第23話 S is for Space Cabin

 ウォッカは冷たくて甘くておいしかったのだが、一口で終わってしまった。少し身体が熱い気がしたのもすぐ治った。もう一杯ちょうだいと言ったら二杯目をもらえたが「これでオシマイ」と言われた。そうだよね。たくさん飲んだらヤバいよね。これ以上飲むのやめておくべきなんだろうな。でも、私、もしかして、酒が飲める方なのでは?


 そんなこと考えながら重い荷物をコインロッカーから出して、西ゲートを出る。ここから出るバスはスーパーシャトルバスのような華やかさはなくて、ごく普通の定期バスだ。今日から四日間お世話になるスペースキャビンはどんなところだろうか。キャビンというからには質素なんだろうけど、ここは科学万博のつくばだしなにしろ「スペース」だよ? 少しは宇宙っぽかったりしてほしい。狭くてもいい。宇宙ステーションのキャビンぽいとか。そう祈るもバスは街を外れ田んぼの中を走り抜けこんもりした森へ……調べておいたバス停を降りるとそこはキャンプ場だった。 


 うん! これは安いだろうね、父よ! 


 気を取り直し、管理棟の引き戸を開けてお金を払ってチェックイン。一人で四泊すると言ったら驚かれた。ほっとけ。鍵は帰るときに返せばいいそうだ。なくさないようにしないと。小さなキャビンを一棟借りられて、シャワーは海水浴場にあるようなお金を入れて入るタイプだけど、入れた10円は返ってくるとのこと。トイレはあそこ、水道はあそこ、自炊でバーベキューしたいなら連絡してねと説明を受ける。いやほんとまるっきり普通のキャンプ場だ! 


 スペースキャビンはツリーハウスのような造形のキャビンだった。頑丈そうな一本のポールに支えられた緑色の小さなピラミッド。ピラミッド下部にドアがあり、ハシゴを使って出入りするようになっていた。


 重いキスリングを背負ったままでは出入り口を通れないので荷物だけ先にキャビンに押し込み、それから自分もキャビンに入り込む。まだ真新しく、新築家屋のような匂いがする。暗いが窓から外の明かりが入ってくるので真っ暗闇ではない。ピラミッドの天頂部分に下がる小さな裸電球をつけて部屋を見渡す。屋根裏部屋に似た雰囲気の空間の片隅に、薄いけれど清潔な布団があった。他には何もない。コンセントは? ひとつありますね。コンセントはありがたい。この小さな空間は私の気に入った。私が小学生なら小公女セーラごっこするね!


 まずはシャワーを浴びてこよう。私はぎゅうぎゅうに詰め込んだ登山用キスリングからタオルと着替えを取り出した。私のボストンバッグじゃ荷物が入らなくて父に借りたキスリングは、バランスよく荷物を詰めなくてはいけなくて詰め込むのが難しかった。帰る前に詰めるときもめんどくさいだろうなと思いつつキャビンを出て、鍵をかける。夏とはいえもう八月も末で空気は少し肌寒い。シャワー室は新しいようできれいだったけど狭くてタオルの置き場に苦労した。もちろん石鹸なんかない。洗顔料で全身洗った。髪は汗臭いけど今日は気にしないことにしよう。


 キャビンに戻り布団を敷く。布団がなかったらどうしようかと思ったよ。それと小さいものでいいから机はほしかったな。ないものはしかたない。私はキスリングから小さなラジカセと国語辞典と大学ノートと筆記用具を取り出した。これこそが私の持ってきた「要らんと言われそうなもの」である。カセットテープも十二本持ってきてる。これも要らんものだな。何も録音してない生カセットもひとつ持ってきてる。朗読を試してみたかったのだ。 


 布団の上に寝転がってイヤホンでピンク・フロイドの原子心母を聴きながら、私は自分が思うことを少しずつノートに書き始めた。喉が渇いたなと思って、水筒にゲーターレード粉末を入れて外に行く。鍵はしっかりかける。人けのない夜遅くの水場で水筒をいっぱいにした。見上げると星空が見えた。いや、星はいつでも空にあるのだ、晴れた日も、雨の日も、太陽が輝く真昼にも。


