第36話 故郷という名の呪縛

抜けきらない呪詛だけ、別にしておいた。


 灰色の路地で「根」を感じた重症者たちから採取した微量の血液と、俺の【アイテムボックス】が抽出した黒い砂のような残滓。

 小瓶に分けて封蝋を施し、その一本を握りしめて、ギルド併設の鑑定室の扉を叩く。


「入れ」


 低い声。

 扉を開けると、本と魔術器具の山の向こうでバルガスが顕微水晶を覗き、その隣でドルガンが腕を組んで石を睨んでいた。


「来たか、小僧」


「待っていたよ、アレン君。例の“根”のサンプルだね?」


「はい」


 テーブルに小瓶を置き、封を切る。


 黒い砂は、偽ポーションで見慣れた夢見の銀晶粉とは違っていた。

 鈍く光り、糸のように細く絡み合い、じわじわと「どこか」へ伸びようとする感触を放っている。


『対象:深層呪詛残滓』

『構成:夢見の銀晶+黒鉄砂+不明タグ』

『挙動:外部座標への接続志向を保持』


「……普通の汚染じゃねぇな」


 ドルガンが身を乗り出す。


「匂いを嗅がせろ」


「どうぞ」


 指先で微量を摘み、ためらいなく舌に乗せたかと思うと、即座に顔をしかめて吐き出した。


「おほっ……クソまずい。悪趣味にも程があるわ」


「味見から入るのやめません?」


「馬鹿言え。石は口で識るのが一番早いんじゃ」


 口をすすぎながら、ドルガンの目つきが真剣になる。


「夢見の銀晶のクセと、黒鉄砂のざらつきは確かにある。じゃが、こいつは“それだけ”じゃない」


「分かるのかい?」


 バルガスが身を乗り出す。


「ああ。こいつぁ“覚えて”おる。どこから来て、どこへ戻ろうとしておるかをな」


 ドルガンは黒砂の小瓶を揺らし、じろりと俺を見る。


「小僧。お主のボックス、こいつの“行き先”が視えんじゃろうな?」


「……見えます」


 誤魔化しても無駄だ。


「トレス村です。さっき、患者の中の“根”を追ったら、そのままトレス村の座標タグに繋がってました」


 バルガスの目が鋭く光る。


「やはりか」


「“やはり”?」


 問い返すと、彼は別の水晶板を示した。

 中に浮かぶ光点と線が、蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


「君が持ち込んだ呪詛核の断片、グレンデル鉱山で採取した黒鉄砂、そして今の“根”のサンプル。その反応を比較していた」


 幾つかの光点を指でなぞり、一つの位置を示す。


「通常の汚染なら、パターンは個別にばらつく。しかし、“根”を持つサンプルは、全て同じ一点――ここに収束する」


 そこに浮かぶラベルは、見慣れた名だった。


「……“実験区画:トレス村”」


「そうだ」


 バルガスが頷く。


「この“根”は呪詛核そのものではない。“トレス村を中継して”命令を送り込むための、遠隔アンテナだ」


「アンテナ……」


 喉の奥で反芻する。


『挙動再解析:深層呪詛=中継型ネットワーク構造/座標タグ「トレス村」と高同期』


「さらに厄介なのは、これだ」


 バルガスは別の図を展開する。

 “根”の付着部に寄り添う奇妙な波形。


「トレス村産の黒鉄砂サンプルを近づけると、“根”の反応が顕著に強くなる。逆に、他地域の黒鉄砂やただの鉄砂では、ここまでの増幅は見られない」


「つまり?」


「“トレス村”という座標と成分が、呪詛の共鳴条件に組み込まれている」


 淡々と告げる声が、かえって冷たい。


「……それだけじゃないのう」


 ドルガンが口を挟む。


「この波形――“感情”を食っておる」


 バルガスが頷き、水晶に注釈を浮かべる。


『感情タグ検出:「帰郷」「望郷」「贖罪」「救済」』


「深層“根”の癒着は、宿主の特定の感情と相関している。特に、“故郷に対する強い想い”を持つ者ほど深く食い込んでいる傾向がある」


「……どういう意味ですか」


「簡単に言えば、“トレス村を忘れられない心”ほど、呪詛が喰いやすい」


 ドルガンが吐き捨てる。


「黒鉄砂と銀晶だけじゃ飽き足らんで、人の“未練”まで燃料にしとる外道術式じゃ」


(未練を、燃料に)


