#2 「優しすぎる」あなたへ(反省)
「誰かに傷ついてほしくない」
「みんなに笑っていてほしい」
あなたのその優しさは、とても尊く、温かいものです。
でも、あえて問わせてください。
その優しさで、結果的に誰かを傷つけてしまったことはないですか?
良かれと思って我慢したことが、かえって関係を歪ませてしまったり。
「NO」と言えなかったばかりに、取り返しのつかないすれ違いを生んでしまったり。
守りたかったはずの何かを、その優しさゆえに壊してしまった経験はありませんか。
なぜ、こんなにも痛々しい矛盾が起きてしまうのでしょう。
それは、私たちの「優しさ」が一枚岩ではないからです。
「誰かを傷つけたくない」という利他的な美しい心のすぐ隣に、「自分が傷つきたくない」という利己的で切実な心が、必ずくっついています。
私たちは、この二つを同時に抱えて生きているのです。
「優しい人」であろうとすればするほど、私たちは後者の「自分が傷つきたくない心」を、「エゴだ」「見苦しい弱さだ」と隠そうとします。
相手の無理な頼みを、笑顔で引き受けてしまう。
本当は嫌なのに、「大丈夫」と嘘をつく。
自分さえ我慢すれば、この場は丸く収まるのだから、と。
でも、その無理はいつか必ず限界を迎えます。
心のダムが決壊するように、バランスが崩れます。
そして、一番恐れていたことが起きてしまう。
守りたかったはずの「誰か」を意図せず深く傷つけ、守りたかったはずの「自分」もズタズタに傷つく、という結末です。
私自身もそうです。
自分の思う優しさと自分の身勝手さ(=傷つきたくないという弱さ)で、相手を傷つけてしまいました。始まりはほんの少しのすれ違いというか、相手への配慮を欠いてしまった、ということです。
結果として、いろんな方に迷惑をかけることになってしまいました。本当に申し訳ないと思っています。
「優しいことは、罪だったのか?」
「誰かを思いやるのは、間違いだったのか?」
そんなはずはありません。
優しさは、決して罪ではない。
問題は「優しさ」そのものでも、「自分が傷つきたくない」という「弱さ」でもないのです。
問題は、その「弱さ」を「悪」として、「あってはならないもの」として、切り捨てようとしたこと。自分自身で、自分の心を否定してしまったことです。
ここで、処方箋です。
まず、「自分が傷つきたくない」と思う、その弱さを認めてあげてください。
「傷つきたくない」と思うのは、あなたが弱いからでも、エゴイストだからでもありません。
寒ければ服を着るのと同じ、生き物として当たり前の「防衛本能」です。
「そりゃ傷つきたくないよね」
「怖いよね、我慢してたよね」
誰よりもまず、自分が自分の一番の理解者になって、その弱さを抱きしめてあげてください。
自分の「弱さ」を正面から認めて初めて、私たちは自分の「限界(キャパシティ)」を知ることができます。
「ここまではできる(優しさ)」
「ここからは無理(自己防衛)」
その、自分だけの境界線です。
時には「NO」と言うこと。
時には、そっと距離を置くこと。
それは、決して「冷たさ」ではありません。
それは、あなたのその尊い優しさを長持ちさせるための「技術」です。
そして何より、あなたの優しさが意図せず誰かを傷つける悲劇を避けるための、「賢さ」であり「誠実さ」なのです。
過去は変えられないかもしれません。
その痛みや傷は、まだ癒えていないかもしれません。
それでもいい。
自分の弱さを、情けなさを、その痛みごと抱きしめたまま、今日から自分と他人を誠実に大切にする道を選ぶ。
それこそが、私たちが「優しさの呪い」を「優しさの力」へと昇華させていく、唯一の道なのだと、私は信じています。
とか言ってますが、これは私自身の懺悔であり、後悔であり、反省であり、贖罪です。こんな私の失敗が誰かの力になればいいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます