第10話 ギルドとの仮契約と、値踏みの視線

「ようこそ、フロンティアへ。星を喰らう器の持ち主君」


 ギルドマスターの言葉が、鑑定室の静寂に重く響いた。


 目の前には、金貨が五枚。


 一枚で庶民が数ヶ月は暮らせるという、とんでもない大金だ。それが五枚。村にいた頃の俺なら、一生触れることすらなかっただろう輝き。


(ご、金貨五枚……)


 鑑定室の机の上で、鈍い光を放つ円盤。


 これが、あのポーション一本の価値。月光草と、村長が投げつけた干し芋から生まれた、たった一滴の希望の値段。


 頭がくらっとする。


 でも、それ以上に、ギルドマスターの目が俺の奥底まで見透かそうとしているのが分かった。


「して、どうかな、アレン君。我々と専属契約を結ぶ気にはなったかね?」


 穏やかな問いかけ。だが、これは選択を迫る最後の通告だ。


 断れば、俺は「野良の危険物」として、この街の厄介者になる。いつどこで誰に価値を嗅ぎつけられて、食い物にされるか分からない。


 受け入れれば、ギルドという巨大な組織の庇護……という名の監視下に置かれる。


(どっちもどっちじゃないですか……)


 内心で悪態をつく。


 でも、選ぶしかない。


 俺の目的は、英雄になることじゃない。大金持ちになることでもない。


(リリアを迎えに行く。誰にも脅かされない静かな場所で、二人で畑を耕して暮らす)


 そのために必要なのは、名声じゃない。安定した生活基盤だ。


「……お話は、お受けします」


 覚悟を決めて、俺は顔を上げた。


「ただし、いくつか条件があります」


「ほう。聞こうじゃないか」


 ギルドマスターは面白そうに頷く。隣のバルガスさんは「小僧が、ちょこざいな」とでも言いたげに腕を組んでいた。


「まず一つ。俺のスキルについての詳細は、ギルド内でも秘匿してください。自動錬成のことも、価値で成長することも、誰にも漏らさないでほしい」


「それはもちろん約束しよう。君の安全は我々の利益でもあるからね」


「二つ目。俺の行動を過度に制限しないでください。ギルドからの依頼を優先しますが、それ以外の時間は自由にさせてほしい」


「ふむ。それもいいだろう。君を鳥籠に入れて腐らせるつもりはない」


 ギルドマスターは淀みなく答える。


(ここまでは、想定内って顔ですね)


 問題は、ここからだ。


「そして三つ目。これが一番大事な条件です」


 俺は机の上の金貨には目もくれず、真っ直ぐにギルドマスターを見た。


「契約の前金として、金貨は要りません」


「……なに?」


 初めて、ギルドマスターの眉がぴくりと動いた。バルガスさんも、わずかに目を見開いている。


「金貨五枚だぞ、小僧。これがあれば、いい宿に泊まって、いい武具を揃えて、しばらくは遊んで暮らせる額だ」


「必要ありません」


 俺はきっぱりと断言した。


「その代わりにお願いしたいものがあります。まず、この街の外れでいいので、小さな家と、畑にできるくらいの土地を斡旋してください」


「……家と、畑?」


 ギルドマスターの声に、困惑の色が浮かぶ。


「ああ、なるほど。冒険者稼業の傍ら、自分の拠点を持つのは堅実でいい考えだ。斡旋しよう。だが、それだけでは金貨五枚には到底見合わんぞ?」


「まだあります」


 俺は続ける。


「最高の鋼で作られた農具を一式。鍬(くわ)、鋤(すき)、鎌、それから丈夫な手押し車もお願いします。それと……」


 一度、言葉を区切る。


「この辺りの気候でも育つ、珍しくて価値のある作物の種。薬草でも、果物でも、穀物でも構いません。手に入る限りの種類を、できるだけ多く」


 しん、と鑑定室が静まり返った。


 ギルドマスターも、バルガスさんも、唖然として俺を見ている。


 受付嬢さんだけが、ぽかんと口を半開きにしていた。


 やがて、バルガスさんが我慢しきれないといったように、ぶはっと吹き出した。


「くくく……はっはっは! 家と畑と農具と種! 小僧、お前、本気で言っとるのか!」


「本気ですけど、何かおかしいですか?」


「おかしいに決まっとるわ! 王宮級のポーションを作っておきながら、お前が欲しがるのは土と百姓道具か! 欲がねぇにも程があるだろうが!」


 腹を抱えて笑うバルガスさんとは対照的に、ギルドマスターの目はすうっと細められていた。


 値踏みする目。さっきまでの警戒とは違う、もっと冷たい光。


(あ、これは……)


 俺は内心でごくりと喉を鳴らした。


(『こいつは、この程度の器か』って思われましたね……)


 ギルドマスターは、俺という存在の価値を測りかねていた。規格外のポーションを生み出す錬金術の天才か、あるいは何か巨大な組織の手先か。


 だが、俺が口にしたのは、あまりにもスケールの小さい、農民の夢だった。


 金貨より、農具。


 名声より、種。


 彼の頭の中では、俺の評価が「得体の知れない脅威」から「運良く宝くじに当たっただけの、器の小さい小物」へと変わったのだろう。


 それでいい。その方が都合がいい。


 ギルドマスターは、わざとらしく一つ咳払いをすると、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「……いや、失礼。君の堅実さには感心したよ。よろしい。その条件、ギルドとして全て呑もう。土地と家はすぐに手配させる。農具と種も、心当たりの商会に最高級品を注文しておこう」