 胸の奥がきしむ。


『補足解析:深層呪詛=座標タグ+感情タグを鍵とした起動待機構造』


「……ふざけるなよ」


 声が低く漏れた。


「ふざけてなんぞおらん。極めて理に適っとる」


 ドルガンは机を指で叩く。


「トレス村で仕込み、そこに生きる者、出て行った者、その周辺の者。皆に“故郷”という鎖を括りつけ、黒鉄砂と未練で縛っておく。好きな時に引き金を引くためにな」


「“起動待機”って、そういうことか」


 鉱山の最奥で聞いたガルドの声が蘇る。


『トレス村の実験は、次段階に入る』


「トレス村の核を起動させれば、この灰色の路地の根も、王都側の実験区画も、まとめて“目覚める”。逆に言えば――」


「トレス村を潰さない限り、この街も安全じゃない」


 自分で言って、自分で飲み込む。


 もはや、トレス村はただの思い出の場所じゃない。

 呪詛ネットワーク全体を束ねる「ハブ」だ。


「君の故郷は、“感傷の場所”ではない」


 バルガスが静かに告げる。


「フロンティア、ひいては王都にも繋がる危険な中枢だ。そこを解放しない限り、灰色の路地をどれだけ浄化しても意味がない」


「分かっています」


 本当に、それしか返せなかった。


(知りたくなかったけど、分かってる)


「一応聞いとくぞ、小僧」


 ドルガンが目を細くする。


「それでもまだ、“一人で飛び込む”気はないか?」


「ないです」


 即答した。


「一人で行ったら、向こうの筋書き通りですよ。“ほらやっぱり危険だ、管理しろ”って公爵家にも教団にも言い訳を渡すだけです」


「なら良い」


 ドルガンは鼻を鳴らす。


「わしは石を見る。バルガスは術式を見る。お主は“根”を抜け。その三つが揃わにゃ、この盤はひっくり返せん」


「協力するよ、アレン君」


 バルガスも頷く。


「トレス村を解放することが、この街を守ることにもなる。研究者としても、見過ごせない」


『外部評価:ドルガン/協力』

『外部評価:バルガス/協力』


(……ありがとうございます)


 声には出さず、深く頭を下げた。



 鑑定室を出ると、廊下の柱にもたれて腕を組む影があった。


「話は聞いていた」


 エルザだ。


「盗み聞きは感心しませんね」


「扉が薄いのだ。このギルドは」


 さらっとギルドに八つ当たりしないでほしい。


 彼女は真剣な眼差しで、まっすぐこちらを見る。


「トレス村が呪詛ネットワークの中核だと分かった以上……君は、なおさら一人で行けない」


「分かってます」


「君が故郷を想うほど、その“根”は深く絡む。教団はそこを突いてくる」


 図星を刺され、言葉に詰まる。


 エルザは一歩近づき、声を落とした。


「忘れるな。君は“星喰いの器”ではない。アレン・クロフトだ。君自身の意思で選べ」


「……だから、選びます」


 視線をそらさずに答える。


「トレス村に行く時は、“救うため”に行く。教団や王都の都合じゃなく、俺の都合で」


「その時は、必ず私も行く」


 前にも聞いた言葉。だが今度は、そこに別の色が混じっていた。


「君が“故郷”に呑まれそうになったら、私は剣で叩いてでも止める」


「物騒ですね」


「約束だ」


 逃げ道を塞ぐような真摯さに、苦笑するしかない。


「分かりました。約束します。一人で勝手に行かない。行くときは、あなたたちを連れて行く」


 エルザはようやく、わずかに表情を緩めた。



 夕方の光が街を金色に染め始めた頃、俺は灰色の路地の仮設診療所に戻った。


「アレンさん、お帰りなさい!」


 すぐにミリーが駆け寄ってくる。


「ただいま。皆さんの様子は?」


「昨日よりずっと元気です。ただ……あの方たちだけは、時々“どこか”を見ているみたいで」


 彼女の視線の先には、例の「根」を持つ重症者たち。

 顔色は幾分マシになったが、瞳の奥にまだ黒い影が残っている。


(トレス村へと伸びる線。ここからでも、はっきり分かる)


