#3 「他人と比べて焦ってしまう」あなたへ
SNSを開けば、目に飛び込んでくるキラキラした日常。同期の活躍。友人の幸せそうな報告。頭が良くてテストの点がいい。
それに比べて、自分は……。
「あの人はすごいな」という羨望と尊敬、そして「なんで自分はダメなんだ」という焦り。 そんな、息苦しさを感じていませんか。
頭ではわかっているんです。「人と比べても意味がない」って。 でも、やめられない。
なぜなら、それは「向上心」という美しい感情と、「劣等感」という苦しい感情が、コインの裏表のようにくっついているから。
この「比較の呪い」は、私たちから「自分だけの価値」を奪い、第1話で書いた「DM症候群(どうせ、無理)」へと、容赦なく引きずり込もうとしてきます。
私自身、昔は本当によく他人と自分を比べていて、とても苦しい思いをしていました。
「あの人はどうしてあんなに輝いているんだろう」
「どうしてあんなに自信があるんだろう」
「どうして、どうして、どうして……」
どうして、自分には何もないんだろう。
何かあったとしても、どうしてこんなに微妙なんだろう。
「人と比べる」ということ。
これこそが、私自身を縛り付ける、強力な呪縛でした。
あなたも、そんな「どうして」という呪いを、自分にかけていませんか?
ここで、処方箋です。
「比べる」こと自体は、悪ではありません。
第2話で書いた「優しさ(の中の弱さ)」と同じで、自分を守るための本能の一部です。
問題は、「比べた結果」の使い方を間違っていること。
私たちは無意識に、他人の「物差し(=いいねの数、フォロワー数、成功の大きさ)」で、自分の価値を測ろうとしてしまいます。 でも、SNSで見えるのは、その人の人生を切り取って「編集したハイライト」でしかありません。
処方箋は、「物差し」を捨てること。そして「感情」を分離することです。
「あの人がいいな」と羨ましくなったら、それは「呪い」ではなく「羅針盤」です。 それは、「あなたも本当はそっちへ行きたいんですよ」という、あなたの心が送るサイン。
「あの人に比べて自分はダメだ」と落ち込む(劣等感)のではなく、「じゃあ、自分はどうしたい?」と、主語を自分に戻すチャンスなんです。
例えば、こう考えてみるのはどうでしょう。
もし、その「羨ましい」という感情が、「自分もあんな風になりたい」という純粋な憧れなら。 それは「羅針盤」が「そっちの方向だよ」と示している証拠です。 じゃあ、その人に近づくために「今の自分にできる小さな一歩」はなんだろう? と探してみる。
もし、その感情が、「自分には到底無理だ」「そもそもジャンルが違う」という諦めや違和感なら。 それは「あなたはそっちじゃないよ」というサインです。 じゃあ、自分が本当に輝ける土俵はどこだろう? と、自分の心の声を聞き直してみる。
比べる相手は「他人」ではありません。 比べるべきは、いつだって「昨日の自分」です。
昨日より1行でも多く書けたか。 昨日より1回でも多く笑顔になれたか。 他人の「結果(ハイライト)」ではなく、自分の「プロセス(積み重ね)」に目を向ける。 それこそが、「自分だけの物差し」を作るということなのです。
ちなみに。
私は今ではこう思うようにしています。
「あの人の声素敵だな。歌がうまいなぁ。話し方素敵だな。すごい面白い小説を書いてる! 自分にない部分だ……」
それは、あの人の物であって、自分の物ではない。
自分の物差しで測る必要なんてない。
じゃあ、どうするか?
あの人の良い部分を、全力で「推す」ことにしよう。 全力で「応援」しよう、と。
……つまり、推し活の始まりである🤣
(比較して落ち込む)のではなく、(その人の魅力を分析して推す)という視点に変える。
あなたはあなたの土俵で、あなたの花を咲かせればいい。 他人の花が綺麗なら、水をあげる手伝い(応援)をすればいい。
「比較の呪い」にかかりそうになったら、ぜひ「推し活」を思い出してみてください。 心がちょっと楽になるかもしれませんよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます