第20話 黒札の解析と、伝説の爺さん
フロンティアの東門をくぐった瞬間、生暖かい夜の空気と、遠くの酒場の喧騒が胸に流れ込んだ。
ほんの数時間前までいた、あの腐った森とはまるで別世界だ。
思わず深く息を吐くと、隣を歩くシルフィが、まだ黒く沈む森の方を振り返る。
「リナたちは……大丈夫でしょうか……」
「今はな」
前を行くエルザさんが、振り返らずに答えた。
「だが、根本を断たねば時間の問題だ。急ぐぞ。まずはギルドマスターへの報告だ」
「はい……!」
シルフィの翡翠の瞳に、涙はもうない。その代わりに、はっきりとした闘志が宿っていた。
俺たち四人は、夜の活気が戻りつつある大通りを抜け、真っ直ぐ冒険者ギルドへ向かった。
◇
ギルドの会議室。
丸い机を挟んで座るのは、ギルドマスター、エルザさん、シルフィ、カイ、そして俺。
机の中央には、俺が【収納解除】した二つが並んでいる。
蝕まれし森で拾った「黒鉄砂混じりの残滓」と、「呪詛核の欠片」。
「——以上が、今回の調査で確認できた事実です」
エルザさんの硬質な声が、静かな室内に響いた。
石化したエルフたちと、その暴走を俺が抑え込んだ経緯。呪詛核が広域呪いと精神干渉の中枢になっていること。俺の【アイテムボックス】が呪いを“部分的に”吸収・浄化できる一方で、暴走の危険も孕んでいること。
報告は、どこまでも客観的で正確だ。
「そしてこの残滓だな」
エルザさんが黒い石ころを指す。
「アレンのスキルによると、“トレス村の黒鉄砂”が成分に含まれていると」
「ほう……トレス村」
白髭のギルドマスターは組んだ指の上に顎を乗せ、興味深そうに目を細める。
「奇妙な符合だね、アレン君。君を追放した村の砂が、遠く離れたエルフの森で呪いの材料になっているとは」
「偶然だとは思えません」
俺はきっぱりと言った。
「何か、意図的な繋がりがあるはずです」
「だろうな」
マスターは短く頷き、視線を俺の胸元……【アイテムボックス】へ移す。
「それにしても、君の力はもはや“便利な荷物持ち”などという可愛いものではない。呪いを喰らい、その成分まで看破するか」
声は穏やかだが、その裏に「把握し、管理すべきだ」という意志がはっきり滲んでいる。
(やっぱり、そこに行き着きますよね)
「街の安全のためにも、その力の全容を——」
「マスター」
そこでエルザさんが静かに口を挟んだ。
「細部は時期尚早です。今重要なのは、この呪いと“鉱石”の関係を解くこと。専門家の目が必要です」
「専門家、か。バルガスは当然として……他に心当たりが?」
マスターが問うと、壁にもたれていたカイがニヤリと笑う。
「いるじゃねぇか。一番うるさくて頼りになる爺さんがよ」
「……槌音のドルガンに声をかけるしかあるまい」
エルザさんも渋い顔で同意した。
マスターの眉がぴくりと跳ねる。
「伝説の老ドワーフか。十年前に現役を引退して、今は街外れで隠居中だったはずだが……」
「鉱石が絡む異常なら、あの爺さん以上の目はない」
エルザさんが黒い欠片を見据える。
「呪詛核が鉱物ベースの“器”なら、なおさらだ」
「紹介状なしじゃ門前払いだろうけどな」
カイが肩をすくめる。
「本物の“謎”を鼻先にぶら下げりゃ、話くらいは聞くさ」
「よろしい」
マスターは楽しげに笑った。
「では、この二つの試料はバルガスとドルガン殿に共同解析を依頼しよう。窓口は——」
「俺ですね」
自然と口から出ていた。
「俺のスキル抜きでは話が進みませんし、元の呪いにも触れてますから」
「護衛と監視は私がする」
エルザさんも即答する。
「決まりだな」
マスターが頷いた、その時。
「……もう一つ、報告があります」
喉がひりつく。
隠したままなのは逆に危ない。そう判断して、俺は手をかざした。
「収納解除」
ぽん、と音を立てて、薄い黒布の札が机の上に現れる。
歪んだ星と器の紋章。その下に細い文字。
『星喰いの器へ――“真の器”を求む同胞より』
空気が、一瞬で冷えた。
「……アレン」
エルザさんの声が低くなる。
「なぜこれをすぐに出さなかった」
「“俺宛て”だったので、とりあえずボックスで隔離して安全確認をしてから、と思って」
「だからこそ最優先だろう!」
机が鳴る勢いで立ち上がられ、思わず背筋が伸びる。
「すみません」
「落ち着け、エルザ君」
マスターが黒札をつまみ上げ、しげしげと眺めた。
「“星喰いの器へ”。我らが“器”殿も、ずいぶんと人気者だね」
「最悪のファンレターですよ」
「同感だ」
軽口を挟みながらも、マスターの瞳は笑っていない。
「バルガス」
すぐさま鑑定士が呼ばれ、黒札に魔術具を翳す。
「ふむ……ただの紙じゃねぇな。呪糸を織り込んで、術式を畳んでやがる」
「発動型の罠か?」
エルザさんが問うと、バルガスは首を横に振る。
「今んとこは違ぇ。“読んだら呪われる”類じゃねぇ。どっちかってと、こいつは“目印”だな」
「目印?」
聞き返すと、胸の奥で【アイテムボックス】が、ずっと準備していたかのように静かに囁いた。
『術式解析:完了』
『対象名称:星喰の標』
『機能1:簡易通信(発信源→標)』
『機能2:位置情報発信(標→発信源/常時・微弱)』
(……は?)
