第2話 目覚めたらSSR待遇の異世界生活が待っていた

 耳鳴りがした。

 鼓膜のすぐ横で叫ばれた「聖女様」という単語が、頭蓋骨の中で反響している。


 ノエルの手は熱かった。

 汗ばむほどの体温と、痛いほどの握力。至近距離にある大きな瞳が、私の顔の産毛一本一本まで観察するかのように瞬きもせず見開かれている。

 吐息がかかる。石鹸と、興奮した獣のような甘い匂い。


「ちょ、タンマ。近い」


 私が上半身をのけぞらせると、ノエルは磁石のように吸い付いてきた。


「どこか痛くないですか!? 背中さすりましょうか!? それともお水!? 口移しがいいですか!?」

「選択肢が極端すぎる」


 ベッドのシーツを握りしめて後ずさる。これ以上下がると枕ごと床に落ちる。

 軋むスプリングの音に重なるように、ドアノブがガチャリと回った。


「ノエル、廊下まで声が響いているぞ」


 現れたのは、丸眼鏡をかけた初老の男だった。

 くたびれた法衣に、白髪混じりの頭。手には洗面器を持っている。

 フーゴ司祭。

 昨晩、意識が飛びかけた視界の隅で見た顔だ。


「あ、神父様! 見てください、この肌ツヤ! 昨日の死にかけが嘘みたいです!」

「死にかけとは人聞きが悪いな。……だが、確かに」


 フーゴ司祭が洗面器をサイドテーブルに置き、眼鏡の位置を直しながら私をまじまじと見た。


「昨夜、教会の前に光の柱が突き刺さった時は、隕石でも落ちたかと思いましたよ。まさか中から人が出てくるとは」


 光の柱。

 あの女神、また余計な演出を。


「……シズ、と言います。これからお世話になります」

「おお、言葉が通じる。私はフーゴ。ここの司祭です」


 フーゴ司祭は安堵の息を吐き、濡らしたタオルを私に差し出した。


「ご自身の状況は?」

「なんとなく。……静かな場所に行きたいと願ったら、ここに」

「なるほど。天の配剤、あるいは神の気まぐれですかな」


 彼は深く追求しなかった。田舎特有の「まあ、生きてるならいいか」という緩い空気が漂っている。

 渡されたタオルで顔を拭う。冷たい水が、火照った肌に心地いい。

 視界の端で、何かがチカチカと点滅していた。


 右斜め上。空中の何もないところに、赤いアイコンが浮いている。

 無視しようとして視線を逸らしても、眼球の動きに合わせてついてくる。鬱陶しい。


(……なんだこれ)


 意識を向けた瞬間、フォン、という間の抜けた電子音と共に、半透明のウィンドウが視界を覆い尽くした。


【名前】シズ

【種族】人間(異世界転生体)

【職業】聖女(SSR)

【称号】女神の推し / ぼっち希望


【体力】∞

【魔力】∞

【魅力】測定不能(※特定対象に特攻あり)


【スキル】

・絶対守護結界(パッシブ:常時発動)

・全範囲祝福・極(アクティブ:感情連動型)

・女神への直通チャット権(※クレーム対応可)


 文字が発光している。

 特に「女神の推し」という文字列が、悪ふざけのように虹色に輝いていた。


「……頭痛が」

「おや、まだ本調子ではないですか?」


 フーゴ司祭が心配そうに眉を寄せる。

 私は空中に浮かぶウィンドウを手で払う動作をした(すり抜けた)が、誰にも見えていないらしい。


「いえ、大丈夫です。ただ、情報量が多くて」

「では、少し外の空気を吸いましょうか。着替えを用意してあります」


 ノエルが満面の笑みで、糊のきいた白い布の塊を差し出してきた。


 * * *


 修道服の袖を通す。

 あつらえたようにサイズがぴったりだった。生地は少しゴワゴワしているが、オフィスの化学繊維よりずっと肌馴染みがいい。

 長いスカートの裾を捌きながら、石造りの廊下を歩く。

 ひんやりとした空気が、床から足の裏へと伝わってくる。


「こっちですシズ様! 中庭のお花、見てもらいたくて!」


 ノエルが私の手首を掴んでグイグイと引っ張る。

 重い木扉を押し開けると、湿った土と緑の匂いが肺いっぱいに流れ込んできた。


 そこは、こじんまりとした中庭だった。

 ただ、景色は少し寂しい。

 花壇の土はひび割れ、植えられたパンジーや名前の知らない花々が、首を垂れて茶色く変色している。


「最近、日照り続きで……水やりしても、すぐ乾いちゃうんです」


 ノエルが残念そうに、しおれた葉先に指で触れる。

 カサ、と乾いた音がして、葉が崩れ落ちた。


 かわいそうに。

 元社畜として、水分不足で干からびていく姿には親近感を覚える。

 私も三日前までは、デスクの上でこうなっていた。


(……ちょっとくらいなら、元気になるかな)


