第9話 星喰いのポーションと、盗人呼ばわりされた祟りの器

バルガスさんの背中は、岩みたいに分厚かった。


 冒険者たちの好奇と侮蔑が混じった視線を背中に浴びながら、俺は無言でその後を追う。


「おい見たかよ」「あのバルガスの爺さんが直々にだぜ」「絶対ヤバいもんだって」


 ひそひそ声が刺さる。


 さっきまで門前払いしようとしていた受付嬢が、少しだけ心配そうな顔でこちらを見ていた。


 カウンター奥の小さな扉が開かれる。


「入れ。散らかってるが気にすんな」


「は、はい」


 通されたのは、窓のない石造りの小部屋だった。


 壁一面に本棚。分厚い専門書。棚には怪しげな鉱石、瓶詰めの薬液、乾燥した薬草。インクと紙と薬品と金属の匂いが、鼻を刺す。


 ここが、この街一番の鑑定士の巣か。


「そこに座れ、小僧」


 乱雑に置かれた椅子を顎でしゃくり、バルガスさんは机に向き直る。


 受付嬢も後ろに控えていた。さっきまでの冷たさは影を潜め、仕事モードの真剣な目になっている。


「まず確認する。こいつはお前の物で間違いねぇな?」


 机の上に、例のポーションが「コトン」と置かれた。


 深い夜空色を湛えた、小さな瓶。


「はい。俺のです。俺が作りました」


「ああん?」


 一瞬で眉が吊り上がる。


「今聞きてぇのは所有の確認だけだ。余計なことは後だ」


「あ、すみません。俺のです」


「よし」


 バルガスさんは短く頷き、懐からゴツい金属枠の単眼鏡を取り出した。魔石がはめ込まれ、淡い光を灯す明らかな魔道具だ。


 それを目に当て、小瓶を様々な角度から覗き込む。


 部屋の空気が、じわりと張り詰める。


(大丈夫だ。本物なんだから)


 そう自分に言い聞かせても、喉が自然に鳴った。


「……色は、見たことがねぇな」


 低い独り言。


「普通、回復薬は緑か赤、良くて金。これは——夜空色。まるで星を溶かし込んだみてぇだ」


 栓を「コポ」と優しく抜く。


 立ち上る香りを、深く、一度。


 もう一度。


 三度目で、彼の肩がぴくりと震えた。


「お、おいバルガスさん……?」


 受付嬢が不安げに声をかける。


「黙ってろ」


 ぴしゃりと一喝。


 次に、細いガラス棒で液体を一滴すくい、銀の皿に落とす。


 蒼が、皿の上で丸まり、かすかに光った。


 バルガスさんは掌をかざし、短く呪文を紡ぐ。


「《真価解析》」


 淡い魔法陣が皿の上に浮かび、部屋中にひやりとした魔力の波が広がった。


 蒼い一滴が、一瞬だけ夜空のように煌めく。


 魔法陣に細かい文字が走り——バルガスさんの目が見開かれた。


「……っ、は」


「どう、なんですか?」


 俺が堪らず身を乗り出すと、彼は単眼鏡を外し、ぎろりと俺を睨みつけた。


「おい、小僧」


「は、はい」


「ふざけた真似したら殺すぞ。これはどこで仕入れた?」


「だから、俺がスキルで——」


「いいから黙って聞け!」


 怒声が石壁に反響し、心臓が跳ねた。


「このポーション、品質は最低でもA。即効性の体力回復に、持続的な滋養付与、肉体疲労の根本改善、おまけに副作用なしだ」


「A……」


(干し芋と月光草で、そんなヤバいの出来てたんですか……)


