第37話 非効率が生んだ防壁

灰色の路地での治療を始めて、もう数日が過ぎていた。


 やることは単純だ。俺が一人ひとりに触れて呪詛を抜き、ミリーと祖父が水を配り、布を替える。

 それだけ。派手な光も、儀式めいた呪文もない。


 地味で、非効率で、終わりが見えない作業。


『更新:灰色路地受信機 無力化率 81%』

『残存:深層呪詛保持者 12名/要継続処理』

『注意:座標タグ「トレス村」ステータス=依然【起動待機】』


(あと少し。だが、向こうの刃はまだ鞘に収まってない)


 “根”を持つ重症者たちも、時間をかけて少しずつ浄化が進み、顔色は日に日に戻ってきている。

 それでも胸の奥の焦燥は消えない。教団がいつ引き金を引くか分からない時限爆弾を抱えたまま、目の前の一人に手を伸ばす。


「アレンさん、お疲れでしょう。少し休憩を……」


「大丈夫です、ミリーさん。もう少しだけ」


 心配そうな瞳に苦笑で返した、その時だった。


 路地の入口がざわつき、硬質な足音が石畳を乱暴に叩く。


「どけどけ! ギルドの公式視察だ!」


 横柄な声とともに現れたのは、小太りで高価な制服を着崩した男。背後に武装した騎士たちを従えている。


(ゲッコー……)


 フロンティア支部の強硬派幹部。会議で俺を「追放者の分際で」と罵ったあの男だ。

 嫌な予感しかしない。


 ゲッコーは粗末な仮設診療所と、列をなす住民たちを一瞥し、露骨に鼻を鳴らした。


「……ほう。これが噂の“聖人様ごっこ”か。見苦しいにも程があるな」


 空気が凍る。


「ゲッコーさん。ギルドの方が、こんな場所に何の御用ですか」


 俺は立ち上がり、できる限り穏やかに尋ねた。


「決まっているだろう、アレン・クロフト」


 扇子で俺を指し示し、吐き捨てるように言う。


「貴様への公式な叱責と、この馬鹿げた慈善事業の即時中止勧告だ」


「叱責……ですか?」


「そうだ! 街の切り札たる特別協力員が、いつまでこんな掃き溜めで手かざしごっこなどしている! 非効率も甚だしい!」


 甲高い声が路地に響く。


「君は鉱山の件で多少は役に立った。その功績ゆえに、ギルドは君を“保護”している。だが今の振る舞いはどうだ? 最下層の連中と馴れ合い、“聖人様”などと崇められ、ギルドの権威を食いつぶしている!」


(権威、ね)


「これは街の英雄がやるべき仕事ではない! 不衛生な患者に触れ、怪しい“おまじない”を施すなど、君自身とギルドの価値を下げる愚行だ!」


「俺の価値は俺が決めます。それに、この人たちは“不衛生な患者”じゃない。偽薬で傷つけられた被害者です」


「口答えをするか、追放者が!」


 ゲッコーの顔が怒りで赤く膨れ上がる。


「いいか、アレン・クロフト。君は星喰教団が狙う“器”候補であり、ギルドが管理すべき戦略級戦力だ。そんなものが勝手に民衆と直接繋がるなど危険極まりない!」


(あー、はい。完全に“もの”扱い)


「正式幹部として命じる。この治療行為は即刻停止。患者は騎士団か教会に引き渡せ。君はギルド本部へ戻り、処分決定まで待機しろ」


 騎士たちが一歩前に出る。

 俺が息を吸い、何かを言おうとしたその瞬間。


「……待ってくだせぇ」


 震える声が、騒ぎを割った。


 最初に前に出たのは、昨日まで咳に苦しんでいた老婆だ。


「ゲッコー様は偉いお方なんでしょうが……この方を連れていくのは、やめてくださらんか」


「なんだ貴様。下がれ、汚らわしい」


 ゲッコーが睨みつける。

 だが、その声は別の怒鳴り声にかき消された。


「汚らわしいのはどっちだ!」


 腕に傷を持つ男が一歩踏み出し、俺の前に立つ。


「あんたらギルドは、俺たちが偽薬で苦しんでる間、何してた! 見て見ぬふりしてたじゃねぇか!」


「そうだ! 息子を救ってくれたのはこの人だ!」

「悪夢を追い払ってくれた!」

「アレンさんがいなきゃ、とっくに死んでた!」


 一人、また一人。

 痩せた体を揺らしながら、人々がゲッコーと騎士たちの前に立ち並ぶ。


「どけ! これはギルドの決定だ、庶民風情が逆らうな!」


「逆らうさ!」


 鉱夫の男が怒鳴る。


「この人は俺たちの命の恩人だ! “掃き溜め”を見に来たのはあんたらじゃねぇ、この人だけだ!」


「アレンさんを連れてくなら、まず私らを殺してからにしな!」


 老婆が杖で石畳を叩く。


 あっという間に、人垣は分厚い“壁”になった。


 ゲッコーの部下の騎士たちは、剣に手をかけかけて――固まる。

 目の前にいるのは魔物でも賊でもない。街に暮らす弱いはずの民衆だ。それでも、その眼は恐ろしく強い。


(……)


 俺はその背中を見ていた。

痩せて、ぼろをまとい、それでも前に出る人たち。

 どんな城壁より頑丈に見える。


(計算で被った“聖人”の仮面が――思った以上のものを生んじまってるな)


「き、貴様ら……! ギルドに歯向かう気か!」


 ゲッコーが声を裏返す。


「街を守るギルドの決定に逆らうなら――」


「街を守ってくれたのは誰だ!」


 別の男が遮る。


「倉庫での呪いも、偽ポーションも、この人が止めてくれたんだ!」

「“非効率”とか言う前に、一度でもここに来てみろよ、幹部様!」


 怒声と罵声が渦を巻く。


 そのすぐ外れで、この光景を黙って見つめている鎧姿があった。

 監視役、バートン。


 彼は目を見開き、俺と、俺の前に立つ民衆とを交互に見ている。

 侮蔑の色は、どこにもなかった。


「ひ、ひぃ……!」


 ゲッコーはついに腰を抜かしそうになりながら後退する。


「お、覚えていろ! こんな扇動、ギルドが許すと思うなよ……!」


 情けない捨て台詞を残し、騎士たちを引き連れて路地から逃げ去った。


 怒号が途切れ、静寂が流れ込む。


「……アレンさん」


 さっき先頭に立った男が、気まずそうに頭を掻く。


「勝手に出張って悪かった。あんたは黙ってやり過ごすつもりだったかもしれねぇのに」


「いえ」


 少しだけ声が震えた。


「ありがとうございます。助かりました」


 そう言うと、男はニッと笑う。


「礼を言うのはこっちだ。――さ、治療の続きを頼むぜ、俺たちの聖人様」


「だから、その呼び方は……」


 苦笑に、路地のあちこちから温かな笑いが起こる。


(“都合のいい勘違い”なんてもう言えないな)


 その光景すべてを、バートンは壁際から見届けていた。


 権威でも命令でもなく、地道な“非効率”が作った壁。

 ギルド幹部すら退けた防壁。


 彼の表情から、完全に侮蔑が消えている。



 その数時間後。


 ギルドの鐘が鳴り、俺は本部へ呼び出された。

 第二会議室に通され扉を開けると、冷えた空気が肌を刺す。


 長机の中央にバルドス。

 左右にバルガスとドルガン。

 壁際にエルザとバートン。

 そして正面には、先ほど路地から逃げ出したゲッコーが、ふてくされた顔で座っていた。


「特別協力員アレン・クロフト。本件は、君の灰色路地での“治療活動”についての協議だ」


 バルドスが形式的に切り出す。


「率直に言えば、“非効率ではないか”という声が上がっている」


「非効率どころか有害だ!」


 ゲッコーが机を叩く。


「民衆を扇動し、“聖人”などという偶像を作り、ギルドの統制を乱している! 偽ポーションの後で勝手に薬を配るなど、管理上の悪夢だ! 即刻やめさせるべきだ!」


(さっき追い返された腹いせ八割ってところか)


