コミュ障のぼっち聖女、愛想笑いで最強の軍団を作ってしまう ~適当に頷いていたら、いつの間にか世界征服してました~

楓かゆ

第1話 社畜OL、過労死してSSRの人生を引く

 ポン。

 右下のポップアップ通知が、視神経をヤスリで削るような音を立てた。


 午前二時四十三分。

 エンターキーを叩く指先の感覚が、もうない。

 ただ、プラスチックの冷たさと、微かにベたついたマウスの感触だけが皮膚に張り付いている。

 画面の向こうで、営業部の黒川が「至急」のスタンプを連打していた。


(うるせえ、な……)


 胃の奥からせり上がってくるエナジードリンクの酸味を、無理やり飲み下す。三本目だ。

 心臓が、不規則なリズムで肋骨を蹴り上げている。

 ドクン、ドク、ン。

 変なリズム。聞いたことのない音。


 あ、これ止まるな。

 そう認識した瞬間、視界のホワイトバランスが崩れた。

 蛍光灯の白さが膨張し、スプレッドシートの枠線を飲み込んでいく。


 椅子から崩れ落ちる重力が、ひどく心地よかった。

 床のタイルカーペットに頬が触れる。埃っぽい匂いと、冷気。

 ああ、明日の定例会議、資料作らなくていいんだ。


 意識の電源が、ブツンと落ちた。


 * * *


「――はい、おつかれさまでしたー! 見事な心不全!」


 パン、とクラッカーの乾いた音が鼓膜を叩いた。

 眩しさに目を細めると、フォークを咥えたままの女が目の前にいた。

 ふかふかのソファ。湯気を立てるパンケーキ。

 ゆるく巻いた金髪に、オフィスカジュアルな服装。背中には半透明の翼。

 丸の内のランチタイムにいそうなOLが、シロップで汚れた指をナプキンで拭っている。


「ここ、どこですか」

「神界の出張所。わたしは女神。このエリアの担当ね」


 彼女はペラペラの書類を私の前に放り投げた。


「単刀直入に言うと、瀬戸静香さん、あなたは死にました。原因は過重労働。でもこれ、ウチの本社のシステムエラーで計算間違えちゃってさ。本来の寿命より五十年早くシャットダウンしちゃったの」

「……はあ」

「というわけで! これは明らかな労災案件です! 特例措置として《異世界転生・SSR待遇コース》をご用意しました!」


 女神が指をパチンと鳴らす。

 空中に半透明のウィンドウが浮かび上がった。


《補償内容》

・転生先:剣と魔法のファンタジー世界

・種族:人間

・特典:SSR確定ガチャチケット×3


「次の人生はイージーモード確定よ。で、どんなのがいい? やっぱイケメンに囲まれる逆ハーレム? それとも王族になって贅沢三昧?」


「いりません」


 即答だった。

 イケメン? 王族? 人間関係の極みじゃないか。

 上司の顔色を窺い、空気を読み、愛想笑いで寿命を削る。そんなのはもう、お腹いっぱいだ。


「……静かに、暮らしたいです」


 本音が漏れた。


「誰にも邪魔されず、面倒なしがらみもなく、ただ寝て、起きて、ご飯を食べる。そんな生活ができるなら、他には何も」


 女神がきょとんとして、それからニヤリと口角を上げた。


「なるほどね。スローライフ希望か。……うん、いいよ。そのオーダー、通してあげる」


 彼女が空中のキーボードを叩く。


「じゃあ、配置場所は《辺境の教会》ね。空気は綺麗だし、静かだよ〜。あなたはそこの見習い聖女。やることは掃除と、たまに来る村人の相手くらい。基本はぼっちでOK」


 ぼっち。

 なんて甘美な響きだろう。


「それと、お詫びのチート能力だけど……静かに暮らすには、自衛力が必要だよね?」


 女神が悪戯っぽく笑い、私の額に指を当てた。

 熱い光が流れ込んでくる。


《チート権限を付与します》

・全ステータス:∞(測定不能)

・固有スキル:【絶対守護結界】

・固有スキル:【全範囲祝福(極)】

・特殊補正:【魅了(対女性特効)】


「……あの、最後になんか変なのが見えたんですけど」

「サービスだよ、サービス。どうせ静かに暮らすなら、可愛い女の子に優しくされたほうが癒やされるでしょ? 男なんて寄ってこないようにしといたから」


 女神はウインクした。


「あなたは最強のぼっち聖女。誰にも気兼ねせず、辺境で好きに生きるといいわ。じゃ、いってらっしゃーい!」


 足元の床が抜け、重力が消える。

 最後に聞こえたのは、女神の楽しそうな声だった。


「(ま、重すぎる愛に溺れないように気をつけてね〜!)」


 え、今なんか言った?


 * * *


 陽の匂いがした。

 干したばかりの布団のような、柔らかくて温かい匂い。

 頬に当たる布の感触が、最高級のシルクみたいに滑らかだ。


「ん……」


 重い瞼を持ち上げる。

 石造りの天井。高い窓から差し込む朝の光が、塵をキラキラと照らしている。

 空調の音も、電話の音もしない。

 ただ、小鳥のさえずりと、自分の寝息だけが聞こえる。


(……最高かよ)


 本当に転生したんだ。

 自分の手を見る。PCの打ちすぎで荒れていた指先は、白く透き通るように綺麗になっていた。

 体も軽い。泥のようなダルさが嘘みたいだ。


 これだ。私が求めていたのはこれだ。

 今日からここで、誰にも邪魔されない、私の優雅なぼっちスローライフが――。


「――お目覚めですね、シズ様ッ!!」


 視界の端、すぐ耳元で、弾けるような声がした。

 ビクッとして横を向く。


 そこには、顔があった。

 あまりにも近い。

 鼻先が触れそうな距離に、大きな瞳が二つ。

 栗色の髪を三つ編みにした、あどけない顔立ちの少女だ。丈の短い修道服から、健康的な白い太ももが覗いている。

 その瞳が、獲物を見つけた肉食獣のように――いや、推しを見つけたオタクのように、ギラギラと輝いていた。


「え、あ、だれ……」


「よかったぁ……! 教会の前で倒れてたから、死んじゃったのかと思いました! わたし、ノエルっていいます! この教会の見習いシスターです!」


 距離が詰まる。

 彼女はベッドの縁に乗り出し、私の両手をガシッと握りしめてきた。


「手が! 手がすべすべです! それにすっごくいい匂いがします! やっぱり天界から来た聖女様なんですね!?」


「い、いや、その、近くない?」


 少女の体温が伝わってくる。石鹸のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 こんな美少女に至近距離で迫られた経験など、社畜時代には一度もない。


「神父様ー! 起きましたよー! すっごく綺麗な、私好みの聖女様が起きましたよー!!」


 ノエルは私の手を握ったまま、廊下に向かって大声で叫んだ。

 その背中には、ブンブンと振られる幻の尻尾が見えるようだ。


 握られた手の力が、やけに強い。

 熱っぽい視線が、私の顔に吸い付いて離れない。


(……あれ? 静かな生活、どこいった?)


 ノエルの輝く瞳に映る自分の顔を見ながら、私は早くも胃が痛くなる予感を覚えていた。

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