「素材の波長から見りゃ、ベースは高位薬草——月光草。しかも茎まで完全な状態。その上で、この妙な甘味成分は……干し芋か」


「はい。月光草と干し芋を一緒に【収納】したら、勝手に——」


「黙れと言っとるだろうが!」


「理不尽ですね!?」


 ついツッコむと、受付嬢に肘で小突かれた。


「アレンさん、今は」


「すみません」


 バルガスさんは額を押さえ、深く息を吐く。


「こんなもん、王宮の上級錬金術師でもそうそう作れん代物だ。幻級の月光草を摘んだ瞬間のまま扱えてる時点でおかしいが、問題はそこじゃねぇ」


「問題?」


「お前だよ」


 突き刺さる視線。


「ボロい農民服、身分証なし。そんな若造が、『偶然月光草を見つけて』『こんな組み合わせを自然に成立させる術を持ってる』。普通はな——」


 机を、コツ、と指で叩く。


「窃盗か、横流しか、闇組織絡みだと考える」


 受付嬢が息を呑む。


「だから聞く。正直に言え。どこから盗んだ?」


「盗んでません!」


 思わず立ち上がりそうになる腰を必死に抑える。


「これは本当に、俺のスキルで——」


「スキルで、ね」


 鼻で笑われた。


「いいか小僧。『俺にはすごいスキルがあるんだ』と吹いて、偽物を売りつけようとする輩は腐るほど見てきた。だがな、ここまでの本物は滅多にお目にかかれん。だからこそ余計に怪しいんだよ」


「怪しくても、本当なんです!」


「証拠は?」


「それは……俺が、死にかけから——」


 言いかけて、飲み込む。


(『自分で飲んで復活しました』じゃ通用しませんよね……)


 バルガスさんの声が冷たくなる。


「もう一度聞く。後がなくなる前にな。どこの工房から盗んだ? どの貴族の倉から失敬した?」


「してません!」


 喉が焼けるみたいだ。


「森で月光草を拾って、俺の【アイテムボックス】に入れたらスキルが覚醒して、それで自動的に——」


「普通のアイテムボックスが、そんな芸当をするか!」


 怒鳴り声に、小部屋の外がざわめく。


「やっぱ盗品か」「だよなぁ」「衛兵呼べよ」


 扉の隙間から覗いていた冒険者たちの声が飛び込んでくる。


 胸の奥で、古い痛みがうずいた。


『不吉だ』『祟りだ』『穀潰し』


(また、かよ)


 奥歯を噛み締める。


 今度は盗人。


 ゴミだの祟りだの追放だのの次は、盗人。


 リリアとの約束が脳裏に浮かぶ。


『生きて。どこに行っても、絶対に諦めないで』


 ここで折れたら、本当に全部終わる。


「……待ってください」


 声が震えていた。


「だったら、証明させてください」


「証明?」


 バルガスさんの目が細くなる。


「今、この場で作ってみせます。月光草はもうほとんど残ってないから、さっきと同じ品質は無理です。でも、そこらの薬草と木の実で、ちゃんとポーションになるところは見せられます」


 外のざわめきが、一瞬だけ静まった。


 受付嬢も、思わず息を呑む。


 バルガスさんは顎髭を撫でた。


「……ほう。そこまで言うか」


「言います。俺のスキルが本物だって、どうしても証明したいんです」


 バルガスさんは、しばし黙って俺を睨み——乱暴に舌打ちした。


「いいだろう。素材を用意しろ」


 受付嬢が慌てて頷く。


「は、はい!」



 ほどなくして、机の上にいくつかの薬草と木の実、小瓶入りの水が並べられた。


「そこらに転がってるレベルのもんだ。高級素材は使わせねぇぞ」


「十分です。ありがとうございます」


 部屋の隅や扉の向こうには、ギルド職員や冒険者が何人も集まっている。完全に見物モードだ。


(見てろよ)


 深呼吸して、机の上の素材に手を伸ばす。


 胸の内側——【アイテムボックス】へと意識を沈めると、各素材の「価値」が微かに触れる感覚が返ってきた。


(生命力が強い葉……香りのいい実……繋ぎに使えそうな根……)


 価値感知のかすかな反応を頼りに、三種類を選び取る。


「じゃあ、この薬草と、この実と、この根を使います」


「勝手にしろ」


 バルガスさんの視線が刺さる中、俺は静かに呟いた。


「収納」


 ふっと、素材が手の中から消える。


 同時に、胸の倉庫の中で、ささやかな光が三つ瞬いた。


(頼むぞ)


 祈るように見守ると、二つの光が触れ合い、小さな渦になる。


『条件を満たす素材の組み合わせを検知。自動錬成を開始します』


 あの無機質な声が、はっきりと響いた。


「な……?」


 バルガスさんが眉をひそめる。


 次の瞬間、机の端の空間がぽん、と軽い音と共に歪み、小さな瓶が一つ転がり出た。


 からん、と澄んだ音が石床に響く。


「……!」


 俺はすぐに拾い上げて、机の上にそっと置いた。


 薄い緑色の、とろりとした液体。


(品質は——)


