第20話 黒札の解析と、伝説の爺さん

フロンティアの東門をくぐった瞬間、生暖かい夜の空気と、遠くの酒場の喧騒が胸に流れ込んだ。


 ほんの数時間前までいた、あの腐った森とはまるで別世界だ。


 思わず深く息を吐くと、隣を歩くシルフィが、まだ黒く沈む森の方を振り返る。


「リナたちは……大丈夫でしょうか……」


「今はな」


 前を行くエルザさんが、振り返らずに答えた。


「だが、根本を断たねば時間の問題だ。急ぐぞ。まずはギルドマスターへの報告だ」


「はい……!」


 シルフィの翡翠の瞳に、涙はもうない。その代わりに、はっきりとした闘志が宿っていた。


 俺たち四人は、夜の活気が戻りつつある大通りを抜け、真っ直ぐ冒険者ギルドへ向かった。



 ギルドの会議室。


 丸い机を挟んで座るのは、ギルドマスター、エルザさん、シルフィ、カイ、そして俺。


 机の中央には、俺が【収納解除】した二つが並んでいる。


 蝕まれし森で拾った「黒鉄砂混じりの残滓」と、「呪詛核の欠片」。


「——以上が、今回の調査で確認できた事実です」


 エルザさんの硬質な声が、静かな室内に響いた。


 石化したエルフたちと、その暴走を俺が抑え込んだ経緯。呪詛核が広域呪いと精神干渉の中枢になっていること。俺の【アイテムボックス】が呪いを“部分的に”吸収・浄化できる一方で、暴走の危険も孕んでいること。


 報告は、どこまでも客観的で正確だ。


「そしてこの残滓だな」


 エルザさんが黒い石ころを指す。


「アレンのスキルによると、“トレス村の黒鉄砂”が成分に含まれていると」


「ほう……トレス村」


 白髭のギルドマスターは組んだ指の上に顎を乗せ、興味深そうに目を細める。


「奇妙な符合だね、アレン君。君を追放した村の砂が、遠く離れたエルフの森で呪いの材料になっているとは」


「偶然だとは思えません」


 俺はきっぱりと言った。


「何か、意図的な繋がりがあるはずです」


「だろうな」


 マスターは短く頷き、視線を俺の胸元……【アイテムボックス】へ移す。


「それにしても、君の力はもはや“便利な荷物持ち”などという可愛いものではない。呪いを喰らい、その成分まで看破するか」


 声は穏やかだが、その裏に「把握し、管理すべきだ」という意志がはっきり滲んでいる。


(やっぱり、そこに行き着きますよね)