 私は詩を書いてもいいだろうか。私みたいな、中途半端な、自分が男か女かも決められない、自分ひとりでは何もできない、そんな人間が詩を書いても許されるだろうか。誰も「いいよ」と言ってくれないので私は自分で自分に小さい声で「いいよ」と言ってみた。


 …………


「鳩の檻」


びりびりと教室の窓を震わせて

あおぐろいミサイルが飛んでくる

いくたびも繰り返す衝撃波


そんなことがあればいいと思う放課後


校門の脇には鳩の檻

茶色い鳩

白い鳩

灰色の鳩


与えられた餌を奪いあい

鈍い爪でひっかきあい

なまくらな嘴でつつきあい


血まみれの平和のなかで

校則どおりにきちんと制服を着て

わたしたちはいつまでも

いつまでも鳩を見ていた


(1985.8.26.by Sasaho)


 …………


 翌朝私は、スペースキャビンの中でもそもそカロリーメイトを食べ、生ぬるいゲーターレードを飲んだ。朝っぱらからラジカセでパティ・スミスの'Horses'をガンガンかけているがたぶん苦情はこない。このエリアに泊まってるの私だけだもん。昨夜も人がいないなあとは思ったんだよ。


 さて今日はどうするか。西ゲートに近いパビリオンは後回しにしようと思っている。午前中はくるま館かアイ・ビー・エムに行こうかなあ。鉄鋼館も行きたい。講談社ブレインハウスに行きたいという気持ちが、自分でもわからない理由で消えていた。まずBブロックのくるま館を目指そう。くるまは乗りたいよね、チョコ! 午前中は混雑気味のAかBブロックで、午後は人出が少ないFかGで行こう。今日は約束した通り風のガレリアに顔を見せないとな。そういや彼の名前も聞いてないや、名前くらい聞いておこう。カハクくんの誘いには乗るつもりだ。彼の自動車送迎はもちろんありがたいが、それ以上に知りたいことがある。彼はなんで私なんかを誘ったの? それがどうしてもわからない。


 バスに乗って田舎道を走る。車窓から、昨夜は気づかなかったものが見えた。土産屋だったのであろうプレハブの建物だ。もう営業していないのは一目見ればわかる。シャッターは閉まり、店の前に置かれた屋台の紅白の布は風にさらされて破れている。EXPOのロゴと大きな観覧車のポスターも、コスモ星丸のステッカーも、破れたり剥がれたりしていた。ポスターが色褪せず鮮やかなのが不思議なくらいそれは廃墟だった。まだ万博は終わっていないのに、ここではもう万博が終わっていた。


 バスを降りて西ゲート前に並ぶ。私の順番がくる。私は一ヶ月後には撤去が始まるであろう西ゲートをくぐり、走り始める。一人でも走れる。鈍足だけど走れる。走ると絶対『長距離走者の孤独』って本を思い出すんだよ、でもこれは短距離だし私は誰かに走れと言われて走ってるのじゃない。私は自分を一時的に「目的に向かって走るもの」と定義する。目的はくるま館だけどね!


 ★★★


 タイトルはレイ・ブラッドベリの短編集『S is for Space 』のオマージュ。


 スペースキャビンは今も豊里ゆかりの森キャンプ場にあります。


 「ラジカセと国語辞典と大学ノートと筆記用具」は、いまならスマホひとつで済みます。でも1985年にスマホはありません。


 「鳩の檻」は私が10代のころ書いた詩です。この鳩のイメージは三原順のマンガ『はみだしっ子』から連想したもの。


 「原子心母」や"Horses"は1985年時点から見て「古い音楽」です。このさき大量に曲名や歌手やバンド名が出ますが、ほとんどが1985年にはすでに古かったものです。


 キスリングは登山用リュックの一種で、横に長いのが特徴。1960年代に流行し、80年代にはもうレトロな代物でした。電車の改札を通るときカニ歩きしないと通れないので、キスリングを背負った当時の若者はカニ族と呼ばれました。


 小公女セーラのアニメは1985年1月放送開始。レトロ趣味なささほですが、テレビは普通に見る。

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