【簡易回復ポーション】

【品質:C】

【効果:軽度の傷と疲労の回復/苦味強め】


(よし)


「これを、もう一度鑑定してください」


 バルガスさんは単眼鏡をかけ直し、無言でポーションを覗き込む。


 数秒。


「……はぁ」


 深いため息。


「どう、なんですか?」


 受付嬢がおそるおそる聞く。


「粗い。さっきのとは比べもんにならん。が——等級Cの回復ポーションとしては、十分合格点だ」


 小部屋がざわつく。


「マジかよ」「今、何もしてなかったぞ」「ただ“収納”って……」


 バルガスさんは、ゆっくりと俺を見る。


「どうやって作った?」


「だから、その……俺の【アイテムボックス】に素材を入れたら、条件が揃えば自動で錬成されるんです。あと、中で時間が止まるから月光草も——」


「普通のアイテムボックスがそんな真似をするか!」


「ですよね!」


 自分でもツッコむ。


 沈黙。


 バルガスさんは頭をがしがしとかきむしり、ぼそりと吐き捨てた。


「糞ったれ……マジで『そういうスキル』かよ」


 そして、俺を指差す。


「小僧——アレン・クロフトだったな」


「はい」


「さっきの無礼は詫びる」


「え?」


「盗人呼ばわりもした。だが鑑定士として断言する。お前のポーションは本物だ。これはギルドとして正式に買い取る価値がある」


 胸の奥がじん、と熱くなる。


 ゴミスキル、祟り、穀潰し。


 全部、勝手に貼られた烙印。


 今、その真逆の言葉を、この街一番の鑑定士が口にした。


「ありがとうございます」


 頭を下げると、バルガスさんは手をひらひら振る。


「礼はいい。だが——喜んでる暇はねぇぞ、小僧」


「え?」


「お前のスキルは、ただの収納じゃねぇ。価値を喰って成長し、内部時間を止め、勝手に錬成までしやがる。そんなもん、上に知られたらどうなるか分かるか?」


「……あまり、良い予感はしません」


「王都の錬金術師ギルド、貴族、宗教屋。どいつもこいつも群がってくる。“国の管理下に置け”“神の御業だ、奉仕しろ”“危険だから封印しろ”ってな。下手すりゃ解剖台行きだ」


「解剖は全力でお断りしたいです!」


「普通そうだ」


 苦々しく笑う。


「だからこそ、盗品の線で潰せるなら潰すつもりだった。……本当にお前の力だったなら、話は別だ」


 扉の向こうで、慌てて離れる足音。


 盗み聞きしていた連中が散っていく気配が伝わってくる。


「もう噂は広がる。“フロンティアにとんでもねぇポーション持ちが現れた”ってな」


「そんな早く……」


「耳は飾りじゃねぇんだよ、あいつらは」


 バルガスさんはため息をつき、受付嬢に向き直る。


「この王宮級ポーション一本。ギルド名義で買い取る。査定は——」


「待て、バルガス」


 低く、よく通る声が、その言葉を遮った。


 小部屋の空気が一変する。


 開いた扉の向こうで冒険者たちが左右に分かれ、一人の男に道を譲る。


 質の良いジャケットにギルド紋章。腰には装飾の少ない実戦向きの長剣。鋭いが落ち着いた目。


 ギルドマスターだ。


「聞き耳を立てていたんですか、マスター」


「立てていたとも」


 あっさり認めた。


「このギルドの屋根の下で起きる“大事な話”を聞かない理由はない」


 ギルドマスターは机の上の蒼いポーションに目をやり、そこで動きを止める。


 瞳が細くなった。


「……綺麗だな」


 短く、それだけ。


「バルガス、鑑定結果を」


「品質A以上、王宮献上級と見ていい。素材は月光草と……干し芋。錬成方法は、本人曰く“アイテムボックスの自動錬成”。普通は信じねぇが、先ほど簡易ポーションの再現も確認済みだ」


