第2話 最初の確認と水路

グレイス辺境領の門は、王都のそれとは比べものにならないほど小さく、古かった。

石壁はところどころ欠け、門扉の木材は乾ききっている。補修が必要なのは一目で分かる。


門の前で馬車が止まると、数人の兵が慌てて駆け寄ってきた。

鎧は古く、錆びも目立つ。肩の布は日焼けし、色が抜けている。


「レオン・バルナーク様で、間違いございませんか」


最年長と思われる兵が頭を下げる。

礼儀はあるが、声に覇気がない。


「俺が新任の領主だ。とりあえず館へ向かおう。だが——」


視界の端に、淡い文字が浮かぶ。


『兵の状態:栄養不足、訓練不足、装備劣化』

『改善:食糧支給の安定、装備の最低限の修繕、訓練負荷は軽度から開始』


兵の弱さは想定していた。だが、具体的に原因が分かるのは大きい。

ただし、今の最優先は兵ではない。


「到着早々で申し訳ないが、館に入る前に水路の確認をしたい」


「す、水路でございますか?」


兵たちは顔を見合わせた。

マリアが一歩前に出て、淡々と説明する。


「領主様は水路を最優先と判断されています。案内をお願いします」


兵は困惑を隠せない様子だったが、すぐにうなずいた。


「……かしこまりました。案内いたします」



城壁の内側に入ると、予想以上に静かだった。

人の声が少ない。屋台も店も閉まっている。

広場に人影はあるが、動きに活気がない。


「人口はもっと多かったはずだが」と言いながら歩いていると、視界に文字が浮かぶ。


『原因:水不足による農地縮小 → 食糧不足 → 流出』

『改善:水路主幹の再整備。副水路は後回し』


原因の連鎖がそのまま説明されていく。

状況は厳しいが、筋は通っている。


兵の案内で、水路の入口に到着した。


「こちらが、山からの主水路でございます」


古びた石積みの水路が山側から伸びている。

だが、水の流れは細く、ところどころで途切れている。

近くには土砂の堆積。木の枝や泥が詰まっている箇所もある。


視界が反応する。


『原因:上流の落石、土砂流入、放置による硬化』

『改善:上流三箇所の土砂撤去。作業日数:十五日

必要人員:十〜十五

効果:農地三割回復の見込み』


数字まで出てくるのは、助かる。


「この水路を、何年放置していた?」


「大きな修繕が行われたのは……七年前が最後かと」


兵の声は申し訳なさそうだった。


「人手も資金も足りず、応急処置でしのぐのが限界でした」


「七年放置なら、これほど悪化していても不思議ではないな」


レオンは水路の縁にしゃがみ込み、石を指でなぞった。

石の継ぎ目は崩れ、隙間が広がっている。


『原因:凍結と解凍の繰り返しによる劣化』

『改善:継ぎ目の補修。石材追加が必要』


冬場の凍結が影響していると分かれば、補修の仕方も変わる。


「マリア」


「はい」


「まずは上流の土砂撤去。次にここの石の補強だ」


「人員は……」


「働ける者を総出で良い。だが、無理はさせるな。

 俺は原因が分かるだけで、土木作業に必要な体力までは提供できない」


マリアは小さく笑った。


「村の者は、働く場所さえあれば動きます。水路が回復すれば、皆も希望を持てるはずです」


「なら良い」


レオンは立ち上がり、水路のさらに上流を見つめる。

森の入り口が遠くに見え、その奥には山の影が続いている。


ここを直せば、確実に領地は変わる。


問題は、どれだけ早く動けるかだ。


「作業を始める前に、一度全体の流れを確認したい。地図はあるか?」


「古いものなら館に」


「持ってきてくれ。地形の把握が必要だ」


水路の全体構造を把握し、どこが詰まっているかを理解すれば、優先順位はさらに精密に決められる。


兵たちはすでにレオンを見る目を変えつつあった。

ただの貴族の若造ではなく、状況を理解して順番を決められる人物として。



館に戻る前、レオンはふと立ち止まった。

通りを歩く領民たちの視線が、自分に向けられていることに気付いたからだ。


怯えでも、期待でもない。

ただ、「この人間は何をするのか」という観察の目だ。


視線を返した瞬間、淡い文字が浮かぶ。


『領民感情:不安大、期待小、観察』

『改善:行動で示し、初期の成果を見せること』


「なるほど……」


レオンは小さく息を吐いた。


人は言葉では動かない。

行動と結果だけが信用を生む。


「マリア。明日から水路の作業を始める。できるだけ早く取りかかる」


「承知しました」


視線を水路の方向へ向ける。


明日から、領地再建が本当に始まる。


まず最初にやるのは——

水路の復旧。


それだけで領地の三割は動き出す。


レオンはその事実を、静かに確信していた。

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