「街の安全のためにも、その力の全容を——」


「マスター」


 そこでエルザさんが静かに口を挟んだ。


「細部は時期尚早です。今重要なのは、この呪いと“鉱石”の関係を解くこと。専門家の目が必要です」


「専門家、か。バルガスは当然として……他に心当たりが?」


 マスターが問うと、壁にもたれていたカイがニヤリと笑う。


「いるじゃねぇか。一番うるさくて頼りになる爺さんがよ」


「……槌音のドルガンに声をかけるしかあるまい」


 エルザさんも渋い顔で同意した。


 マスターの眉がぴくりと跳ねる。


「伝説の老ドワーフか。十年前に現役を引退して、今は街外れで隠居中だったはずだが……」


「鉱石が絡む異常なら、あの爺さん以上の目はない」


 エルザさんが黒い欠片を見据える。


「呪詛核が鉱物ベースの“器”なら、なおさらだ」


「紹介状なしじゃ門前払いだろうけどな」


 カイが肩をすくめる。


「本物の“謎”を鼻先にぶら下げりゃ、話くらいは聞くさ」


「よろしい」


 マスターは楽しげに笑った。


「では、この二つの試料はバルガスとドルガン殿に共同解析を依頼しよう。窓口は——」


「俺ですね」


 自然と口から出ていた。


「俺のスキル抜きでは話が進みませんし、元の呪いにも触れてますから」


「護衛と監視は私がする」


 エルザさんも即答する。


「決まりだな」


 マスターが頷いた、その時。


「……もう一つ、報告があります」


 喉がひりつく。


 隠したままなのは逆に危ない。そう判断して、俺は手をかざした。


「収納解除」


 ぽん、と音を立てて、薄い黒布の札が机の上に現れる。


 歪んだ星と器の紋章。その下に細い文字。


『星喰いの器へ――“真の器”を求む同胞より』


 空気が、一瞬で冷えた。


「……アレン」


 エルザさんの声が低くなる。


「なぜこれをすぐに出さなかった」


「“俺宛て”だったので、とりあえずボックスで隔離して安全確認をしてから、と思って」


「だからこそ最優先だろう!」


 机が鳴る勢いで立ち上がられ、思わず背筋が伸びる。


「すみません」


「落ち着け、エルザ君」


 マスターが黒札をつまみ上げ、しげしげと眺めた。


「“星喰いの器へ”。我らが“器”殿も、ずいぶんと人気者だね」


「最悪のファンレターですよ」


「同感だ」


 軽口を挟みながらも、マスターの瞳は笑っていない。


「バルガス」


 すぐさま鑑定士が呼ばれ、黒札に魔術具を翳す。


「ふむ……ただの紙じゃねぇな。呪糸を織り込んで、術式を畳んでやがる」


「発動型の罠か?」


 エルザさんが問うと、バルガスは首を横に振る。


「今んとこは違ぇ。“読んだら呪われる”類じゃねぇ。どっちかってと、こいつは“目印”だな」


「目印?」


 聞き返すと、胸の奥で【アイテムボックス】が、ずっと準備していたかのように静かに囁いた。


『術式解析:完了』

『対象名称:星喰の標』

『機能1:簡易通信(発信源→標)』

『機能2:位置情報発信(標→発信源/常時・微弱)』


(……は?)


 思わず黒札を睨む。


(位置情報発信って、それ、完全に発信機じゃないですか)