「アレン君、弁明は?」


バルドスの問いに、俺は一歩前へ出る。


「弁明というほどのことはしていません。偽薬の呪詛を抜き、被害者を元に戻しているだけです」


「自己判断で動きすぎだ、という話だ!」


 ゲッコーがかぶせる。


「君は“星喰い教団”が狙う器候補であり、ギルド管理下の戦略戦力だ。その君が、ギルド抜きで民心を握るなど許されない。よって、あの診療は中止――」


「待て」


 低い声が、ゲッコーの言葉を断ち切った。


 バートンだ。


「……監視役、何か?」


「事実の確認をさせていただきたい」


 彼はまっすぐ前を見たまま言う。


「ここ数日、私は任務としてアレンの活動に立ち会っている。その上での報告だ」


 バルガスが興味深そうに眼鏡を押し上げ、バルドスも黙って続きを促す。


「偽ポーション汚染者の九割以上が、既に呪詛反応を失っている。深層の“根”を持つ者も、明らかに弱体化傾向だ」


「それがどう――」


「つまり、だ」


 バートンはゲッコーを真正面から見据える。


「彼の“非効率な慈善”は、呪詛ネットワークの受信機を潰し、この街を“実験区画”から外す防壁として機能している」


 短い沈黙。


「そ、そんなものは後から騎士団でも――」


「できないから、彼がやっている」


 今度はエルザが静かに口を開いた。


「夢見の銀晶だけを選択して抜き取るなど、通常の治癒魔法では不可能だ。アレンのスキルと制御があってこその作業だ」


「しかし、“聖人”などと――」


「ここで彼にやめさせれば、残った“根”はどうなる?」


 エルザの瞳が冷たく光る。


「次に教団が起動を試みた時、暴走する可能性を、幹部会として許容するのですか?」


「……脅しか?」


「事実です」


 ゲッコーは言葉を詰まらせた。


 バルガスが淡々と補足する。


「監査したが、彼の治療によって呪詛伝達経路が分断されているのは事実だ。グレンデル鉱山、灰色路地、すべて“実験区画:トレス村”と絡んでいる。ここで手を止めるのは愚かだよ」


「わしも同意見じゃ」


 ドルガンが顎鬚を撫でる。


「非効率非効率と喚いとるがの、大穴が開いてから塞ぐほうがよっぽど高くつく。今やっとるのは“予防工事”じゃ。よう見い」


 バルドスが深く息を吐き、結論を口にする。


「ゲッコー君の懸念は理解する。だが、結果としてアレン君の行動は街とギルドの利益に資している。ならば――枠を与えよう」


 視線が俺に向く。


「灰色の路地の仮設診療所を、“ギルド公認対呪詛窓口”として登録する。責任者はアレン・クロフト。だが条件として、常時一名以上のギルドまたは騎士団の監視役を置く。無制限の独断行動ではなく、“監視付きの公認任務”とする。異論は?」


(首輪を増やす代わりに、正面から認める形か。上手い)