「大丈夫です。時間はかかりますけど、ちゃんと切ります」


 穏やかに言うと、ミリーがふと真顔になった。


「おじいちゃんが言ってました。“アレンさんは、ここだけじゃなく、もっと遠くを見ている目だ”って」


「そんな大したもんじゃないですよ」


「でも……一人で、すごく重いものを抱えてるように見えます」


 まっすぐな眼。


「だから、お願いします。一人でどこかへ行かないでください。行くときは、ちゃんと言ってください。アレンさんに、勝手にいなくなってほしくないです」


 不意打ちだった。


 リリアと交わした「必ず迎えに行く」という約束。

 別の場所で、「行くなら教えて」と縋る声。


(故郷と今の居場所、その間に、また“根”が増える)


「分かりました」


 自分でも驚くほど素直に口が動いた。


「約束します」


 ミリーの顔がぱっと明るくなる。


『外部評価:ミリー/信頼 強化』

『補足:対象との感情的リンク微増/呪詛ネットワークとは無関係』


(余計な実況すんな)


 心の中でボックスにツッコんだ、その時。


 胸の奥がぴくりと脈動した。


『観測ログ更新:座標タグ「トレス村」』

『状態:起動待機 継続/新規変動検知』


(……またか)


 人目のない路地の隅へ移動し、意識を内側へ沈める。


『詳細表示』


 立体の簡略地図が広がる。


 トレス村。

 中央の古い井戸。

 周囲を取り巻く黒鉄砂の陣。

そこから伸びる幾筋もの黒い線。


 一つは、この灰色の路地へ。

 一つは、王都方面へ。

 そしてもう一つは――薄く、古い巡礼路の方角へ。


『新規接続:巡礼路・古教会系統と思しき微弱線を検出』

『一部波形:呪詛と逆位相干渉=浄化系石紋と一致』


(さっきの浄化石……“灰の星”の線か)


 さらに、地図の一点が赤く点滅する。


 村外れ。あの大きな木のそば。


『新規タグ検出:鍵候補/識別名――リリア』

『感情波形:恐怖/抵抗/希望』

『評価:呪詛装置の中核に拘束されるも、自我を保持』


 息が詰まる。


(まだ、戦ってる)


 今すぐ走り出したい衝動が喉までせり上がる。


『提案:即時単独突入=危険度 極大/敵誘導意図 濃厚』


(分かってる)


 拳を握り、冷たい壁に額を押し付ける。


(分かってるけど、待てるかよ)


 その時、ログの端に細い一行が刻まれた。


『――“故郷”が鎖となる。お前はそれを、斬る側か、繋ぐ側か』


 灰色のローブの少年――“灰の星”。


「うるさい」


 思わず口にする。


「俺は、故郷を鎖にした連中を斬る側だ。トレス村も、リリアも、“呪縛”なんかじゃない」


 短い沈黙。


『ならば共有しよう。トレス村“鍵”の侵蝕度』


 視界が引きずられる。


 古い井戸。

 鎖で縛られたリリア。

 涙を落としながら、井戸の底から噴き上がる黒い光を必死に押し返している。

 その涙が呪詛核に触れ、術式がうねる。だが、彼女の瞳はまだ折れていない。


 その少し離れた闇に、灰色のローブの短髪の少年が立つ。

 村外れの紋様石碑で見た影と同じ後ろ姿。


『第三の星喰い:干渉継続』

『注記:当該存在は呪詛起動を抑制する行動を複数回確認/敵味方判定 保留』


(お前は、どっちなんだ)


 問いかける前に、映像が断ち切られる。


『更新:トレス村解放条件』

『① 黒鉄砂・呪詛核による“教団の鍵”の破壊』

『② 対象“リリア”の救出および“鍵”機能からの解放』

『③ 第三の星喰い(灰の星)との関係確定』


(どれか一つでも落とせば、トレス村ごと全部、起動する)


 冷たい汗が背を伝う。


 それでも、やるしかない。


(トレス村を解放する。それはもう、俺個人のわがままじゃない)


 リリアとの約束。

 フロンティアを呪詛ネットワークから切り離す責任。

 全部が重なり、同じ一点を指した。


「行きます」


 小さく、だが確かな声で呟く。


「トレス村へ。終わらせるために」


 その瞬間、街のどこかで、低く重い鐘の音が響き始めた。


 ギルドからの緊急招集を告げる鐘。


 盤上の向こう側が、新しい一手を打ってきた。

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