは短く指示を出した。


「午前は上流までの移動と状況確認。

 午後から最初の掘削に入る」


動きは速いほどいい。



山へ向かう小道は、思った以上に荒れていた。

倒木、崩れた岩、雑草。

道らしい道は、もうほとんど残っていない。


そのたびに視界が反応する。


『原因:管理放棄と落石』

『改善:倒木撤去、側溝整備、石段補修』


だが今日の目的はこの道ではない。

優先順位は水路。


しばらく進むと、木々の間から水音が聞こえてきた。

しかし流れは弱い。


「ここが……」


ドランが足を止め、山肌を指差した。


「一つ目の詰まりの場所だ」


近づいてみると、想像以上の光景が広がっていた。


土砂と石が大量に積み上がり、

本来の水路の形が完全に埋もれている。


だが視界が即座に判断する。


『原因:三年前の豪雨による土砂崩れ』

『改善:掘削深度は三尺。側面補強は後回しで良い)

 人員十名×一日で終わる』


レオンは村人たちに向き直った。


「ここを掘る。深さは三尺。広さはこの範囲だ」


指示は具体的で、高速。


ドランが目を見開く。


「三尺でいいのか? もっと深く掘らないと……」


「ここは土砂が流れ込んだだけだ。

 元の水路はもっと浅い。深掘りすると逆に崩れる」


ドランの眉が動いた。


「……分かった。やろう」


レオンは作業に取りかかる前に、周囲を一度見渡した。


陽光に照らされ、山肌が静かに広がっている。

風が木々を揺らし、弱々しい水の流れが音を立てている。


ここを直せば、水は戻る。

そう確信できるだけの材料が揃っていた。


「始めてくれ」


レオンの声で、村人たちが動き出した。


つるはしの音が山に響き、

土砂が少しずつ退かされ、水がわずかに広がっていく。


『流量:微増』

『作業効果:良好』


視界が冷静に結果を示す。


午後、日が傾き始める頃——

ついに水が勢いを取り戻し、細かった流れが一気に幅を広げた。


「おおっ……!」


「水だ……戻ったぞ!」


村人たちが声を上げる。


レオンはただ静かに見守った。

だが視界には、次の文字が浮かんでいる。


『効果:農地三割回復の見込み

 次の改善箇所へ移動推奨』


三割。

たった一箇所でこれだ。


レオンは小さく息を吐いた。


——これなら、本当に領地は立て直せる。


そして次の地点へ向かうため、村人たちに合図した。


「次の場所へ移動する。今日中に確認だけでも済ませる」


「了解した!」


作業で疲れているはずなのに、声に力があった。


水が流れるだけで、人の表情はここまで変わる。


レオンはその事実を静かに受け止めながら、

山道のさらに奥へ歩みを進めていった。

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