「ふむ」


 ギルドマスターの視線が、俺に向く。


「君が、アレン・クロフト君だね」


「はい」


「トレス村出身か」


 その名を口にされ、胸がちくりと痛んだ。


「……そうです」


「事情は、少し聞かせてもらった。追放、だそうだね」


 受付嬢が驚いた顔をする。


 ギルドマスターは続ける。


「まず、一つ。ギルドとして確認しておこう。君の持ち込んだこのポーションが“盗品ではない”という点については、バルガスの鑑定と、今の実演で認める」


「……ありがとうございます」


「二つ目。だからこそ、これはもう“ギルドとして扱うべき案件”になった」


 その声音に、部屋の空気がさらに引き締まる。


「アレン君。君の力は、同時に“危険”でもある。扱いを誤れば、君自身も、周りも巻き込んで燃える」


 バルガスさんがぼそっと付け足す。


「さっき言った面倒ごとってやつだ」


 ギルドマスターは、穏やかな笑みを浮かべつつも目は笑っていなかった。


「だから提案する。——フロンティア冒険者ギルドと専属契約を結ばないか?」


「専属……契約?」


「簡単に言えば、君が作るポーションや関連する物資を、まずこのギルドに優先的に卸してもらう。その代わり、ギルドは君の身元を保証し、街の中での安全を可能な限り守る。変な連中がちょっかいを出してきたら、うちの規定で追い払う」


 バルガスさんが肩をすくめる。


「完全な安全はねぇが、“野良の天才”でいるよりはマシだ」


「もちろん、契約内容は君の意向も聞く。縛りがきつすぎれば逃げたくもなるだろう?」


 ギルドマスターは、一度言葉を区切り、真っ直ぐに俺を見る。


「ただし、選択を間違えると、本当に“祟りの器”として狩られる側に回る。それだけは覚えておきなさい」


 喉が、ごくりと鳴った。


 王宮級だの、専属契約だの、危険だの解剖だの。


 一気に色んな言葉を突きつけられて、正直頭が追いつかない。


 けれど——。


(俺はもう、ゴミスキルでも、祟りの生贄でもない)


 胸の奥で【アイテムボックス】が、静かに脈打つ。


 価値を喰らい、守りたいもののために使える、本物の力だ。


「……一つだけ、いいですか」


「何かな」


「俺のスキルのことを、勝手に“国に報告する”ってことは」


「今この場ですぐに、ということはしない」


 ギルドマスターはあっさりと言う。


「ギルドは君の味方でありたい。少なくとも、そう思わせるくらいには利害が一致している。こちらにも、この街にも利益になる提携の仕方があるはずだ」


「……」


「だからこそ、君にも考えてほしい。“どう生きたいか”“どこまでこの力を使うか”を。王都まで名が轟く英雄になりたいのか、静かに稼いで暮らしたいのか。目的次第で、守り方も変わる」


 リリアの顔が浮かぶ。


 小さな家と畑の夢。


 誰にも搾取されず、脅されず、笑って暮らせる場所。


(俺が欲しいのは、それだ)


「派手に名を売るつもりはありません」


 はっきりと言った。


「俺は、俺の大事な人を助けて、一つ分の畑を守れるくらいに稼げればいい。そのためなら、この力は全部使います。でも、鎖で繋がれるのは御免です」


 バルガスさんが目を丸くし、すぐにニヤリと笑う。


「言うじゃねぇか、小僧」


 ギルドマスターも、口元をわずかに緩めた。


「いい答えだ」


「そんな勝手な条件、通りますか?」


「交渉次第だよ」


 彼は肩をすくめる。


「ギルドとしても、君を丸ごと縛り付けるのは得策じゃない。“逃げる”可能性も含めて扱うのが、危険物との付き合い方だ」


「危険物扱いなんですね、俺」


「自覚が早いのはいいことだ」


 くつくつと笑い、ギルドマスターは蒼いポーションを指先で弾く。


「まずは、この一本。ギルド名義で正式に買い取ろう。評価額は——金貨五枚でどうだ?」


「ご、五枚!?」


 思わず椅子からずり落ちかける。


「やりすぎじゃないですか、マスター」


 バルガスさんが眉をひそめる。


「品質からすれば妥当だ。それに……“最初の一歩”には相応しいだろう?」


 ギルドマスターは意味ありげに笑い、俺を見る。


「ようこそ、フロンティアへ。星を喰らう器の持ち主君」


 その言葉に、背筋がぞくりと震えた。


 でも同時に——。


(ここからだ)


 確かにそう思えた。


 追放者でも、祟りでもない。


 俺、アレン・クロフトとして生きる物語が、今この場所で始まりつつある。

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