思わず黒札を睨む。
(位置情報発信って、それ、完全に発信機じゃないですか)
「何か分かったか、アレン」
エルザさんの鋭い視線。
「俺のスキルだと、“星喰の標”って名前で出てます。向こうからの通信みたいな機能と……“これを持ってる場所を常時知らせる”印です」
「は?」
カイが瞬きし、バルガスが舌打ちした。
「ちっ……細工してやがるか。確かに微弱な追跡式が……気付かねぇレベルまで絞ってるな」
「つまり」
マスターが黒札を指先で弾き、低く言う。
「これを持つことで、“星喰いの器”の居場所を、送り主に教えてしまうわけだ」
「そういうことになります」
胃のあたりが冷たくなる。
森で拾ってボックスに放り込んだ瞬間から、俺の位置は、ずっと“誰か”に筒抜けだった可能性。
がらんとした借家の窓の外に、無数の冷たい目があったような錯覚が、遅れてゾッと背筋を撫でる。
「この札はすぐに無力化しろ。位置情報が漏れ続けるのは論外だ」
エルザさんの言葉に、バルガスが頷く。
「追跡式だけなら潰せる。だが完全に切ると向こうに『断線した』って気づかれるな」
「なら、“ノイズ”を流せ」
マスターがさらりと言った。
「本物の位置から、少しだけずらした偽の信号を返す。可能かね?」
「やってやらぁよ」
バルガスの目が楽しげに光る。
「こっちから逆探知できりゃ儲けもんだ」
「頼もしい」
マスターが満足げに笑い、札をバルガスへ渡す。
「紋様は?」
カイが黒札を指でなぞる真似をする。
「この歪んだ星と器。見覚え、あるよな」
「以前解析した“呪晶ゴーレム”の内側に刻まれてた印と似ている」
バルガスが即答した。
「パターンもほぼ同じ。“星喰教団”系列で間違いねぇ」
「やはりか」
エルザさんの顔がさらに険しくなる。
マスターは、ニヤリとしながらも冷たい目で俺を見た。
「して、アレン君。このお誘いにどう応じる?」
「お断りします」
一拍の迷いもなく言った。
「俺の力は、俺が守りたいもののために使います。“真の器”とやらになる気はゼロです」
「聞いたか、エルザ君。教科書に載せたいほど模範的な回答だ」
「口先だけなら誰でも言える」
「辛辣ですね」
「当然だ」
だけど、その「当然」の奥に、ほんの少しだけ安心の色が混じっているように見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
「まとめよう」
マスターが指を鳴らす。
「一つ。蝕まれし森の呪いは人為的であり、“黒鉄砂”と未知の黒晶を核に術式が組まれている」
「二つ。“星喰教団”と思しき連中が、“星喰いの器”を名乗ってアレン君に接触を試みている」
「三つ。その線は、トレス村とも繋がりかけている」
視線が重くのしかかる。
「星喰教団……」
低く呟いたエルザさんが説明する。
「旧王朝末期に記録される異端宗派だ。“星を喰らう器”を神格化し、呪術と生贄で顕現を試みた狂信者たち。壊滅したと伝わっていたが、残党か模倣者がいるとすれば——」
「ろくなもんじゃねぇな」
カイが鼻を鳴らす。
「で、そいつらが“実験区画”とか言ってトレス村みてぇな辺境を弄くり回してたとしたら……」
「現時点では推測だ」
エルザさんが切る。
「だが、その可能性を視野に入れ、動く必要はある」
「だからこそ、解析が急務だ」
マスターは頷き、バルガスを見る。
「呪詛核と黒砂、黒札。すべてまとめて頼む」
「やりがいあるぜ。何が出てくるか楽しみだ」
◇
「アレンさん」
席を立ちかけたところで、シルフィがこちらに向き直った。
「本当に……ありがとうございましたわ。リナたちを砕けずに保ってくださって……呪いの手がかりまで」
「まだ半端です。ちゃんと終わらせますから」
「それでも、あなたが来てくださらなければ何も始まりませんでした」
