第17話 泥だらけの騎士と、汚れた修道服の袖
「……は?」
ガストン伯爵は、一瞬何を言われたのか理解できないという顔をした。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのはああいうのを言うのだろう。
だが、すぐにその赤ら顔が、怒りでどす黒く変色していく。
「き、貴様……今、私に向かってなんと言った? 三流だと? 失せろだと!?」
唾を飛ばして
その声は裏返り、
「私はガストン伯爵だぞ! 王家から正式な
「うるさいですね」
私は耳をほじった。
「爵位とか勅命とか知りませんけど、人の庭でギャーギャー騒ぐのはマナー違反でしょう? それとも王都には『静かにする』っていうマナーもないんですか?」
「なっ、なっ、なっ……!」
ガストンは言葉を詰まらせ、パクパクと口を開閉させた。
兵士たちも動揺している。
無理もない。まさか辺境の小娘が、大貴族相手に一歩も引かず、あまつさえゴミを見るような目を向けてくるとは思わなかったのだろう。
私はガストンから視線を外し、再び足元のレオナ団長に向き直った。
「……シズ、様」
レオナ団長は、まだ泥水の中に手をついたままだった。
呆然と私を見上げている。
その美しい顔には、まだ泥の汚れが残っていた。
「申し訳、ありません……」
彼女は震える声で言った。
その瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「私が……私が不甲斐ないばかりに、シズ様にまで不快な思いを……。挙句、シズ様の
彼女は自分の顔を覆おうとした。
泥だらけで、涙でぐしゃぐしゃの顔。
かつて『氷の女帝』と呼ばれた彼女にとって、それは耐え難い屈辱と、
「汚れてなんていませんよ」
私は静かに言った。
そして、自分の着ている修道服の袖口を掴んだ。
真っ白で、清潔な生地。
私はそれを、レオナ団長の頬に押し当てた。
「あっ……!」
「じっとしてて。まだ少し残ってる」
ゴシゴシ。
私は彼女の頬を、袖で拭った。
泥が広がり、私の服にも茶色いシミができる。
ノエルちゃんが見たら「洗濯が大変ですぅ!」と怒るかもしれない。
でも、今はそんなこと、どうでもよかった。
「シズ様、お洋服が……! やめてください、私は汚い鉄屑です……!」
「誰が鉄屑ですか」
私は手を止めず、彼女の涙ごと泥を拭き取っていく。
「私を守るために、プライドを捨てて頭を下げようとしたんでしょう? そんなことができる人が、汚いわけないじゃないですか」
「っ……」
レオナ団長が息を飲む。
「私の前世……じゃなくて、故郷にね。こういう言葉があるんです」
私は前世の記憶を思い出しながら、言葉を紡いだ。
『泥の中の
『掃き溜めに鶴』
「どんなに汚い場所にいても、気高いものは汚れないって意味です」
拭き終わった。
泥は落ち、涙で洗われた彼女の素顔が現れる。
やっぱり、美人だ。
こんなに強くて、不器用で、まっすぐな人が、あんな薄汚いおっさんに虐げられていいはずがない。
「顔を上げてください、レオナさん」
私は彼女の両頬を包み込み、無理やり上を向かせた。
「私の騎士様は……あいつなんかより、ずっとずっと綺麗です」
心からの本音だった。
その瞬間。
レオナ団長の
「――あ、あぁ……」
彼女の喉の奥から、
それは悲鳴ではなく、魂が救済された音だった。
ずっと言われたかった言葉。
『女だから』『役立たずだから』と否定され続け、自分自身でも信じられなくなっていた自分の価値。
それを、この敬愛する主は、たった一言で肯定してくれた。
泥に
「シズ、様……っ! うあぁぁぁ……ッ!」
レオナ団長は、私の腰にしがみつき、子供のように泣きじゃくった。
その涙は、温かかった。
「……ふん。お涙頂戴か。
ガストンが冷ややかな声を上げた。
彼は兵士たちに顎をしゃくった。
「茶番は終わりだ。おい、その女を捕らえろ」
「はっ!」
ガストンの私兵たちが、槍を構えて一歩踏み出す。
狙いは私だ。
「抵抗するなら痛めつけても構わん。手足の一本くらい折っても、回復魔法があるから問題ないだろう」
兵士たちがニヤニヤしながら包囲網を縮めてくる。
(……やれるもんならやってみなよ)
私はレオナ団長の頭を撫でながら、冷めた目で兵士たちを睨んだ。
【絶対守護結界】がある私に、彼らの攻撃は通じない。
だけど。
――カシャン。
金属音がした。
私の前に、一人の騎士が割り込んだのだ。
バリア副団長だった。
彼女だけではない。
リリィちゃんが、その他の団員たちが、次々と私の周りに集まり、兵士たちとの間に壁を作った。
「……どけ、鉄屑ども。死にたいのか?」
兵士の一人が威圧する。
だが、バリア副団長は引かなかった。
彼女は涙を拭い、大剣を地面に突き立てた。
「……聞こえなかったのか」
低い声。
だが、そこには以前のような「怯え」や「迷い」は微塵もなかった。
「シズ様は仰ったぞ。我々は『綺麗だ』と」
バリアさんの体が、淡い金色の光を帯び始める。
いや、彼女だけじゃない。
第三騎士団の全員から、光が溢れ出していた。
私の感情――「怒り」と「慈しみ」に呼応して、【全範囲祝福・極】が暴走気味に発動したのだ。
効果は【士気向上・限界突破】。
そして、【絶対忠誠の誓い】。
「我らは鉄屑ではない」
私の足元で、レオナ団長がゆっくりと立ち上がった。
その顔にもう、涙はない。
あるのは、敵を射抜くような鋭い眼光と、燃え上がるような闘志だけ。
彼女は腰の剣を抜き放ち、高らかに宣言した。
「我らは、聖女シズ様の剣! 誇り高き《
ジャキィィィィンッ!!
数十本の剣が一斉に抜かれた。
その刃は、聖なる光を帯びて輝いている。
「シズ様を侮辱する者は、誰であろうと許さない」
「その汚い手で、あの方に触れられると思うな」
美しくも恐ろしい、修羅と化した美少女騎士団。
ガストンの私兵たちが、その気迫に押されて「ヒッ」と後ずさった。
「な、なんだその光は……!? 構わん、やれ! 数はこちらが上だぞ!」
ガストンが金切り声を上げる。
その命令が、彼の破滅への合図だった。
私の「静かな暮らし」を守るための、そして彼女たちの「誇り」を取り戻すための、一方的な蹂躙劇が始まろうとしていた。
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