 魔法なんて使ったことはない。

 ただ、さっきのウィンドウにあった【全範囲祝福】という文字を思い出しただけだ。

 枯れた花が、少し上を向くくらいでいい。

 栄養剤を一本、土に挿すような感覚で。


 私はしゃがみ込み、ひび割れた土に掌をかざした。


「……元気になーれ」


 子供だましの言葉を呟いた、その時だった。


 ドクン。


 心臓が跳ねたのではない。

 私の掌の下、大地そのものが脈打った。


「え?」


 カッッッ!!


 視界がホワイトアウトするほどの金色の閃光が、私の手から噴出した。

 目を開けていられない。

 強烈な光圧と、ごうごうと吹き荒れる風。

 耳元で、バリバリ、メリメリという、植物の成長音にしては凶暴すぎる音が連続して響く。


「ひゃあああっ!?」

「うおっ眩し!?」


 ノエルの悲鳴。

 光が収束していく。

 ゆっくりと目を開けた私は、自分の影が巨大な何かに覆われていることに気づいた。


「……は?」


 目の前に、壁があった。

 緑色の壁だ。

 よく見ると、それは太さ三十センチはあるヒマワリの茎だった。

 見上げれば、二階の窓まで届きそうな巨大な花弁が、太陽を遮るように咲き誇っている。

 足元では、パンジーが座布団サイズに膨張し、バラの蔦が触手のように蠢きながら教会の壁を侵食していた。


 花壇ではない。

 ここはもう、ジュラ紀の密林だ。


「す、すごぉぉぉい!!」


 静寂を破ったのは、ノエルの歓声だった。

 彼女は目をキラキラさせながら、オバケひまわりの太い茎に抱きついている。


「一瞬でお花がジャングルに!? これ魔法ですよね!? シズ様すごすぎます!!」


「いや、これは……」


 私の掌を見る。

 まだジンジンと痺れている。

 蛇口をひねったらダムが決壊したような、制御不能な力の残滓。


 ふと、視界の端に例のウィンドウがポップアップした。


※補足:あなたの「ちょっと」は、この世界の「全力」です。出力調整機能はありません。


(……先に言えよポンコツ女神)


 額を押さえていると、背後の茂みがガサガサと揺れた。


「すっげええええ!!」


 飛び出してきたのは、泥だらけの少年だった。

 麦わら帽子に、虫取り網。

 少年は口をあんぐりと開けて、私と、魔界化した花壇を交互に見ている。


「ねえちゃん、今の手からビーム出した!? ドカーンって! すげえ! 魔法使いか!?」


「トト! シズ様に失礼でしょ!」


 ノエルが、ヒマワリから離れて少年――トトの首根っこを掴む。


「だってノエル姉ちゃん! 見たかよ今の! 死にかけてた花が爆発したぞ! これ絶対やべーやつだ!」


「爆発じゃなくて開花ですぅ! シズ様はすごい聖女様なんだから!」


「聖女……?」


 トトは鼻水をすすると、ニカッと歯を見せて笑った。


「よくわかんねーけど、すげーやつなんだな! オレ、トト! よろしくな、爆発ねーちゃん!」


「爆発ねーちゃんはやめて」


 否定する私の声は、遠くから聞こえてくるざわめきにかき消されそうだった。

 村の方角から、土煙が上がっている。

 「なんじゃこの光はー!」「山火事かー!?」という村人たちの叫び声が、風に乗って近づいてくる。


 足元では、異常成長したパンジーが「ヴン……ヴン……」と重低音で唸っている。

 ノエルは私の腕に抱きつき、トトは目を輝かせて周りを走り回る。


 静寂とは程遠い喧騒。

 私はため息をつき、空を見上げた。

 雲ひとつない青空が、やけに眩しかった。

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