「ありがとうございます!」


「ただし、これは『仮契約』だ。今後、君がギルドにもたらす利益を見て、本契約へと移行するかどうかを判断させてもらう。それまでは、この仮の身分証を」


 差し出されたのは、一枚の銅のプレート。フロンティア冒険者ギルドの紋章と、俺の名前が刻まれている。


「これを門番に見せれば、街への出入りも自由だ。ギルドの施設も使える。当面の宿も手配しておこう」


「助かります」


 深く頭を下げると、ギルドマスターは満足げに頷いた。


 彼の内心が透けて見えるようだ。


(こいつは扱いやすい。農民上がりの小僧なら、少しの恩と生活の安定を与えておけば、大人しくギルドのためにポーションを作り続けるだろう)


 保護という名の監視。


 まさに、俺が望んだ形だった。



 話がまとまり、俺は鑑定室を出た。


 金貨五枚は「ギルドへの預け金」という形になり、必要な時に引き出せることになった。ひとまず今日の宿代として、銀貨数枚を受け取る。


 ずしりと重い銀貨の感触に、ようやくこの街で生きていけるんだと実感が湧いた。


「じゃあな、小僧。また面白いもん持ち込んできやがれ」


「はい、バルガスさん。ありがとうございました」


 ぶっきらぼうに手を振るバルガスさんに見送られ、ギルドのホールへと戻る。


 その喧噪はさっきと変わらない。


 だが、俺に向けられる視線の質は、明らかに変わっていた。


 好奇、嫉妬、侮蔑、そして——値踏み。


「おい、あのガキだぜ」

「バルガスとマスターが直々に……結局、何だったんだ?」

「盗品じゃなかったらしいが、代わりにギルドと何か契約したって話だ」

「ちっ、成り上がりが……」


 突き刺さるような視線とひそひそ話。


 村で浴びせられたものとは違う、もっと生々しくて、欲望に満ちた視線だ。


(まあ、こうなりますよね)


 ため息をつきたくなるのをこらえ、足早にギルドの出口へ向かう。


 その時だった。


「よぉ、旦那。ちょっといいかい?」


 ひょい、と人混みの中から軽い声がかけられた。


 振り返ると、そこにいたのは、人の良さそうな笑みを浮かべた優男だった。


 身軽そうな革鎧。腰には短剣。人懐っこい目元とは裏腹に、その立ち姿には少しも隙がない。


「……俺のことですか?」


「他に誰がいるんだい? 今このギルドで一番の有名人、アレンの旦那」


 男は悪戯っぽく笑う。


「俺はカイ。見ての通り、しがない冒険者さ。いや、どっちかっていうと情報屋かな」


「情報屋……」


「あんたの噂、早速買い手がついてね。で、俺もあんたにめちゃくちゃ興味が湧いちまった」


 カイと名乗る男は、俺の周りをぐるりと歩きながら、品定めするように言った。


「王宮級のポーションを作った天才が、金貨より土くれを欲しがる。最高に面白いじゃないか。ギルドの連中は、あんたを『扱いやすい幸運な農民』くらいに思ってるみたいだが……」


 彼は俺の目の前でぴたりと止まり、声を潜めた。


「俺には分かるぜ。あんた、自分が何をやったのか、その価値がどれだけのものか、全く分かっちゃいないだろ?」


 どきり、と心臓が跳ねた。


 この男、ギルドマスターとは違う角度から、俺の本質を見抜こうとしている。


「……何のことですか」


「とぼけなさんな。あんたが作ったのは、ただの薬じゃない。戦争の勝敗すら左右しかねない戦略物資だ。それを金貨五枚と畑で手放した。常識で考えりゃ、ただの馬鹿か、あるいは……」


 カイの目が、きらりと光る。


「その程度の価値、いつでもまた生み出せるっていう、とんでもねぇ化け物か、だ」


 背筋に、冷たいものが走った。


「買いかぶりですよ。俺はただの、追放された農民です」


「ははっ、そうかい。なら、その追放農民様がこれからどうやって成り上がっていくのか、特等席で見物させてもらうぜ」


 カイはそう言うと、ひらりと手を振って人混みの中に消えていった。


 まるで狐につままれたようだ。


(情報屋、カイ……)


 ギルドマスターとは違う種類の、厄介な人間に目をつけられてしまったらしい。


 俺はもう一度、深くため息をついた。


 手の中には、ギルドの仮身分証と、宿代の銀貨。


 足元には、これから始まる新しい生活と、数え切れないほどの値踏みの視線。


「……まあ、いいか」


 小さく呟く。


「村で泥の中にいるより、ずっとマシだ」


 まずは宿だ。そして飯だ。


 それから——リリアを迎えに行くための、最初の一歩を踏み出す。


 俺は騒がしいギルドを後にして、フロンティアの街の喧噪の中へと歩き出した。


 まだ、この時の俺は知らなかった。


 この街の冒険者たちが向ける侮蔑の視線が、すぐに最初の試練となって牙を剥くことになることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る