12 少女との出会い
レオンは、短剣を手に取り、カイの方に近づいてくる。
一歩、一歩、その足取りは確実にカイの方に向かっていた。足音はなく、ただ静かに。
――あれは幻想のはずだ。ただ、さっき殴られた時、本当に頬が痛かった。どうなっている?
カイは自らの頬を擦る。血は出ていなかったが、痣にでもなっているのかどうかわからなかった。
――どうしたらいいか......?
カイも手に短剣を握った。カイの頬を伝って、汗が地面に落ちる。
レオンが後一歩のところに迫った。
(冗談だよ、冗談)
レオンは両手をあげて、笑った。
「えっ?」
(これまで沢山の人をこの手で血に染めてきたが、俺は別に無差別殺人じゃない。それに、お前を本当に殺すことができたとして、俺がお前の体を乗っ取れる保証がない。むしろ、普通に考えて、俺の記憶もお前共々消えると考えるのが自然だろ)
カイは風船がしぼむように、体から一気に力が抜けた。
「ふざけるな。お前、さっき本気だったろ? それぐらいわかるぞ」
(それぐらいコントロールできるだろ。それよりも、さっきお前、時織がいないか、町で聞いて回ってただろ? あれ、やばいから早く逃げた方がいいぞ)
「どうゆう意味だ?」
(お前、本当に別の世界から来てるんだな。いや、俺もお前の記憶を見たからわかっているんだが)レオンは何とも言いにくい表情をしている。(この町は炎諏佐の国に支配されているんだ。あんな風に変なこと口走ってみろ? すぐに通報されて、炎諏佐の兵士が来るぞ。って、言ったそばからか)
レオンが顔を横に向けた。
カイもレオンの目線の先を見ると、駆け足で炎諏佐の兵士がこちらに向かってきている。
(とりあえず、今は逃げるんだな)とレオンは呆れたような表情をして、テレビの電源が切られたかのようにその場から消えた。
――くそ、何なんだ。
カイは眉間に皺を寄せた。ただ、そんなに悠長なことをしている暇はなさそうだ。明らかに炎諏佐の兵士はこっちに向かってきている。
カイは立ち上がり、走り出した。
「そこのお前、待て!」
後ろから声が聞こえる。カイは振り向きもせず、走り続けた。
――意外と足が早いな。
後ろを振りむくと、さっきよりも距離が縮まっている。
「こっち!」
角を曲がったところで、突然、声が聞こえた。カイがそちらを振りむくと、小柄な女の子が扉を開けて、手招きをしていた。
カイは意味を瞬時に理解して、扉の中に飛び込むように入り込んだ。
バタンと扉が閉まる音が聞こえる。カイが周りを見ると、10畳ぐらいの部屋で、寝る場所とキッチン、机といった最低限の設備が置かれていた。小さいな小窓が1つついているだけで、少し薄暗かった。
「行ったみたいね」女の子が扉に耳を当てながら、小さな声で言い終えると、カイの方を向いた。「ふー、危なかったわね」
「ありがとう。助かったよ。」カイは、肩で息をして、呼吸を整えた。「君は?」
「私? 私はミレナ・エイーブ・タリア。ミレナちゃんって呼んでいいわよ」片足をあげて、右手の人差し指を頬にあてていた。
カイはその不思議なポーズを見て、少しの間固まってしまった。
「……ああ、ミレナちゃん、ありがとう。なんで助けてくれたんだ? こんなことがばれたら、この町ではミレナちゃん自身も危ないんじゃないのか?」
「ええ、もちろんこんなことがばれたら、即打ち首ね。ただ、ミレナちゃんだって、そんなにバカじゃないわ。うまくやっているからそこは安心していいわよ」
ミレナはくるりと回って、肩まで伸びた髪がふわっと翻った。髪は紫がかって見えたが、薄暗いせいだろうか。小さく丸い顔をして、淡い青のワンピースを着ており、見るからに中学生ぐらい(いや、背丈だけで言えば、もう少し下かもしれない。)にしか見えなかったが、どこか言葉には芯が通っているように感じていた。子どもと大人が入り混じった変な子だった。
「そうか、わかったよ。ただ、繰り返しになるが、なんで助けてくれたんだ?」
カイの言葉を聞いて、ミレナは急にもじもじし出した。顔も心なしか赤いように見える。
その様子をみて、カイは、「ん?」と投げかけたが、顔を下に向けて目が合わない。
ミレナはしばらくそうしたかと思うと、両手の人差し指を合わせて上下に動かした後、言った。
「あなた、名前は?」
「……カイだけど」
「……カイがタイプだったから」そう言うと、ミレナは両手で顔を隠した。
「……はあ?」
カイは心の底から声が出た。
「あなたが走っている姿が見えて、あなた、黒い髪に、整った顔立ち、どこか幸薄そうな表情、背もそこそこ高くて、必死な形相で……」
「褒めているのか? 途中けなすような言葉があったが……」
「……好きです。結婚してください!」
ミレナは、まるでじゃんけんのパーを出すように勢いよく、片手を差し出し、握手を求めていた。
「はあ!? 急に何を言ってんだ。結婚? まだ付き合ってもないのに……。いや、違う。付き合うとではなくて、そもそも出会ったばっかりじゃないか」
カイは今まで女性と付き合ったことはない。シホやアキがいてくれたので、女性と話をすることに抵抗感は低かったが、告白されたことはない。むしろ、自分なんかに告白する女性がいたら大した変わり者だと自分でも思っていたぐらいだ。もちろん、自分から告白したものなく、思春期の気持ちはいつ頃成就するか自分が一番わかっていなかった。
――この子は何なんだ......?
