氷刃公エルヴィン――冷徹な義兄の瞳

――サラサの話では、義兄も小さい頃は幼馴染の女の子と仲良く遊び、その子に淡い恋心を抱いていたこともあったそうだ。


女性が恋愛対象外というわけではないなら、まずは積もり積もった女性への嫌悪感や拒否感をなくし、氷が溶けてきたところで義兄に縁談を持ち込めばいいのではないか。そのためにはまず身近な女性である私が義兄と仲良くなって信頼してもらう必要がある。


そういえば、仲良くなるためには単純接触回数を増やすことが大事だと大学の授業で習った気がする。確かザイオンス効果とかいうものだ。大学で学んだことがまさか異世界で役立つなんてと思いながら、私はそろそろと部屋を出て動き出した。


名付けて「仲良し兄妹作戦」である。


◇◇◇


ごくり…


屋敷をさまようこと1時間。あまりに大きな屋敷のなかで迷子になりながら、コックや執事、いろんな人にお世話になり、ようやくここにたどり着けた。途中、迷子になった庭の白薔薇園で少し昼寝をしてしまったことは誰にも内緒だ……


アザル家の紋章である六弁の氷花クリオフローラが刻まれた大きな木の扉。

この向こうに氷刃公ひょうじんこうことエルヴィンお義兄にい様がいる。

不安な気持ちをおさえながらノックをし、すました声で「お忙しいところ失礼いたします。義妹のアリアが参りました」と言う。


少し沈黙があり「入れ」と声がした。


部屋に入ると、大きな部屋の奥で執務中のエルヴィンが待っていた。

公爵ともなると、すべき仕事も膨大にあるのだろう。昨日は美麗だとしか思わなかったその顔に疲れの色を見出して、少し心配になってしまう。


「あの…大丈夫ですか?お休みされたほうがいいのでは」


思わず声をかけてしまい、しまったと思う。貴族のマナーとしてこんな砕けた物言いはだめなんじゃなかろうか。しかし、さすがは貴族というべきか、エルヴィンは表情を一切変えずに答える。


「いや、問題ない。それより体調は戻ったようだな。私に何の用だ?」

「あの、わたくしのような者を義理の妹として迎えいれてくださりありがとうございます。血のつながらぬ仲ではありますが、アザル家の花弁の一枚として役に立てるよう頑張ります」


エルヴィンは、けげんそうな顔で私を見る。

その碧く鋭い眼光に、思わずたじろぎそうになってしまう。


「まさかそのような気の利いた言葉をお前から聞けるとは思っていなかった。それでは義兄あにからお願いしよう。お前の仕事は、限りなく細くなってしまったこのハウスの名を繋ぐことだ。それ以上でも以下でもない」

「承知しております。そのためにもお義兄にい様と定期的にお話しする時間をとらせていただけませんでしょうか?」


ぎろりとねめつけられ、思わず申し出を取り消して走り去ってしまいそうになる。でも、ここで負けるわけにはいかないのだ。私の安全な生活スローライフがかかっているのだから。


「ご存じのとおり私は平民です。この国の成り立ちや貴族のふるまい、各ハウスについては全く分かっておりません。わたくしが貴族の娘として役立つためには、筆頭公爵家の主であるお義兄にい様からお話を伺いしておくことが大事なのではと思うのです」


・・・


数秒。だが私にとって永遠かと思われる時間が流れ、思わず目をつぶってしまう。

おそるおそる目を開けると、エルヴィンのその美しい夜空のような瞳がわずかに愉しげな表情をしているのが見えた。


「よかろう。それではおまえが婿をめとるまでの2年のあいだ、毎週時間をとって今帝国が置かれている状況について話す機会を設けるとしよう」


「ありがとうございます。それではこれで失礼いたします」


緊張するけど、何とか成功したみたい!

早々に立ち去ろうとする私をエルヴィンが呼び止め、腕をドレスの裾に延ばす。


「白薔薇の花びらがついている」


手がドレスにふれた瞬間、ジリ…と音がしてわずかに電流が走ったような感覚があった。エルヴィンも同じ刺激を感じたようで、ほんの一瞬、氷のような碧がわずかに揺れる。


「――私の義妹いもうとはなかなかお転婆のようだな」


エルヴィンはそう言うと、また貴族のすました顔に戻ってしまった。

もっとその揺れる瞳を見ていたかったと、なぜか思ってしまう。



◇◇◇



「昼寝がバレたかと思った~怖かった~」

閉めた扉にもたれかかるようにして、深い息をつく。氷刃公ってほんとおっかない。


エルヴィンが触れた瞬間のバチリとした気配。あれは何だったんだろう?静電気かな。そういえば前世も静電気体質で、冬場なんてほんとによくバチバチしてたものな。


でも、あのときの表情。


氷刃公と呼ばれる義兄の人間的な一面を初めて見たような気がして、悪い気分ではなかった。

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