「何か分かったか、アレン」


 エルザさんの鋭い視線。


「俺のスキルだと、“星喰の標”って名前で出てます。向こうからの通信みたいな機能と……“これを持ってる場所を常時知らせる”印です」


「は?」


 カイが瞬きし、バルガスが舌打ちした。


「ちっ……細工してやがるか。確かに微弱な追跡式が……気付かねぇレベルまで絞ってるな」


「つまり」


 マスターが黒札を指先で弾き、低く言う。


「これを持つことで、“星喰いの器”の居場所を、送り主に教えてしまうわけだ」


「そういうことになります」


 胃のあたりが冷たくなる。


 森で拾ってボックスに放り込んだ瞬間から、俺の位置は、ずっと“誰か”に筒抜けだった可能性。


 がらんとした借家の窓の外に、無数の冷たい目があったような錯覚が、遅れてゾッと背筋を撫でる。


「この札はすぐに無力化しろ。位置情報が漏れ続けるのは論外だ」


 エルザさんの言葉に、バルガスが頷く。


「追跡式だけなら潰せる。だが完全に切ると向こうに『断線した』って気づかれるな」


「なら、“ノイズ”を流せ」


 マスターがさらりと言った。


「本物の位置から、少しだけずらした偽の信号を返す。可能かね?」


「やってやらぁよ」


 バルガスの目が楽しげに光る。


「こっちから逆探知できりゃ儲けもんだ」


「頼もしい」


 マスターが満足げに笑い、札をバルガスへ渡す。


「紋様は?」


 カイが黒札を指でなぞる真似をする。


「この歪んだ星と器。見覚え、あるよな」


「以前解析した“呪晶ゴーレム”の内側に刻まれてた印と似ている」


 バルガスが即答した。


「パターンもほぼ同じ。“星喰教団”系列で間違いねぇ」


「やはりか」


 エルザさんの顔がさらに険しくなる。


 マスターは、ニヤリとしながらも冷たい目で俺を見た。


「して、アレン君。このお誘いにどう応じる?」


「お断りします」


 一拍の迷いもなく言った。


「俺の力は、俺が守りたいもののために使います。“真の器”とやらになる気はゼロです」


「聞いたか、エルザ君。教科書に載せたいほど模範的な回答だ」


「口先だけなら誰でも言える」


「辛辣ですね」


「当然だ」


 だけど、その「当然」の奥に、ほんの少しだけ安心の色が混じっているように見えたのは、たぶん気のせいじゃない。


「まとめよう」


 マスターが指を鳴らす。


「一つ。蝕まれし森の呪いは人為的であり、“黒鉄砂”と未知の黒晶を核に術式が組まれている」


「二つ。“星喰教団”と思しき連中が、“星喰いの器”を名乗ってアレン君に接触を試みている」


「三つ。その線は、トレス村とも繋がりかけている」


 視線が重くのしかかる。


「星喰教団……」


 低く呟いたエルザさんが説明する。


「旧王朝末期に記録される異端宗派だ。“星を喰らう器”を神格化し、呪術と生贄で顕現を試みた狂信者たち。壊滅したと伝わっていたが、残党か模倣者がいるとすれば——」


「ろくなもんじゃねぇな」


 カイが鼻を鳴らす。


「で、そいつらが“実験区画”とか言ってトレス村みてぇな辺境を弄くり回してたとしたら……」


「現時点では推測だ」


 エルザさんが切る。


「だが、その可能性を視野に入れ、動く必要はある」


「だからこそ、解析が急務だ」


 マスターは頷き、バルガスを見る。


「呪詛核と黒砂、黒札。すべてまとめて頼む」


「やりがいあるぜ。何が出てくるか楽しみだ」



「アレンさん」


 席を立ちかけたところで、シルフィがこちらに向き直った。


「本当に……ありがとうございましたわ。リナたちを砕けずに保ってくださって……呪いの手がかりまで」


「まだ半端です。ちゃんと終わらせますから」


「それでも、あなたが来てくださらなければ何も始まりませんでした」


 シルフィは一歩近づき、ぎゅっと両手を握る。


「どうか、これからもお気をつけてください。あなたが倒れたら……困りますもの」


「……はい。気をつけます」


 真っ直ぐな眼差しに、少しくすぐったさを覚える。


 横からカイが肘でつついてきた。


「モテるねぇ、旦那」


「やめてください」


「エルザの姐さんも、ちょっとだけ顔が柔らかかったぞ?」


「無駄口を叩くな、情報屋」


 エルザさんの冷たい視線が飛ぶ。


 でも、その先に刃は伸びてこなかった。


「アレン。今日は帰って休め。明日、バルガスと“槌音のドルガン”のもとへ行く。その際も同行する」


「了解です」


「君はまだ監視対象だ。自覚しておけ」


「肝に銘じておきます」



 ギルドを出て、街外れの借家までの道を歩く。


 さっきまでの緊張がほどけて、どっと疲れが押し寄せる。


胸の奥で【アイテムボックス】が、静かに脈打った。


『新規タグ:“星喰教団”/“呪詛ネットワーク”』

『関連候補:蝕まれし森・黒鉄砂・トレス村……紐付け中』


「勝手に整理してくれてありがとう。でも、主導権は渡しませんよ」


 小声で告げると、「コトン」と肯定するような感覚が返ってきた。


 家に着き、軋む扉を閉める。


 硬いベッドと小さな机だけの簡素な部屋。


 そこに腰を下ろした途端、全身から力が抜けた。


「……はぁ」


 呪いを吸った影響がまだ残っているのか、内臓のあたりが少し冷たい。


 けれど、やるべきことがある。


「収納解除」


 掌の上に、さきほどの呪詛核の小さな欠片を一つだけ出す。


「さっきバルガスに渡した分とは別。内部コピーみたいなもんだ」


 念のため、自分でもう一度【アイテムボックス】に解析を促す。


『解析進行度:上限突破』

『隠匿刻印の一部露出を確認』


「隠匿刻印?」


『表示しますか?』


「お願いします」


 視界の隅に、細い文字列と紋章が浮かび上がる。


 歪んだ星と器の紋。その下に刻まれた、小さな文字列。


 それは——見慣れた地名だった。


『——実験区画:トレス村』


「……は?」


 息が詰まる。


 喉が、ひゅっといやな音を立てた。


(実験区画って……ふざけるなよ)


 リリアが今もいる場所の名前が、蝕まれし森の呪詛核の内部に刻まれている。


 つまり、森も、村も、同じ“実験”の線上にある。


『補足:刻印パターンは黒札および呪晶ゴーレムの紋様と類似』


 教団。呪詛ネットワーク。星喰いの器。


 全部、繋がっている。


 拳を握る指先が白くなる。


(あいつら……俺の故郷を、“実験場”扱いしやがったのか)


 怒りとも恐怖ともつかない感情が胸で渦を巻いた、その時。


 窓の外を、黒い影がかすめた。


 フード。人影。こちらを一瞬だけ伺い、そのまま闇に溶けていく。


「……今の」


 立ち上がって窓に駆け寄るが、もう何も見えない。


 足音もしない。ただ、さっきまでとは違う種類の“視線”の残り香だけ。


(“器”がちゃんとここにいるか、確認しに来たか)


 星喰教団か、その手先か、それとも別の思惑か。


 どちらにせよ、もう俺を放っておく気はないらしい。


 胸の奥で【アイテムボックス】が、静かに脈打つ。


『危険度評価:更新』

『推奨:速やかな情報収集および対抗戦力の整備』


「言われなくても、そのつもりです」


 一人と一つ分の畑。


 そしてリリアとの約束。


 あの日、ささやかな未来を夢見ただけの俺たちの場所に、「実験区画」なんて刻印を勝手に刻んだ連中を、絶対に許さない。


「上等だよ……」


 誰にともなく呟く。


「“真の器”だの“実験”だの、全部まとめてひっくり返してやる」


 そのためにはまず、明日。


 呪いと鉱石を知り尽くした“伝説のドワーフ”から、全部聞き出す。


 静かな夜の家で、拳を固く握ったまま、俺は次の一手を心に描いた。

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