カイはむしろ警戒をしていた。何か騙そうとしているのではないかと。お願いしますとでも言った日には、誰かが出てきて、脅されるのではないかと思い、周りを見渡したが、人が隠れるようなスペースなどないように見えた。
「……返事は?」ミレナは上目遣いで言った。カイは一瞬心がぎゅっとなったが、頭を振った。
「いや、ちょっと待ってくれ。さすがにすぐに結婚というわけにはいかないだろう。まずはお互いを知らないで、そんなことにはならないだろう?」
「まずはお互いを知ってからってこと?」とミレナは言った。
「ああ、そうだ。まずは知るのが大事だろ」カイはまるで先生が生徒に言い聞かすように言った。
カイがそう言うと、ミレナはおもむろにベッドの方に行き、ベッドに横になると、両手をカイの方に向けて言った。
「じゃあ、まずは知ってね......」ミレナのスカートのすそがまくれ上がり、細く、白雪のような足が露わになっていた。
それを見て、カイは自分でも頬が赤くなるのがわかるほど、熱を帯びた。そして、叫ぶように言った。
「ち! が! う!」
そこから、カイとミレナはしばらく意図がなかなか通じない言葉の攻防をして、お互い疲れ切った頃に、ようやくミレナが引き下がってきた。
「もうー、なんでわかってくれないの?」
「一旦、その話は終わりってことにしただろ? それよりも、ミレナは知らないか、時織について」
「もちろん、知ってるわよ」ミレナは不貞腐れているのか頬を膨らませていた。「だって、時織は私のおばあちゃんだもん」
カイは思わず立ち上がった。「えっ! そのおばあちゃんは今どこにいるんだ?」
「……去年亡くなったわ」
「ああ、そうか。ごめん、そんなことを聞いて」
ミレナはぴょんとベッドから立ち上がった。「いいのよ。もうミレナちゃんも整理はついてるわ」
「それじゃあ、ここに来た意味はなかったってことか......」
「そんなことはないわ。おばあちゃんの荷物とかが王立図書館で保管されてるから、そこに行けば何かわかるかもしれないわ」ミレナは家の中を左に右に動きながら言った。「おばあちゃんは、そこで働いていたのよ。研究者としてね。何の研究をしていたかまでは教えてくれなかったけど、きっと何か関係あるわ」
「なるほど。たしかにそこに行ってみる価値はあるな」
「じゃあ、今日はここに泊まっていいから、明日一緒に行きましょう」とミレナはニヤッとして言った。
カイはその意図がすぐに分かったため、被せるように言った。「一緒にここまで来たリナって子がいるんだ。時計台のところにいるから迎えに行かないと……」
「ミレナちゃん以外に女作るなんて最低!」
ミレナは腕を組んで、精一杯怒っているポーズを取っていた。
――おいおい。
その後、カイがリナを迎えに行く頃にはすっかり日が落ちていた。リナからは「遅いです」とミレナと同じように頬を膨らませながら怒られた。
――今日は、突然現れたレオンに殴られたり、結婚を申し込まれたり、怒られたり、散々な一日だ。
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