「構いません」


 即答した。


「どうせ疑われて当然のことしてますから。監視はむしろ、俺にとっても保険になります」


「ほら見ろ! 殊勝な――」


 ゲッコーが吠えかけたところで、会議室の扉がノックもなく開いた。


「す、すみません! 止めきれなくて!」


 兵士の謝罪の後ろから、灰色の路地の面々が雪崩れ込んでくる。


 鉱夫、老婆、屋台の兄ちゃん、若い母親。十数人。


「ここで会議してるって聞いた!」


「アレンさんをいじめる話なら、俺たちにも言わせろ!」


「会議中だ、出ていけ!」


「嫌だね!」


 ゲッコーの怒声を、住民の叫びが押し流す。


「この人は俺らの命を助けてくれた!」

「“効率”だかなんだか知らねぇが、聖人様追い出すならギルドのほうがおかしい!」

「聖人様の診療所を潰すな!」


「だからアレンです」


 思わず小声で訂正したが、誰も聞いていない。


 ゲッコーは顔を真っ赤にして怒鳴る。


「黙れ! 部外者が――」


「部外者じゃありません」


 バートンが静かに言った。


「彼らは、この街の住民だ。あなたが守ると言った“街全体”の一部だ」


「バートン、貴様まで――!」


「幹部殿。決める前に一つだけ」


 バートンは住民たちを背に、前へ出る。


「今夜、教団が再び呪詛を起動させたとして。アレンが“非効率”に抜いてきた“根”がなければ、何人が暴走したか。計算は容易でしょう」


 ゲッコーは何も返せない。


 バルドスが短く頷く。


「結論は先ほどと変わらんよ。――灰色路地での対呪詛治療はギルド公認とする。監視役はバートン隊長に一任する」


「了解した」


 バートンが敬礼する。


「ゲッコー君、これでどうかね。君の“管理”の要請も、一部は叶えた形だ」


「……好きにしろ」


 ゲッコーは椅子を引き、舌打ちを残して部屋を出て行った。


「ただし覚えておけ、追放者。英雄気取りが過ぎれば、その首輪は締まるぞ」


 扉が乱暴に閉まる。



 会議室を出ると、そのまま路地の面々に囲まれた。


「アレンさん、本当に大丈夫なの?」


「変なこと言われてなかったか?」


「大丈夫です。“公認”になりましたから。ここでやるのは、正式な仕事です」


「こ、公式の……聖人様……!」


「だから、その呼び方はそろそろ……」


 苦笑する俺の横に、バートンが並ぶ。


「……助かったのは、こちらだ」


「俺がですか?」


「街が、だ」


 短く言い、わずかに口元を緩める。


『外部評価:バートン/信頼度 上昇』

『補足:保護意識 強化』


(相変わらず実況が早い)


 エルザが近づいてくる。


「アレン。君の“非効率”は、もはやこの街にとって触れてはならない防壁だ。連中も簡単には潰せない」


「そうなってくれると助かります」


「無茶はするな。それだけだ」


 彼女なりの信頼の形だ。


「ミリー」


 振り向くと、ミリーが胸に手を当てていた。


「あの……これからも、一緒に診療所を続けていいんですか?」


「もちろん。正式に、頼りにしてる」


 顔を真っ赤にしてこくこく頷くミリー。

 周りの視線がにやにやしているのは見なかったことにする。



 夕刻。仮設診療所――いや、「ギルド公認対呪詛窓口」の準備をしながらログを開く。


『更新:灰色路地受信機 無力化率 81%(深層呪詛含む)』

『観測:教団側ネットワーク 負荷上昇→一時的沈静化』

『注記:継続的“非効率行動”=広域呪詛防壁として機能中』


「……上出来だな」


 小さく呟いたその瞬間。


『警告:外部術式起動兆候検知』

『発信源:星喰教団系統』

『目的:残存受信機 強制起動試行』


(来たか)


 胸の奥が冷たくなる。


『現在:灰色路地内 深層“根”保持者 十数名』

『予測:起動成功時、局所暴走発生』


(バートンさんたちに――)


 そう考えた矢先。


「いやああああっ!」


 路地の奥から、甲高い悲鳴。


「アレンさん!」


 少年が泣き顔で飛び込んでくる。


「さっきお薬飲んでたおじさんたちが……目が赤くなって、暴れて……!」


 同時に、獣じみた唸り声と怒号が奥から響いた。

 胸の中で【アイテムボックス】が赤く点滅する。


『緊急提案:広域吸収モード起動推奨』


「バートンさん!」


 俺は外へ飛び出しながら叫ぶ。


「騎士団は住民保護と隔離を! 暴れてる人は殺さないでください、抑えるだけ!」


「全隊、路地奥へ展開! 非戦闘員を下げろ!」


 バートンの怒号が響き、鎧の音が連なる。


 視線の先に、赤く爛々と光る瞳。

 黒い血を垂らし、指先が鉤爪のように歪み始めている男たち。


 教団の、“起動試験”。


(ふざけるな)


 息を吸い込み、胸の奥へ命じる。


「――喰らい尽くせ」


 非効率だと笑われた日々。

 それが今、ここを守る“防壁”だと証明してみせる。


 歪んだ呪詛の奔流が、俺を中心に渦を巻き始めた。

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