無能と呼ばれた妹は、完璧な義兄の愛で帝国を救う
@orimokita
はじまりの距離
気づけば異世界で“無能な義妹”でした
朝なのか夜なのか、もうわからなかった。
蛍光灯の光がまぶしくて、パソコンの画面が二重に見える。
私――藤原
夢もやりがいもとうに枯れて、今はただ“納期”という神に仕えている。
「有紗ちゃん、修正まだ? クライアントから催促来てるよ」
「はい……いま、データ送ります」
上司の声はいつも通り冷たくて、
社内チャットには“お疲れ様”よりも“再修正”の文字の方が多い。
時計を見ると、午前二時。
もう帰る電車なんて、とっくにない。
冷めたコーヒーの味しかしない夜。
「……あの星の下なら、もう少し楽に生きられるのかな、お母さん。お父さん」
オフィスを出て、夜風に当たった瞬間。
そんな独り言が漏れた。
空には、やけに明るい星が一つ。
どうせ明日も会社に行くだけなのに――少しだけ、それを見ていた。
横断歩道の信号が青に変わる。
歩き出した瞬間、視界が真っ白になった。
◇◇◇
まぶしい。白く、すがすがしい光を感じて目を開ける。
さらさらという感触が皮膚に伝わり、いつのまにか心地よく肌になじむ寝間着を着ていることに気づく。
どうやら私はベッドの中にいるらしい。
「……ここ、どこ?」
思わずベッドから起き上がると、立ちくらみがしてよろめいた。
天蓋付きのベッド、中世ヨーロッパの貴族の邸宅にありそうな家具の数々。学生時代、フランスへの貧乏旅行でヴェルサイユ宮殿に行ったとき、こんなの見たなぁと思っていると、大きな鏡にひときわ華奢な紫色の髪の娘が映っていた。
「え……ちょっと待って。なにこれ」
紫の絹糸を束ねたような髪。光を集めるたびに淡く透ける薄碧の瞳は、まるで宝石のよう。まだあどけなさが残るけど、いわゆる絶世の美女だ。ってこれ、私?もしかして、今流行りの異世界転生ってやつですか?
ふつうなら、パニックになってしかるべきだが、通勤の電車内で異世界転生もののゲームをするのだけが楽しみの限界社畜OLをなめてもらっちゃ、困る。いつだって異世界に来る心づもりはできていたんだから。
そんなことを考え、すこしうきうきしていると、ノックの音がしてしずしずと女性が入ってきた。
服装を見るからに、お付きの侍女か何かだろう。
「お目覚めですか、アリア様」
アリア。私の名前?
「まもなく、エルヴィン様がお見えになります」
エルヴィン?誰それ?
少しおびえたような彼女の表情が気になり、口を開こうとした瞬間、ドアが静かに開いた。
深く澄んだ碧の瞳に、濃紫の髪。肩へと流れるその髪は、光を受けるたびに冷ややかな艶を帯びる。線を引くように整った目元、陰影の冴えた横顔、仄かな光さえ鋭く返す頬の輪郭――。
その美貌に、思わず息をのんだ。
「気が付いたか?私は、エルヴィン=ナムタリウス=アザル。この館にきたとたん、気を失って倒れてしまうとは、ここに来るのが心底嫌だったと見える」
あれ?なんだかしゃべりにトゲがありませんか?そしてあなた様は、いったい私とどのような関係で?
冴えわたる美貌とうらはらの、冷たい表情にひやりとしたものを感じて、聞きたいことをぐっとこらえ、ひとまずここは謝っておくことにする。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
エルヴィンは少し怪訝な顔をしたが、すぐまた冷ややかな表情に戻り「どのみち、おまえは公爵家にとって何の役にも立たぬ。何をしようが勝手だ。だが、
……塩対応って、異世界にもあるんだ……
緊張がとけたのか、急な眠気が襲ってきて、再び私はベッドに倒れこんだ。
◇◇◇
目を覚ましたら、昨日とまったく同じベッドにいることに気づく。
やっぱり夢じゃなかったか……
すぐそばに昨日控えていた侍女がいるのに気づき、声をかけてみる。
「あなた、名前はなんていうのかしら?申し訳ないのだけれど、なんだか記憶があいまいで」
サラサ、と名乗る侍女は、祖母の代からこのアザル公爵家に仕えていると言った。
サラサによると私、アリア16歳は、つい昨日、公爵家に養女としてもらわれてきたらしい。アザル公爵家はこのエリドゥ帝国の筆頭公爵家として、光となり影となり帝国を支えてきた名家。しかし8年前、不幸にも公爵と夫人が相次いで亡くなり、当時18歳のエルヴェンが爵位を継いだという。
ところがエルヴィンは26歳の今になっても、婚約者はおろか浮いた噂一つなく、ついたあだ名が「
この世界において皇家と貴族には家の持つ色彩・
「だから、出自もわからないようなアリアをひきとったってわけね…」
少しでも紫に近いほうが、明らかな部外者を養子にとったって思われなくていいもんね。むしろ、良く探し出せたな、紫色の髪の娘なんて。庶民にもいるんだ……突然変異とかなのかな……アザル公爵のそれよりもずっと薄い紫色の髪をなでながら思わず独り言をつぶやくと、サラサがびくりと反応する。
「エルヴィン様は悪い人ではないのです。ただ、ご両親の死後、エルヴィン様に取り入ろうと様々な貴族が御令嬢をおくりこみ、怖い思いをされました。以来、女性に対してはあのような冷ややかな態度をとられるようになったのです」
う~ん、義兄様。気持ちはわかるけど、連れてこられたばかりの義妹にあの態度はひどいんじゃ…「なんの役にも立たない」って言われたし。元社畜として「無能認定」は胸にくるものがある……
それに王様もひどいんじゃないだろうか。アリアに婿をとらせて家を存続させようってことなんだろうけど、アリアの意思も何もあったもんじゃないよね。日本からやってきたいち会社員としては、その決断、ちょっとどうかと思うぞ…
と、ここまで考えてはたと気づく。それってアリア、つまり私が子孫繁栄しなくちゃいけないってことだよね?せっかくの異世界で悠々自適なスローライフを楽しめると思っていたのに!?かくなるうえは、義兄に女性嫌いを克服してどうにかお家断絶を防いでもらうしかないわ!!
その発想が、皇家と同じように義兄の人権を侵害したものであることに気づきもせず、私はそう固く決意したのだった。
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