シルフィは一歩近づき、ぎゅっと両手を握る。
「どうか、これからもお気をつけてください。あなたが倒れたら……困りますもの」
「……はい。気をつけます」
真っ直ぐな眼差しに、少しくすぐったさを覚える。
横からカイが肘でつついてきた。
「モテるねぇ、旦那」
「やめてください」
「エルザの姐さんも、ちょっとだけ顔が柔らかかったぞ?」
「無駄口を叩くな、情報屋」
エルザさんの冷たい視線が飛ぶ。
でも、その先に刃は伸びてこなかった。
「アレン。今日は帰って休め。明日、バルガスと“槌音のドルガン”のもとへ行く。その際も同行する」
「了解です」
「君はまだ監視対象だ。自覚しておけ」
「肝に銘じておきます」
◇
ギルドを出て、街外れの借家までの道を歩く。
さっきまでの緊張がほどけて、どっと疲れが押し寄せる。
胸の奥で【アイテムボックス】が、静かに脈打った。
『新規タグ:“星喰教団”/“呪詛ネットワーク”』
『関連候補:蝕まれし森・黒鉄砂・トレス村……紐付け中』
「勝手に整理してくれてありがとう。でも、主導権は渡しませんよ」
小声で告げると、「コトン」と肯定するような感覚が返ってきた。
家に着き、軋む扉を閉める。
硬いベッドと小さな机だけの簡素な部屋。
そこに腰を下ろした途端、全身から力が抜けた。
「……はぁ」
呪いを吸った影響がまだ残っているのか、内臓のあたりが少し冷たい。
けれど、やるべきことがある。
「収納解除」
掌の上に、さきほどの呪詛核の小さな欠片を一つだけ出す。
「さっきバルガスに渡した分とは別。内部コピーみたいなもんだ」
念のため、自分でもう一度【アイテムボックス】に解析を促す。
『解析進行度:上限突破』
『隠匿刻印の一部露出を確認』
「隠匿刻印?」
『表示しますか?』
「お願いします」
視界の隅に、細い文字列と紋章が浮かび上がる。
歪んだ星と器の紋。その下に刻まれた、小さな文字列。
それは——見慣れた地名だった。
『——実験区画:トレス村』
「……は?」
息が詰まる。
喉が、ひゅっといやな音を立てた。
(実験区画って……ふざけるなよ)
リリアが今もいる場所の名前が、蝕まれし森の呪詛核の内部に刻まれている。
つまり、森も、村も、同じ“実験”の線上にある。
『補足:刻印パターンは黒札および呪晶ゴーレムの紋様と類似』
教団。呪詛ネットワーク。星喰いの器。
全部、繋がっている。
拳を握る指先が白くなる。
(あいつら……俺の故郷を、“実験場”扱いしやがったのか)
怒りとも恐怖ともつかない感情が胸で渦を巻いた、その時。
窓の外を、黒い影がかすめた。
フード。人影。こちらを一瞬だけ伺い、そのまま闇に溶けていく。
「……今の」
立ち上がって窓に駆け寄るが、もう何も見えない。
足音もしない。ただ、さっきまでとは違う種類の“視線”の残り香だけ。
(“器”がちゃんとここにいるか、確認しに来たか)
星喰教団か、その手先か、それとも別の思惑か。
どちらにせよ、もう俺を放っておく気はないらしい。
胸の奥で【アイテムボックス】が、静かに脈打つ。
『危険度評価:更新』
『推奨:速やかな情報収集および対抗戦力の整備』
「言われなくても、そのつもりです」
一人と一つ分の畑。
そしてリリアとの約束。
あの日、ささやかな未来を夢見ただけの俺たちの場所に、「実験区画」なんて刻印を勝手に刻んだ連中を、絶対に許さない。
「上等だよ……」
誰にともなく呟く。
「“真の器”だの“実験”だの、全部まとめてひっくり返してやる」
そのためにはまず、明日。
呪いと鉱石を知り尽くした“伝説のドワーフ”から、全部聞き出す。
静かな夜の家で、拳を固く握ったまま、俺は次の一手を心に描いた。
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